2017年3月15日のブックマーク (5件)

  • 「私はマイノリティへの偏見はありません」とわざわざ言うことについて。

    何に対しても「偏見や差別が素晴らしい」という人はほとんどいなくて、大抵の人は偏見や差別は良くないと思っているだろう。 残念ながらネットにはひどい書き込みがあったり、ネットではなく現実の社会でも偏見や差別がないわけではないけれど、人からしてみれば正義感に基づく言動で、偏見や差別を肯定しているわけではなかったりする。 私は自分がバイセクシュアルだからか、LGBTに対する周りの人の反応に結構敏感になってしまっていて、LGBTフレンドリーであれば嬉しくなり、LGBTに偏見があると言われると悲しくなる。 先日、友人から「LGBTに偏見ないよ」と“わざわざ”言われた、という話を聞いた。 そして「わざわざ言われるとちょっとモヤっとするんだよね~」とモヤモヤした気持ちを分かち合った。 友人とこの話をして思い出したことがある。以前、企業に対してLGBTという観点から様々なアプローチをしている方にお会いする

    「私はマイノリティへの偏見はありません」とわざわざ言うことについて。
    haru1014
    haru1014 2017/03/15
    たしかに相手がどう感じるかは考慮すべきだけど、自分が相手のことを精一杯考えた上での発言なら、相手も悪い気はしないはず。正義は凶器。いつも自問自答を欠かさないように気をつけよう。
  • 「逃げたっていいんだよ!」に感じる違和感の正体。

    どうも鳥井です。 「逃げたっていいんだよ!」という主張、ここ最近当によくみかけるようになりましたね。 でも、僕はそれに少しだけ違和感を感じてしまいます。 極端な話、オシャレでカッコよくて最高に楽しそうなイケてる逃げ方を提案してくれれば、みんな全力で逃げ出すと思います。 でも、現状はそうなってはいない。 結局、楽しい逃げ方がまだまだ世の中に足りないということなのではないでしょうか。 「なんで逃げないの?」と聞いてくる人の背中が全く楽しそうじゃない。 「なんで逃げないの?」って不思議そうにいう人もいますが、逃げたいと思ってる人たちからしてみれば「あなたのいるその場所でさえ、ユートピアには見えないから」ということなのでしょう。 「楽しい!」と口ではいくらでも言えるけれど、その背中が全く楽しそうに見えないということなのでしょう。 つまりは、「逃げた先で、全力で楽しそうな姿を私に見せてよ!」という

    haru1014
    haru1014 2017/03/15
    自分の生き方を押し付けてくる人は、まだ自分の選んだ道に自信がないのだと思う。自分が本気で楽しんでいれば、人はついてくるのだから、押し付けるようなアドバイスをしないように気をつける。
  • 「止めるべきか、続けるべきか」の答えがある場所 - ミラクリ

    仕事があるときは、「失うこと」が怖かった。 立場、キャリア、収入、人間関係、ここまでの努力と苦労。 失いたくないものを挙げ始めたらキリがない。 だから、何としても守りたかった。 そんな恐怖を尻目に、仕事はあっという間に目の前から姿を消した。 まず「通う場所」が無くなり、人間関係が消え去り、収入が途絶える。 だけど実際にそうなってから感じた恐怖は、そうなる前に想像していたものとは別物だった。 人さまの力を借りればお金はどうにかなるし、月に2〜3人としか会わない生活も悪くない。 「なんだ、無職だって、無収入だって平気じゃないか」と思った2週間後、予想外の感情に襲われた。 それは「居場所がない」という恐怖だった。 どうやら人間にとって、「居場所がある」というのは重要らしい。 それだけで背筋がピンと伸びて、人生に張りがでて、無自覚ながら自信を持てる。 逆に社会から断絶されると、孤独感にさいなまれ、

    「止めるべきか、続けるべきか」の答えがある場所 - ミラクリ
    haru1014
    haru1014 2017/03/15
    どんな状況でも頼りになるのは、お金でも人脈でもなく、「居場所」。居場所というのは個人的で敏感なものだから、あるふりをしても、自分がすぐ見抜いてしまう。苦しいけれど、見つけられるのは自分しかいない。
  • 誕生日のこと|ふじお|note

    33歳になる。だからなんだという感じでもあるんだけど、これまで平穏無事に生きてこられたのでめでたいし、ありがたいことだ。去年の4月に私は転勤をして、生まれてからずっと暮らしてきた宮城県を離れた。離れるまではずっと東京で働くのが心配で、でも同時にやっていけるだろうと思っていた。住むところが違うけれどもやることは宮城とそう変わらない。それより、32歳にして初めて一人暮らしをすることの方が少し恥ずかしくてやっていけるのかなと心配だったけれど、これもまったくの杞憂で元来私は一人でいてもハッピーな人間なのだった。 さて、3.11と呼ばれるようになった私の誕生日よ。どうしたってこの日はそういう雰囲気になる。そういう雰囲気というと分かりづらいと思うけど、マスコミに流れる雰囲気がそういうやつである。だから一年後なんて自粛ムードが凄かったし、私はあのときむしゃくしゃしてケーキをべた記憶がある。 ということ

    誕生日のこと|ふじお|note
    haru1014
    haru1014 2017/03/15
    震災の日を、どのように扱ったらいいのだろう。悲しい日ではあるけれど、だれかの素敵な記念日でもある。いつまでも悲しんではいたくないけれど、忘れてもいけないから難しい。
  • 性の悦びおじさんを笑った人へ|yuzuka|note

    「性の悦びおじさんが死んだ」 その書き込みを見た時、得体の知れない胸騒ぎが「形になった」気がした。 私が最初に彼を知ったのは、彼を知る殆どの群衆と例外ではない「Twitter」での拡散動画を見たのがキッカケだった。 タイムラインにリツイートされてきたその動画を再生して、悲しくなったことを覚えている。 「こんなものを平気で拡散する人がいるのか…」 これはなにも、彼の動画が初めてではない。 今までも数多くの「一般人の奇行」を盗撮した動画が、不特定多数の人に拡散され、ネット界を独り歩きしてきたのだ。私はそんな動画を見る度に、心が痛んだ。 あの動画を「撮った」人がいる。ネットに流出した動画を見て「笑った」人がいる。そしてそんな彼をまた、他人に「見せようとする」人がいる。 彼らの動画を見て、もしくは彼らの実際の姿を見て、当に何も思わないだろうか? 乗客が多数いる車内で、大声を出す。道を歩きながら突

    性の悦びおじさんを笑った人へ|yuzuka|note
    haru1014
    haru1014 2017/03/15
    病気を指摘することは差別ではなくて、その人のために必要なこと。大人になって社会にさらされる前に気づいてあげたい。そして何よりも、見て見ぬ振りをしないこと。黙っていることも加害者と同じこと。