このマガジンは2016年に始めました。運営当初から方針や内容がコロコロ変わりますが、その変化も含めて楽しんでもらえると嬉しいです。
「週刊文春」編集長の仕事術 究極の仕事術は「週刊文春」に学べ! ! 人脈、企画、交渉、組織、決断、戦略など 「現役」編集長が裏側を全公開する! バックナンバー一覧 「週刊文春」の現役編集長が初めて本を著し話題となっている。『「週刊文春」編集長の仕事術』(新谷学/ダイヤモンド社)だ。「君の名は。」などのヒットで知られる映画プロデューサーであり、作家の川村元気氏も本書に感想を寄せてくれた一人だ。今回は、その一部始終をお届けする。(編集:新田匡央、写真:宇佐見利明) 本当に怖い人は明るい 編集部(以下、青文字):そもそも川村さんと新谷さんはお知り合いなのですか? 川村(以下略):一度、じっくりお話をする機会がありました。僕が週刊文春で連載していた小説『四月になれば彼女は』が終わった後の打ち上げです。映画がお好きな人なので、そのときは映画の話ばかりしていたような気がします。 川村元気(かわむら・げ
<機械が人間にとってかわり、多くの人々を失業させるのではという問題は、未だに重要だ。なんとか文化を変えて、お金を稼がない人にも尊厳を与えるような仕組みや制度を作り出せるだろうか?> 訳:Hiroo Yamagata 多くの人々を失業させるのではという問題 最近、技術研究者、経済学者、ヨーロッパの哲学者や進学者たちとの会合に参加した。参加者は他に、アンドリュー・マカフィー、エリック・ブリニョルフソン、リード・ホフマン、サム・アルトマン、エリック・サロビル神父だ。ぼくにとってこの会合が特におもしろかったのは、会話に神学的(この場合キリスト教的)な視点があったことだった。話題の中に出てきたのが、人工知能と仕事の未来だった。 機械が人間にとってかわり、多くの人々を失業させるのではという問題は、何度も繰り返されてはいるけれど、未だに重要であり続けている。 サム・アルトマンらは、生産性の激増は経済的な
赤ちゃん、特に歩けない時期の赤ちゃんは、親に世話されなければ生きていけません。 かわいらしいけれど、無力で何もできない存在。そんな風に思っている人も多いかもしれません。 でも、実物の赤ちゃんはそうではありませんでした。そんな話を、今回はツラツラ書いていきます。 「本を読んで」赤ちゃんを知ったつもりになっていた 私は人間心理についての仕事に就いているので、子どもの発達心理については、それなり勉強をしているつもりでした。 発達心理学系の本や、進化生物学系の本には、「赤ちゃんはそんなに受け身じゃない」「赤ちゃんアクティブだぞ」と書いてあって、そうか、赤ちゃんってのは母親に世話されるだけの“でくのぼう”ではないのか、と知識としては知っていました。 で、ある日、我が家に赤ちゃんがやってくることになりました。 少し肌寒い、小雨交じりの曇り空のある日、静かに眠る赤ちゃんが大切に抱えられて運ばれてきました
いろんな仕事をこなす「ゼネラリスト」は目立てない? サイバーエージェント2年目社員の悩みにUUUM創業者が喝
前回、僕は何度も何度も注意しても全然改善しないタイプの社員が、なぜ何度注意しても改善しないのかについての記事を書いた。 簡単にいえば、あれは字が汚い人の字がある日突然キレイにならないのと同質の問題であり、彼らの中にある独自のルール(よくない習慣と言ってもいいかもしれない)を変換させないと一生そのままだという事だ。 前の記事で僕は字が汚い人の字を綺麗にするためにはペン字(というルール)を習得させるのが一番であり、それと同じように仕事ができない社員にはしっかりと処方箋を出してそれを履修させるべきだと書いた。 さてここまで書いておいてなんだが、筆者の字はいまだに汚い。解決方法を知ってる癖に、なぜ僕の字は未だに汚いのだろうか? 実はここにできない社員を改善させる為のTIPSがつまっている。 今日は実践編として、実際にどうやってできない社員を教育していくべきかについて書いていこう。 困った社員の周り
失敗の本質という本がある。 旧日本軍の行動原理を京都大学の学者が分析し、日本が戦争に負けた原因を探っていくという本で、よく日本型経営の弱点を知るための教材として様々な雑誌で名著と紹介される事の多い本である。 僕も以前この本を読んだ事があるのだけど、どうにもこうにも内容が頭に入ってこなくて困っていた。 日本史にあまり詳しくないからなのかもしれないけども、これを読んでも「そもそも”失敗”って何だろう?ミスと何が違うのか、さっぱりわからん」と疑念が拭えなかったのだ。 それが最近、”人生を壊しかけた人達”についての記事を書く機会に恵まれ、ようやく失敗というものがどういうものなのかについてキチンと理解する事ができるようになった。 これは非常に有益な知見だと思うので、今回は”人生の失敗”が果たしてどういう事なのかについてを書いていこうかと思う。 「失敗学」における失敗はピンとこない。 僕は以前にガチ恋
ある会社にて。 上司に「お前の説明はわかりにくい。イライラする。」と、怒られていた人がいた。 それを見て、少し思い出したことがある。 ——————- 大学を卒業し、働き始めて、最もカルチャーショックを受けたことの1つが、 「俺が理解できないのは、お前の説明が悪いからだ」 と言う論理だ。 具体的に言おう。 ある時、私の同僚が上司から「皆の前でグループの施策を説明せよ」と、言われた。 同僚は残念ながら、あまり説明がうまくない。話が前後したり、話題の大小関係も整っていない。 私は正直、よく理解できなかったので、その同僚にもう少し詳細の説明を求めるべく、質問をしようとした。 その時、上司は言った。 「全然わかんねー。おい、何を言ってるのかわかったか?みんな。」 皆、沈黙をもってそれに答える。 おそらく皆もわかってないのだろう。 上司は言った。 「最低の説明だな。もっとわかりやすく話せ。」 同僚はさ
これまでは応援してもらう側、アドバイスをいただく側だった私も、徐々に応援する側、アドバイスする側として関わる機会が増えてきました。 そうした経験を重ねるにつれ、一見簡単そうに見える「応援する」という行為も、実は無償のGIVEと我慢をどれだけ続けられるかという人間力が試されるものなのだと気付きました。 「コミュニティデザイナーの役割は、人と人、“楽しさ”と“課題解決”をつなぐこと――studio-L・山崎亮さん」という記事の中で、「よそ者」としての関わり方について説明されているのですが、このスタンスで関わっていける人はほんの一握りなのではないかと思います。 明確にひとつ、意識していることがあります。それは、よそ者である自分たちが「これをやりたいです!」と言わないことです。「そんなん必要ない!」「アンタが勝手にやりなはれ!」と突き放されてしまいますから。 (中略) 僕らはむしろ、“よそ者”とい
僕を「年上の人」として慕ってくださる方がいる。「先輩」になることもある。僕はいつも、もどかしくなる。 たしかに、目上の方に敬語を使うのは、ここ日本において絶対必要なことであると思う。僕もそうしてるし、そうするのが常識だとは思う。50歳のおじさんに「そうだよね〜!」なんて言ってる人は、きっといない。 ただ、こと僕に対しては、そういう類のものは不要である。僕はそこまで出来た人間じゃない。「目上」なんてカテゴリーに入れて良い人間じゃない。自分のことは、酒を飲んで酔っ払ってるだけの、ただのくだらない奴だと思っている。僕より年下で、僕よりもずっと立派な人なんかごまんといる。これは、自分を卑下しまくりネガティブな感情に任せ切って言っている訳ではない。心からそう思ってる。僕よりもちゃんとしてる20歳。21歳、22歳。 もちろん、僕以外の年上の人に対しては、きっちり敬語を使った方が良い。それは当たり前の話
萩中ユウ オフィシャルブログ「かわいい鬼嫁になる方法」Powered by Ameba 結婚相談所Marions代表 著書「1%も尽くさないで一生愛される」など5冊 さっき、公式LINE@に 「どうしたら、笑顔になれますか?」 とメッセージが届いた。 私、昔は母によく「ゲラ子」って呼ばれていて (なんでもすぐゲラゲラ笑うからという理由で 笑) 今でも変わらず本当に笑い上戸なのだけど でも、反対に、 よく怒るし(これは夫限定) よく泣くし(悲しかったり・感動したり) 喜怒哀楽が子供の頃のままなのです。 よく「マイナスの感情」って言葉を聞くけれど マイナスの感情ってなんだ・・・?? 感情にプラスもマイナスもないと思う。 嬉しいと感じることが良いことで 悲しいと感じることが悪いこと、 なんておかしいし どっちかに偏ったらものすごくバランスが悪くなる。 どの感情も、「感じ切ること」が大切で そのど
くだらないのが好きだ。酒を飲んで酔っ払って、可愛い女の子との下世話な話をするのが好きだ。オヤジギャグが好きだ。10年ぶりの水風呂で溺れてしまったという友達の話が好きだ。犬のオナラが好きだ。メンソールのタバコを吸って風邪を引いた親友が好きだ。 つまらないのは嫌いだ。人の悪口が嫌いだ。人の悪口を言う奴のニヤニヤした顔が嫌いだ。塩をかけた飯だけを食らう給料日3日前が嫌いだ。予定の無い日曜も、全然笑えない話を延々聞かされるのも嫌だ。 「くだらない」と「つまらない」は、似ているようで全く違う。紙一重だけども、紙を隔てた時点で一点も交わらない。全然違うものである。 「くだらない」には愛がある。訳のわからないジョークを言っている友達の前では、「何それ、くだらねえ」と言いながらも多分笑顔を浮かべている。前日にパチンコで5万円ほど儲けた奴が、今日の22:00になってスッカラカンになった話。何なら貯金をちょっ
現在ほぼ日で連載中の「東京という名の、広い森。」がおもしろい。 建築家で江戸東京博物館・館長の藤森照信さんと糸井重里さんによる、いわば「東京って、なんだろう?」をテーマにした対談だ。この連載のおもしろさはいろいろあって、たとえば藤森さんがお相手だから、初回から「江戸・東京の建築物」を語りあってもぜんぜんいいと思う。むしろ、取材メモを片手にのぞむ記者ならそこからはじめる。ところが第1回で語り合うのは「お膝元としての東京」。つまり「天皇陛下がいるところ」としての東京だ。たしかにこれは江戸以前とは違う「都としての東京」を考えるうえで、いちばんおおきな前提なのかもしれない。すごい導入だなあ、まったく見事だなあ、と思う。 という内容面のおもしろさとは別に、この対談はリズムがいい。回を追うごとに興に乗ってくる感じが、とても心地いい。 たとえば第2回の「東京を研究する」。 ここで糸井さんの発言に対して、
「デブはうつる」という説、知ってますか? 太っている人とずっと一緒に行動していると、元々痩せていた人も何故か太ってしまうという説です。 これ、理由は単純ですよね。太っている人は太るような食生活だったり、出来る限り運動や歩くのを避ける習慣だったりするわけで、一緒にいると同じように太ってしまうという現象です。 これと同じ現象で、「ネガティブはうつる」というのもあります。 誰かの悪口ばっかり言ったり、世の中の悪い面ばかり見つけては「あれはダメだ。だからダメなんだ」ばかり言う人っています。 そういう人とずっと一緒にいると、やっぱりネガティブがうつるんです。 「うんうん、そうだよね。あいつはわかってないよね」とか「やっぱり世の中が悪いよね」とか「あれって駄作だね」って感じで、いつの間にかネガティブなことばっかり言うようになるんです。 あれ、つらいんですよね。 自分がネガティブ思考になっているのがどう
演劇は“違う世界を見ている相手”に寄り添う知恵を与えてくれる|「老いと演劇」OiBokkeShi(オイボッケシ)菅原直樹【アートに学ぶ#7】 これからの暮らしを考えるために【ぼくらの学び】特集、はじめます。 2016年、ダンス、演劇、音楽劇などのパフォーミングアーツが好きなわたし(編集部・立花)は、「私はアートで救われるのか」という問いを掲げて様々な方に取材を行いました。 その結果、私自身が救われた経験があるからこそ、その経験を誰かと共有したいということが分かり、同時に次なる疑問がわいてきました。それは「私はアートで誰かを救えるか」。アートという表現方法を通して、誰に何ができるかを考えます。 生きているひとは、いずれみな、死を迎えます。 その途中で体は老い衰え、昔はできていたことができなくなったり、時にはボケて記憶がおぼろげになったりします。 老いや、ボケや、死につきまとうイメージは、つら
養子縁組支援を行っている、認定NPO法人フローレンスの駒崎です。 昨今、養子という運命について既に整理のついている大人や、養子を迎えていかに幸せな家族を築いているかを伝える大人の声は比較的紹介されることが増えたものの、「養子となった子ども」本人の現在進行系の気持ちは、まだなかなか語られることがありません。 今回、NHKの番組でゲストとなった本人にお話を伺うことができました。 (※未成年のため氏名や画像についてはすべて仮名・架空のイメージで構成しています。) はじめにインタビューに応じてくれた18歳の男子高校生ケイタ君は、乳児院から2歳半の時に現在の両親の元に迎えられました。現在の両親とは、特別養子縁組の手続きを経て、法律上も親子になったのです。 育ての親は当時不妊治療の過程で、実子を授かる可能性が低いことが分かりました。それでも子どもを育てたいと希望した夫妻が、児童相談所職員の紹介で初めて
自分にとって天職かどうかを見分ける方法、それは「その対象物のディティールが好きかどうか」なのかもしれません。 他人にとってはどうでもいい違い。 でも自分にとっては、そのディティールの違いこそが重要で、そんな違いを見つけたときに自然とテンションが上がってしまうもの。 その違いを見極めるために、自分の中でドンドンと解像度をあげていきたいと思えるかどうか。 自分にとっての天職を見極めるうえで、そんなことが大切なのかもしれません。 「スチーヴ友の会」で聞いた『暮らしのおへそ』一田憲子さんのお話。 なぜ突然こんな話を始めたかというと、先日行われた「スチーヴ友の会」で、一田憲子さんと松浦弥太郎さんの対談を聞いたからです。 「『暮らしのおへそ』を11年間続けてきて、大変だったことはありますか?」という松浦さんの質問に対して、一田さんは「色々な方に、暮らしのおへそ(習慣)をインタビューしていくと、だんだん
中学生のころ、ホームセンターが好きだった。 だだっぴろい駐車場があり、入口付近に園芸コーナーがあり、ネジ、ペンキ、木材、工具なんかがたくさん置かれた、家庭人たちの「趣味と園芸」を体現したような空間である。ひまと元気を持て余した中学生。なにを買うわけでもないのにホームセンターに出かけてはぶらぶら時間をつぶし、申し訳程度に油性ペンなんかを買って満足していた。 都心で暮らすようになって、残念だなあと思うのは近くにホームセンターがないことである。ほしいものがあるわけじゃない。わざわざ休日をつかってお出かけするほどでもない。ふらっと立ち寄って、ぶらっと時間をつぶす。そしてわけもなくワクワクするあの感じ、いわゆるショッピングモールじゃ得られないんだよなあ。 と思っていたのだけど最近、自分がまったく同じよろこびをドラッグストアで得ていることに気がついた。 うちの近所には、駐車場付きのドラッグストアがある
どうも鳥井(@hirofumi21)です。 最近、ブログやウェブメディアのPV数ってどれぐらいモテるのかという話によく似ているなぁって思います。 モテるには秘訣がある。でも本当にモテたいのか? そう考えると、確かにモテるためには秘訣があります。でも、「一体あなたは誰に好かれたいの?」という問題も同時に浮上してくる。 本当に自分が振り向かせたいと思った相手を全く振り向かせることができなければ、どれだけそれ以外の不特定多数の人たちからモテたとしても結局虚しいだけで…。 だからウェブでも同じように、本当に共感してもらえる人達に届けることが大事だと思っています。 道を歩いている不特定多数の人たちがどれだけ振り返ってくれたとしても、本当に納得してもらいたい目の前の一人を振り向かせることができなければ、そんなの無意味でしょう? どうして、それがリアルだと理解できるのに、ウェブだとPV数やいいね!数など
ちゅうつねサロンの 今月のテーマは 「コミュニティ内有名人になる」だった。 「有名人」にならなくても、 場所限定の有名人でいいから目指してみる、というテーマで 毎週課題を投稿していって それは自分自身で自分の立ち位置を再確認することにも すごく役立ったのだけど、 それにしても、 世の中には私が思っている以上に 「影響力を持つことが怖い」人が多いみたいだ。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く