多読王国-タドキストの冒険の世界-へようこそ 多読王国はタドキストの暮らす国。たくさんのタドキストたちが多読を通じて英語学習の冒険をしています。 終了 多読王国は運営を終了しております。 現在は多読アーカイブから、皆さんにオススメの多読用の洋書が分かりやすく紹介できるように整理しております。
英語と日本語では、文章の組み立て方が異なっています。このことは、日本人が英語で書かれた文章を読む際に感じる違和感や文章の理解を妨げる要因にもなっています。私のような英日翻訳者にとっては重要な事実です。この違いを理解することは、英語の哲学書を読む際にも役に立ちます。 英語の文章は、パラグラフ単位で構成されています。パラグラフにはトピックとなる文があり、その他の文でトピックを詳細に展開していきます。英語の文章では、文と文との関係が、その「構造」(structure)によって「暗示」されることが多く、日本語と違い、論理的な関係を「なぜなら」、「しかし」、「そこで」などの接続詞で明示しないことも多々あります。英語の文章を読む際は、パラグラフのトピックを見極め、文と文がどのような関係にあるのか(支持、譲歩、理由など)、暗示されたパラグラフの構造を読み解く必要があります。 日本語の場合は、接続詞を用い
ようやく年内の仕事に一区切りついたので続き。訳語についてつらつらと。かなり長いよ。 延続・耐続(perdure/endure) これには本当に紆余曲折があった。そもそも僕が最初にperdure /endureに出会ったのは、院生時代のゼミでLewisとLoweのやり取りが取りあげられたときか。そのときから、これはどう訳しても良い訳にならないと思っていた。なにしろ、元の英語ですらそんなニュアンスの違いはないんだから。実際「訳を放棄する」という方針を取ったこともある。 ひとつの転機は、やはり青山訳の「永存・耐時」。特に「耐」という漢字を使うなんて思いもつかなかったが、確かにそれでendureの雰囲気がより伝わる。しかし、青山訳の問題は「永存」。本書のあとがきでも述べられているが、perdureと「永遠・永久」は直接結びついていない。特に、ここを安易に結びつけてはいけないというのがSiderの論
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