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2012年9月30日のブックマーク (9件)

  • 出版祝いの極私的後書き・その2 - Perduranceな日々

    id:shinichiroinabaさんの期待に応えるべく、昨日の予告通りexduranceについて書いてみた。とても長くなった…。 最初は「exduranceって要は段階説(stage theory)のことなんだからわざわざ別の用語を作る必要ないじゃん」と思っていたんだけれど、ちゃんと考えてみると、そう言い切るのはいろいろ厄介だということに気付いた。ただ、それでもexduranceを耐続(endurance)とも延続(perdurance)とも異なる第三の持続とみなすのはなかなか大変だと思う。ポイントは次の二点。 exduranceとはSiderの段階説をワームに依存しないように解釈したものだが、その結果、問題点が無闇に増えている。 exduranceは意味論に関する理論であって、耐続vs延続という存在論的論争とはレイヤーが異なる。したがって「exdurance」という用語は不適当。 以

    出版祝いの極私的後書き・その2 - Perduranceな日々
  • 出版祝いの極私的後書き・その1 - Perduranceな日々

    ようやく仕事が一段落着いたので、やっぱり四次元主義の哲学―持続と時間の存在論 (現代哲学への招待―Great Works)について書こうと思う(ついでに新しいカテゴリーを作ってみた)。 まず、購入してくださった方々(たとえばこことかこことかこことか。ここは出版社からの献か)に訳者の一人として感謝します。ありがとうございました。ちなみに、Amazonランキングが上下してるので(だいぶ低いレベルだけれど)、ちょこちょこ売れてるようです。なので、この様子なら全部で50冊ぐらいは売れるでしょう。できれば、周囲の人々に「分析的形而上学のなんて自分には難しいかと思ったけれど、案外すらすら読めるもんだね」なんてウソをついて買わせて下さい(笑)。 さて、このを買った人のために、各章のガイドでも書いてみよう。 序論:書の方法論ないしメタ存在論(metaontology)がテーマ。解説でも述べられて

    出版祝いの極私的後書き・その1 - Perduranceな日々
  • 四次元主義の哲学出版祝いの極私的後書き・その3 - Perduranceな日々

    ようやく年内の仕事に一区切りついたので続き。訳語についてつらつらと。かなり長いよ。 延続・耐続(perdure/endure) これには当に紆余曲折があった。そもそも僕が最初にperdure /endureに出会ったのは、院生時代のゼミでLewisとLoweのやり取りが取りあげられたときか。そのときから、これはどう訳しても良い訳にならないと思っていた。なにしろ、元の英語ですらそんなニュアンスの違いはないんだから。実際「訳を放棄する」という方針を取ったこともある。 ひとつの転機は、やはり青山訳の「永存・耐時」。特に「耐」という漢字を使うなんて思いもつかなかったが、確かにそれでendureの雰囲気がより伝わる。しかし、青山訳の問題は「永存」。書のあとがきでも述べられているが、perdureと「永遠・永久」は直接結びついていない。特に、ここを安易に結びつけてはいけないというのがSiderの論

    四次元主義の哲学出版祝いの極私的後書き・その3 - Perduranceな日々
  • On the Plurality of Worldsは大変だ - Perduranceな日々

    ここしばらく、K大学のMetaphysics勉強会でのレジュメ担当で忙しかった。担当箇所はOn the Plurality of Worldsからの抜粋。もはや知らない人はモグリだと言っても過言ではない、分析的形而上学の記念碑的作品。じっくり読む機会が得られてとても有益だった。 ただ、今日の箇所にはだいぶひっかかりやすいところがあった。というか、ぶっちゃけ誤植もあるので、これから読む人の助けになるようにここで記録しておく。 問題の箇所は、4.3節「Against Trans-World Individuals」のp. 214から始まる星付き言語(starred language)を定義しているところ。星付き言語というのは、「*-Humphrey」「*-win the presidency」のように、ふつうの名辞や述語に「*-」がついているもの。要は、貫世界的個体に対して用いられる表現として

    On the Plurality of Worldsは大変だ - Perduranceな日々
    haruharu36
    haruharu36 2012/09/30
    On the Plurality of Worldsの誤植
  • 日本語の読書案内・その5 - Perduranceな日々

    久しぶりすぎてどんなこと書いてたのか忘れてるけど続き。 〈第5章:何かがあるのはどうしてかに関して〉 第4章に引き続いてこの章もなかなか大変。「この世の中がまったくの無ではないのはなぜか?」という問題自体は、これぞ哲学って感じだから理解やすいと思う*1。でも中身はというと、第4章に負けず劣らずちまちましていて流れがつかみづらい。そのうえ、第4章とかぶってることが多い(たとえば、どっちの章でも存在論的証明が取り上げられている)。実際、第4章と第5章はセットになってると言うか、二つでひとつみたいなところがあるんだよね。なんでこんな構成にしたのか不思議だ。 とりあえず、この章の全体像をちょっとでもイメージしやすくするために、ここでおおざっぱに整理してみたい。この章は三つのパートに分かれてる。最初のパートでは、どういう問題を扱うのかが説明されている。131ページの「必然論」からは次のパート。ここで

    日本語の読書案内・その5 - Perduranceな日々
  • 日本語の読書案内・その4 - Perduranceな日々

    明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。 年が変わったことは、これぐらいでさらっと流して前回の続き。 〈第4章:神に関して〉 この章は書の中で一番大変な章かもしれない。神が実在するかどうかについての章だから。いかにも分析哲学といった感じのちまちまとした議論が続くので、そういうのに慣れてる人orそういうのが好きな人なら面白く読めるかもしれないけれど、そうでない人にとっては、つらいんじゃないかなあ。でも、議論がひとつひとつ取り上げられていくので、話の区切り目ははっきりしている。だから、「それは一理あるな」と思った議論のところだけ読んでいってもいいかもしれない。 哲学の教科書にこういう章が入るのは、日アメリカの大きな違いだと思う。実際、アメリカでは宗教哲学*1はかなりさかん。ここで書かなかったけれど、僕がアメリカに行ってすぐの頃、PrincetonでDean Zi

    日本語の読書案内・その4 - Perduranceな日々
  • 日本語の読書案内・その3 - Perduranceな日々

    とかなんとか言ってるうちに、もう大晦日だよ…。とりあえずちょっとだけでも進めておきます。 〈第3章:時間に関して〉 この章はいいよね。誰に聞いてもこの章の評判はいい。この章だけ別のアンソロジーに入ったってのもうなづける。おすすめ。 一方、読書案内を書く身にとっては、この章はめんどう。時間論のは多いので、どれを紹介すべきかはけっこうむずかしいからね。とりあえず、『時間論の構築』は挙げておこう。 時間に関する哲学的問題はたくさんあるから、そのうちのいくつかを論じるだけで何冊もが書けてしまう。でも、このは問題について論じて終わりではなく、タイトルにもあるように、時間そのものを「構築」している。特に時間のように様々な分野に波及する問題については、個々の問題に答えを出して終わりではなく、体系的・包括的な回答を目指していかないと堂々巡りになりがちなので、こういう姿勢でやっていかないと前に進まない

    日本語の読書案内・その3 - Perduranceな日々
  • 日本語の読書案内・その2 - Perduranceな日々

    年末なのになぜかなかなか更新できないな。このペースだと、いったいいつになれば読書案内が終わるのやら。 とりあえず、今日は第2章。 〈第2章:宿命論に関して〉 この章はこのの最初の山だと思う。というのも、「議論」の概念が登場するから。議論(「論証」と訳した方がよかったような気がいまでもしてるけど)は、個人的には哲学の中心概念だと思ってる。主張されていることがどういう議論に支えられているかを検証することが哲学の基作業だと思うので。というわけで、この章では前提1とか前提2とかがやたらと出てくるので慣れていない人にはしんどいと思うけれど、こういう細かい検証作業は哲学の大事なところだから、なんとか頑張ってついてきてほしい。まあ、もうちょっと楽しく書いてくれればいいのに、という気はするけれど。 宿命論については、時間論や偶然性との関係で、入不二さんが最近いろいろ書いてるらしい(入不二さんは「運命論

    日本語の読書案内・その2 - Perduranceな日々
  • 日本語の読書案内 - Perduranceな日々

    はてなキーワードでも『形而上学レッスン』の画像が入ったみたいでなにより。 さてさて、前回読書案内のことをちょっと書いたが、ひとつ思い出したことがある。最初の頃の構想では、最後にあとがきがわりの文献案内をつけようと思っていた*1。けっきょく文にかかりっきりで、候補のをちゃんとチェックできなかったのでボツにしたんだけれど、ここならいい加減なことを書くのも許されるだろうから、ちょっとやってみる。 〈第1章:人の同一性に関して〉 「人の」というと耳慣れないかもしれないが、これは「人格の同一性(personal identity)」のこと。訳註でも書いたけれど、「人格」ということばにはいろんな手垢がついてしまっているので、ここで「person」を「人格」と訳すのは、もはやほとんど誤訳と言っていいほどだと思う*2。 もっとも、「人の〜」がいい訳かと言われれば、それも微妙なところ。『四次元主義の哲学

    日本語の読書案内 - Perduranceな日々