小泉康一 タイ人の姓名は名・姓の順に書き、名(チュー、文語ではナームとなる)を先に、姓(ナーム・サクン)を後にする。姓にはサンスクリット語を借用した長いものが多い。しかし一般には名を呼んで、姓を呼ばないのが習慣であり、正式でもある(正式にはナーイ《Mr.》、ナーング《Mrs.》、ナーングサーオ《Miss》をつけてもよいが、話し言葉ではすべてクゥンをつけるのが普通)。 というのも、タイでは仏暦2456(西暦1913)年に姓氏令がでるまでは、名のみで姓はなかったからである。家の姓というものは、ラーマ6世モンクット(ワチラウット)王 Rama VI Mongkut(Wajirawut)(在位1910-25年)が官僚制度整備の必要上から制定するまで一般的ではなかったのである。 その官吏であるが、以前は官職に就くと王から名()を賜り、その名は官職によって次々とかわっていった。すなわち1932年の立憲
元外務官僚で作家の佐藤優氏が『文芸春秋』(12月号)への特別寄稿で、菅義偉首相による日本学術会議への人事介入を報じた「しんぶん赤旗」のスクープが、事態を混乱させた原因であるかのように書いています。「文春オンライン」も、「赤旗のスクープで交渉の余地がなくなった」との見出しで紹介記事を載せています。 その趣旨はこうです。 ―「赤旗」に出なければ、任命拒否の内示を受けた時点で学術会議の山極寿一会長(当時)がすぐにかけ合えば、「官邸と学術会議の間で交渉の余地はいくらでもあった」。 ―菅首相や官邸中枢が主導的な役割を果たしたと思えず、“もらい事故”だった。 ―菅首相には「学問の自由」に介入する意図はなかった。 意図的な“事件” 事実はどうか。山極氏の会見(10月1日)によると、任命拒否の連絡があったのは9月28日の夜です。会長退任の2日前でした。理由について内閣府に聞くと、返事は「いっさい答えられな
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