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  • ニューギニア戦線のインド兵について: 読書放浪記録

    昭和17年2月にシンガポールを占領した日軍は、約10万名の捕虜を得た。その中にはインド兵が多く含まれており、一説には、約5万名に上ったとも言われている(戦史叢書『マレー進攻作戦』p626~627)。 これらのインド兵の中には、インド国民軍に参加し、インパール作戦に協力した者もいる一方で、ニューギニアやラバウルなど南太平洋戦線に送られ、日軍への協力を求められた者も少なからず存在する。後者については、これまであまり注目されることもなかったように思われるので、今回は、特にニューギニア戦線に送られたインド兵について、様々な証言などを基に事実関係をまとめてみたい。 1 ニューギニア戦線のインド兵の数 まず、ニューギニア戦線に送られたインド兵の数については、「約3,000名」だったとする記録が複数見られる。 その一つに、第20師団歩兵第79連隊の兵士だった尾川正二(戦後は大学教授。著書『極限のなか

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2020/02/24
    "本記事で述べたように、当時の日本軍はインド兵をニューギニアなど幅広い戦線に送り出し、日印双方にとって不幸な結果をもたらしている。こうした歴史があったことも、同様に認識しておくべきことであろう" →歴史
  • 藤原岩市参謀と、インパール作戦の「統制前進説」について: 読書放浪記録

    太平洋戦争中、ビルマ戦線の第15軍で情報主任参謀を務めた、藤原岩市少佐(のち中佐)という人物がいる。インド独立支援の文脈で高く評価される傾向のある軍人だが、インパール作戦に関する彼の身の処し方には少なからず疑問の点があり、個人的には彼への評価は非常に辛い。彼のこういった部分に触れた話はあまり取り上げられていない気がするので、人物評価のバランスを取るために、今回は彼の疑問点についてまとめてみる。 第15軍司令官・牟田口廉也中将に関する有名な逸話として、インパール作戦失敗の責任を負い自決すべきかどうか、部下の藤原に相談したところ、かえって藤原から気で自決を勧められた、というものがある(詳細はこちらを参照)。意外に知られていないが、藤原は牟田口と同様、インパール作戦の推進に積極的だった人物である。作戦開始前、第15軍の多くの参謀たちが無謀な作戦に否定的だった中で、牟田口と藤原の両名は作戦の実施

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2018/12/18
    "藤原は牟田口と同様、インパール作戦の推進に積極的だった人物""第15軍の多くの参謀たちが無謀な作戦に否定的だった中で、牟田口と藤原の両名は作戦の実施を強く主張" →こいつはひどい(こなみ
  • 広中一成氏の「牟田口廉也の宴会エピソード」否定論について: 読書放浪記録

    星海社新書から『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』を刊行された広中一成氏が、ジセダイ総研というサイトで、「牟田口廉也「愚将」逸話の検証 伝単と前線将兵」という記事を発表されている(以下、「広中記事」と呼ぶ)。その中で広中氏は、「牟田口中将がインパール作戦中に連日宴会を開いていた」とのエピソードに関して、「宴会逸話の初出は高木俊朗の著作か」などとして、その信憑性に疑問を呈されている。 この広中氏の見解が妥当なものかどうか、検証してみたい。 なお、「軍人が宴会に興じていた」などという事実は、公文書に記録されるような性質の話ではないし、当事者が日記などに記録したがる事柄でもない。公的史料や当事者の記録だけに頼って立論しようとすれば、「そのような事実は発見できなかった」という結論に至ることは極めて当然であり、事実関係を明らかにするためには、当事者の周囲にいた人々の証言に当たることが

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2018/09/23
    "少なくとも、第15軍幹部たちの乱脈ぶりは、牟田口の軍司令官としての統率の至らなさを示すものであり、その責任は司令官たる牟田口も負うべきものであろう。" →関連:https://twitter.com/bokukoui/status/1042423397441916928
  • 広中一成氏らの見解への疑問(高木俊朗の作品について): 読書放浪記録

    前回、牟田口廉也の宴会エピソードに関する記事を書いたが、その後、再びジセダイ総研に、「昭和陸軍と牟田口廉也 その「組織」と「愚将」像を再検討する」という座談会レポート(以下、単に「レポート」と呼ぶ)が掲載された。 このレポートの内容にも疑問点が多々あるので、改めて検証してみたい。 1 『抗命』と『戦死』の記述の重複説について(1) レポートの中では、以下のようなやり取りが行われている。 「広中:たとえばですが、高木俊朗の『抗命』の中に、牟田口が第十五軍司令部に作らせた遥拝場の前で、撤退してきた幹部の前で長々と精神訓話を垂れて、栄養失調の幹部たちがバタバタと倒れた......という有名な逸話があります。 辻田:ああ、誰でも知っているようなやつですね。 広中:ところが、おなじ高木の『戦死』にはこれに極めて類似した逸話が、桜井徳太郎のものとして出てくるんですよ。こうなると、実証史学的にはどちらも

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2018/09/23
    "実際に様々な回想録に触れた上で、不正確な記述は他の根拠をもって否定すればよいのであって、入口で回想録の類をシャットアウトしようとするやり方は、あまり望ましいものではないように思われる" →に尽きる
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