ブックマーク / himadoki.hatenadiary.org (2)

  • 大江健三郎と中国の核実験(1964) - いまどきそんなものを読んでいるのか君は

    前の記事に関連して、大江が1964年の中国の核実験に実際にはどのように反応したかのメモ。 1964.10.26,中国で最初の核実験が行われる。 596 (核実験) - Wikipedia 1964.11.22 南原繁・大江健三郎など24人,中国の核実験に抗議の声明書発表. (http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/cgi-bin/retrieve.cgi?Module=nenpyo1&condition=AND&name1=19641122&input_limit=50) このとき大江は日中文化交流協会を退会している。 しかし、ぼくは中国の核実験に接して、次のように書き、日中文化交流協会を個人的に退会しました。個人的に、というのは、ぼくの退会が連鎖反応をひきおこしたりすることがないよう、自分の態度決定についてなにも書かない、なにも話さない、ということをきめた、と

    大江健三郎と中国の核実験(1964) - いまどきそんなものを読んでいるのか君は
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2023/03/17
    "前提条件に抵抗すべきだ、と述べている。それは前の記事で取り上げた文章の中で、中国の技術者達の誇りを認めた上でしかし、と続けるのとまったく同じ書き方だ。『沖縄ノート』から引いた文章も同様" →ブクマ
  • "いかにも美しく感動的であった" - いまどきそんなものを読んでいるのか君は

    Wikipediaの大江健三郎の項目に次のような一節がある。 秦郁彦は、1967年の中国の核実験の成功について大江が「(キノコ雲を見守る中国の研究者らの表情を)いかにも美しく感動的であった」と評していることを批判した[21]。 (大江健三郎 - Wikipedia,太字による強調は引用者) これだけ読むと大江が中国の核実験を賛美していたように思える。実際そのように解釈して批判している人がweb上には多い。 この言葉が実際にどのような文脈で書かれたのか、以前から確認したいと思っていた。 そこで、図書館で、元の文章を探して読んでみた。 問題の文章は岩波書店『世界』の1967年9月号に掲載された、『パール・ハーバーにむかって -アメリカ旅行者の夢 IV-』と題されたエッセイだ。 アメリカのナンタケット島に行った時の記憶から語りだされ、『白鯨』の話から核時代、戦争における憎悪の連鎖についてというふ

    "いかにも美しく感動的であった" - いまどきそんなものを読んでいるのか君は
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2014/04/23
    "続く文章は、・見た目はいかにも美しく感動的な光景だが、・しかし本当は恐ろしく悲惨なものなのだ、という対比""後半を切れば、当然ながら、文章の意味は逆になってしまう" →よくある手口(こなみかん
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