ブックマーク / www.10plus1.jp (2)

  • データベースとしての美術館——ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」の射程 暮沢剛巳

    前回は「『ミュージアム』の質は複製とデータベースという問題を通じて顕著となる」という主旨のことを述べて締めくくった。根拠を明示しない断定はやや拙速だった気もするが、しかしこの断定に対してまず異論が生じないことも確かなように思われる。美術作品のコレクションをはじめとして、膨大な情報が格納された「ミュージアム」は、確かに極めてアーカイヴァルな施設である。施設が巨大化し、作品の点数が増大すればするほど、年代やジャンルなどの精密な基準に応じた分類が不可欠になるわけだから、その内実をデータベースという比喩で語ることには何の違和感もないであろう。その意味では、「ミュージアム」とはまさしく、コンピュータの普及に先立って確立された概念に先行したデータベースなのである。 しかし、いまや疑う余地のない「ミュージアム」とデータベースのアナロジーが自明のものとなったのは、果たしていつのことなのだろう? 少なくと

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2014/11/09
    "ベンヤミンはリアリズム絵画と複製技術の関係をめぐる或る断章を著しているが、その中でもやはり、「作者は十回続けて同じ絵が描けるほどに徹底して非個性的でなければならない」と" →職人さんみたいだw
  • 伊勢神宮を語ること、その可能性と不可能性──式年遷宮を機に

    伊勢神宮をいかに語りうるか 青井哲人──昨年、第62回目の伊勢の式年遷宮が行われましたが、建築関係の雑誌では関連する特集は組まれていないようです。第59回のときのように伝統論の盛り上がりがあるわけでもなく、そもそも歴史が現代を活性化させるような関係が顕在化しなくなって久しい。こうしたなかで、今日は遷宮それ自体を問うというより、「伊勢神宮」あるいは「神社」とは何か、あるいはむしろそれを「いかに語りうるか」について議論できればと思います。宗教、民族、政治、国家など色々なテーマが出てくると思いますし、先史・古代から現在までを乱暴にでもカバーしたいと思っていますので大変ですが、井上さん、安藤さんとざっくばらんに議論できればと思っています。 「神社をいかに語りうるか」がなぜ問題になるかといえば、基的に神社は「言挙げせず」、つまり教義体系を言語的に明確化したり社会化したりしないし、そもそも「起源」も

    伊勢神宮を語ること、その可能性と不可能性──式年遷宮を機に
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2014/09/17
    "折口信夫が百合若大臣を論じるさいに、間違いなく文献から思い付いているはずなんだけど、読んでいないふり""文献を読んでいても読んでいないふりをするあの情熱" →小林秀雄とかがやってそうな方法(こなみかん
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