かつて、漢文の「故事成語」って不思議なものだな、と思っていました。なぜ庶民の日常生活が、現代日本の常識となるまで有名な言葉となったのか。 じつは、わかってしまえば簡単なことでした。 「三羽邦美の[漢文]に強くなる実況放送」の中に、「矛盾」に関して、こんな説明があります。 この話は『韓非子』にあるんです。実は韓非子は、このたとえ話で儒家を非難しているんです。儒家の連中は自分たちの「徳治主義」政治の理想像として何かというと太古の「堯」とか「舜」といった実在もしない人物を「聖天使」といって持ち出すわけです。「堯」の次の天子が「舜」なんですが、堯が非のうちどころのない聖天子だったのなら、舜が徳を施して人民を善に導く余地はなかったはずだろうし、舜がその人徳で人々の争いをしずめたりしたというなら、堯の時代には天下はよく治まっていなかったことになる。堯も舜も聖天子だといういい方には「矛盾」がある、という