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2007年1月5日のブックマーク (7件)

  • はてなブログ

    太巻き会2023 -みんなで巻こうLONG太巻き- みんなで長い太巻きを巻いたときの記録です。こんくらいのどデカい太巻きを目指すぞー! [泉]東京都現代美術館コレクション展「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」よりチラシとかあったら気分が上がるかなと思い、こないだのアフタヌーンティー会の前夜に…

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    hasenka
    hasenka 2007/01/05
    成る程とこの思考に納得してしまう自分は意思が弱いのか懐が大きいのか。
  • 世界五分前仮説 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2017年11月) 世界五分前仮説(せかいごふんまえかせつ、Five-minute hypothesis)とは、「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という仮説である。 哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつで、バートランド・ラッセルによって提唱された。この仮説は確実に否定する事(つまり世界は5分前に出来たのではない、ひいては過去というものが存在すると示す事)が不可能なため、「知識とはいったい何なのか?」という根源的な問いへと繋がっていく。 たとえば5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。以下、ラッセルの文章 世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実

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    hasenka 2007/01/05
  • 現代における作家とは何か: ホットコーナー

    ブログ(iiyu.asablo.jpの検索) ホットコーナー内の検索 でもASAHIネット(asahi-net.or.jp)全体の検索です。 検索したい言葉のあとに、空白で区切ってki4s-nkmrを入れるといいかも。 例 中村(show) ki4s-nkmr ウェブ全体の検索 ASAHIネット(http://www.asahi-net.or.jp)のjouwa/salonからホットコーナー(http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/ )に転載したものから。 --- 遅くなったが、2006年9月23日に早稲田大学井深大記念ホールで行なわれた http://www.japanpen.or.jp/katsudou/event/060923.html 「日ペンクラブ・言論表現委員会 シンポジウム 現代における作家とは何 か-売れなければ作家じゃないのか?-」

    hasenka
    hasenka 2007/01/05
    なんかずいぶんステレオタイプな見方だなぁ。作家はそんなに限定されないとならないのか
  • ドキュメンタリーはノンフィクションなのかについて映画『ダーウィンの悪夢』で考える - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    これは以下の日記の続きです。 →映画『ダーウィンの悪夢』に関する「嘘」について こんなのがあったので、 →はてなブックマーク - タンザニア大使が抗議!「ダーウィンの悪夢」アフリカのイメージ壊す 2006年12月06日 Baatarism こっちと併せて読むと良いかも。つhttp://jatatours.intafrica.com/habari49.html もう一度読んでみました。 →ダルエスサラーム便り47:ビクトリア湖の環境問題 →ダルエスサラーム便り49:ダーウィンの悪夢 映画の中で描かれている事実は、総じて事実である。首を傾げるような場面はいくつもあるし、案内役の役割を果たしている水産研究所の夜警のセリフは、かなり意図的である。それは措いておくとしても、さまざまな事実をどう選択し、どう羅列するかは、製作側の意図である。ドキュメンタリー映画とはいえ、監督の主張、作品であることを忘れ

    ドキュメンタリーはノンフィクションなのかについて映画『ダーウィンの悪夢』で考える - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
    hasenka
    hasenka 2007/01/05
    ドキュメンタリーの限界
  • メディアはマッサージである - 池田信夫 blog

    ふだんはほとんどテレビを見ないが、正月ずっと家にいたので、いやでもテレビを見てしまう。しかし特に民放の番組は、ほとんど5分と見ていられない。せりふを字幕でなぞり、映像を見ればわかることをコメントでなぞり、ビデオ素材の内容をスタジオで「気の毒ですねぇ」などとなぞる。このしつこく相槌を打つ傾向はワイドショーでもっとも顕著だが、最近はニュース番組にも広がり、「報道ステーション」などはスタジオの時間の半分ぐらいはキャスターの個人的な感想だ。 少なくとも私がテレビ仕事をしていたころは、字幕は絵を殺すので最小限にしろと教育された。特に日人の言葉に字幕を入れるのは、方言が聞き取りにくい場合など、ごくまれにあったが、なまりをバカにしているように受け取られるので、なるべくやってはいけないことだった。ビデオからスタジオに返したとき余計な感想をいうのは野暮で、NHKの番組の受けコメントはたいてい演出サイド

    hasenka
    hasenka 2007/01/05
    字幕の氾濫は同時性の結果でもある。一瞬を見逃した視聴者へのサービスでもあるがいつでもどこでも見られるネット放送が実現されれば放逐されるに違いない。
  • 「長い散歩」 - HSKI's

    hasenka
    hasenka 2007/01/05
    昔からある風景も時代の変化の中のほんの一時でしかなかったりする。そんな一時もちび丸子のように永遠のように引き延ばされたりもするがその変化ごとのドラマが起こるのかもしれない。それをまた永遠と記録する人が
  • http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070104134853/index.html

    hasenka
    hasenka 2007/01/05
    辻褄というか社会がやってきた事の償いをさせられるというのはあるかも