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そういえば先日、ある見舞客から「人生観が変わったでしょう?」と問いかけられた。要するに死の一歩手前を経験したのだから、それなりにものの見方だとか価値観が変化したのだろうと言うのだ。 なるほど、命に関わる体験をして、信心に目覚めたり、それなりに信奉していた価値観がコペルニクス的転換を遂げたという人は多そうだ。俺にも、何かそういった変化が起きたなら劇的で面白いと思う。それで自分の胸に手を当ててしばらく考えてみたのだが、残念ながらまだそういった変化はなさそうだ。少なくとも俺の場合、病気前と病気後で性格や考え方にほぼ変わりはない、とこの場で断言したいと思う。 そうした心境の変化について言うなら、あくまで俺の場合、仕事がスランプに陥った時期のほうが「変化」は大きかった気がする。俺はまだ未経験だが、子供を持っても変化は大きいだろうと思う。そいつが成長するまで面倒をみなければならないという「責任」が発生
たぶん俺は楽天的性格なのだと思う。昨年暮れ、2度目の脳梗塞を発症して開頭手術を行い、意識を取り戻して、最初に思ったことが「まだ最悪ではない」という言葉だった。なぜかといえば、とりあえずはまず、生きているということ。これだけでもう最悪ではない。そして病気は俺から歩行の自由を奪い発語もやや不自由になったが、それでも他人と不都合なく話せるし、論理的思考にも問題はなさそうだ。目も見え、手先も一応動くので、ワープロを打つこともできる。つまり俺にとって、、仕事やブログに復帰するための障害は何一つないということである。 こうなると、俺のもともとの性格である楽天性が首をもたげる。その次にかんがえたことは、なんとかして「たけくまメモ」を再開できないかということと、自分の病気をギャグにできないかということだった。ブログで「脳梗塞のラブリーな言い替え方募集」をしてみようと思ったり。俺もちょっと考えたが、「脳づま
雑記。先日出先のセブンイレブンに久しぶりに行ったのだが入り口で、おやっと思った。自動ドアになっている。セブンイレブンのドアは基本的に手動だったはずだが(しかも両方から「押す」だけで「引く」はない)、このところ自動ドア化が進んでいるのだろうか。と、気になって中に入るとなにやら明るい。改装したのか。床も滑りにくいような工夫がしてあるようでもある。 上を見ると毎度毎度のコンビニお得意の監視カメラなのだが、気のせいか増えている。いったい何を監視しているのだろうと少し考える。監視カメラは二種類ある。いわゆるカメラと魚眼なのだろうかカプセル入りみたいなやつ。レジのところに四台くらいある。犯罪防止なのだろうが、案外店員の監視なのかもなとか意地悪い連想が働く。 昼飯の弁当を買う。小さいカップラーメンをスープ代わりにと思ってあたりをきょろきょろ探す。いつも使っている店でないとレイアウトがわからないものだ。う
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