本研究報告書は、2007年7月から2011年5月まで、5年間11回にわたる公開研究会ならび2回のシンポジウムの記録です。発表者は延べ35名、11研究機関ほか。 2009年度より科研費「JSPS KAKENHI Grant Number 21652020」を受けて研究活動を展開、研究顧問に山折哲雄氏を迎え、斯界識者を招聘して現代文化を考察しました。 研究報告書「ポピュラーカルチャー研究」掲載リスト
![ポピュラーカルチャー研究 | 研究報告書 | 研究成果・出版物 | 全学研究センター | 京都精華大学 | | 全学研究センター | 京都精華大学](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ab2f7d16edd4bb8c7d064fd20f8e3d72bc939be5/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fwww.kyoto-seika.ac.jp%2Fresearchlab%2Fwp%2Fwp-content%2Fthemes%2Fresearch%2Fimages%2Flogo%2Fog.jpg)
音楽ソフト(CD、DVDなど)の売り上げ低下、アイドルたちに独占されるヒットチャート、若者の音楽離れ。音楽業界には悲観的なニュースが飛び交っている。日本ではもう新たな音楽は生まれていないのか、ぶつける先のない思いを音に託す若者はいなくなったのか。もちろん、そんなはずはない。 著者である都築響一は、今いちばん刺激的な音楽は地方から発信されているという。大手レコード会社やマスメディアの集まる東京から遠く離れたストリートで、自らが生まれ育った街にとどまり、刺激的なビートにリアルな言葉を乗せているラッパー達がいるという。 彼らはどのような人生を歩み、どのようにヒップホップと出会い、なぜ今でも地方でラップを続けているのか。著者は、札幌、山梨や京都など全国各地に赴く。599ページにわたる本書には、15名のラッパーたちへのインタビューとともに、彼らのリリック(詩)が多数掲載されている。彼らが住む街、ライ
kenzee「レジーさんとこで「若者の洋楽離れ」という問題提起が各方面でバズを起こしている」 司会者「レジーさんはくるりとかユニゾンの田淵さんとかにリアクションされててスゴイなあ」 kenzee「オレ、さんざん小室の話とかしてるのにそろそろ小室さんからリアクションきてもいい頃だけどな」 小室哲哉(のツイッターアカウント)「やあ、kenzeeこんにちは。華原と小室コンビのアイドルプロダクトはビジネスモデルとしては大失敗。その後のアイドル産業にとって教訓となった、とか悪口ばっかり言ってテメー。あの頃、若い女の子が年をとるってとこまで勘定にいれてなかったんだよなあ」 kenzee「ア、小室さんはじめまして。昔、中学生のときに近所のレンタルレコード屋の優&愛で(ちょうどその頃、メディアがレコードからCDに切り替わる時期だったので)レコード100円大処分バコのなかにスピードウェイ(TM NETWOR
「初音ミクによるオペラ」を観に、山口情報芸術センターへ行ってきた。 山口駅の近く、県庁所在地ではあるものの都会と比べると古さが否めない街並みの中に、突然現れる広大なスペース。その奥に見える波打った屋根の建物。それが山口情報芸術センターだった。こんなスペースを贅沢に使った施設が日本に存在したなんて。日本は広い。 折角の施設なので交通の便がもっと良ければいいのに、と思う反面、交通の便があまり良くない場所だからこんな贅沢なスペースの使い方が存在できるのだろうなあとも思うので、なかなか難しい。 ただ、新幹線を使う場合、のぞみが停まる新山口駅→JRで20分揺られて山口か湯田温泉→徒歩20分弱でYCAMなので、実際そんなに面倒な乗継はない。一度行って道を覚えれば、二度三度は苦にならなくなるタイプの場所だとは思う。 新作オペラ公演「THE END」 渋谷慶一郎+岡田利規 新作オペラ公演「THE END」
「告白」するとエラくなるというワザが今は通用しない。いい時代なのかな?(我々はアイドルをどう消費…Part.11) 司会者「で、90年代のテレビバラエティ的な「空気読み」の能力がアイドルリテラシーとして強力に求められる時代からゼロ年代に至るまでに「告白文学」の潮流があったという話ですが」 kenzee「ネット文化が花ひらく直前に告白ブームがあった。まず、音楽シーンでまっさきに思いつくのは浜崎あゆみの登場だ。浜崎は元B級アイドルで1998年に歌手として再スタートを切る。彼女の音楽の最大の特徴は自作詞であったことだ。そして、その歌詞は当時の10代の女性の大きな支持を得る。ここまではみんなよく知ってる話だけど、ほぼ同時期に「告白」で大ブレイクした例がある。飯島愛「プラトニック・セックス」である。これは170万部を超えるベストセラーとなり、今ではブックオフの100円コーナーの定番である。のちに映画
kenzee「このCDの中に」 司会者「ア、小西康陽さんがプロデュースした八代亜紀のジャズのスタンダードカヴァー集だね!」 kenzee「こんな紙が封入されていたのだ」 司会者「八代亜紀様まで握手会とか! やはり複数買いされたりするのかナ?」 kenzee「燃えないゴミの日に大量に「夜のアルバム」が廃棄されたりするかもしれない。でも、中身はすごくいい内容ですよ! 我々ジャズというとすぐピアノトリオとか最近の居酒屋とかで流れてるような雰囲気モノを想像しがちだがこのアルバムの編成はギターとベースだけ、とかヴィブラフォンだけ、みたいな実に静謐な「夜の底」みたいな世界だ。こんな小さな編成に耐えられる八代さんの歌が素晴らしい。握手しなくても買って損ナシ」 司会者「で、前回アイドルから学校感が90年代あたりから薄れていったという話ですが」 kenzee「90年代のコミュニケーション空間の変容を考えるう
kenzee「最近、2冊の本を読んだ」 kenzee「吉田豪の本は40歳前後でサブカルの人々は鬱になると言われるが、いかに克服したかのインタビュー集、そしてECDの本は、2002年から2010年にかけてECDがいろんな雑誌とかに書いた音楽関係のコラムやエッセイ、短編小説を集めたものだ。奥付をみると2011年3月22日。まともに3.11とカブってしまい、ほとんど話題にならなかっただろう1冊。で、この2冊を続けて読んで考え込んでしまった。つまり私も38歳でサブカル方面の人なので心配になったのだ」 司会者「吉田豪の本にでてくる人々も「まさか自分が鬱になるとは、神経症とかになるとは思ってもみなかった」と言ってますね」 kenzee「で、まさにオレ自身、他人事だと思って読んでいたのだが、こんなノホホーンとしてる襲われるのが鬱というヤツのようなのだ。最近こういうことを考える。11年前。2001年。オレ
86年以来、アイドルは未熟ではいられなくなりました(我々はアイドルをどのように消費したかPart.7) kenzee「また渡辺美里に話戻るけど」 司会者「一向に時代が進みませんな」 kenzee「世間一般は、つまり大方の若者は美里を受け入れた。優れたポップミュージックであると認めたのである。では音楽ジャーナリズムはどう美里を判断していたのか。ミュージック・マガジンという老舗音楽雑誌がありますね?」 司会者「ね?ってアンタも書いたことあるだろう!」 kenzee「MMには老舗コーナー「クロス・レビュー」というのがある。要はライターさんたちが集まって新譜をツイッター並みの短文で批評し、点数をつけるというなかなかのコーナーだ。この1986年9月号になんとマドンナやスミスの新譜と並んで美里の「Lovin'You」が俎上に乗せられている。4人の評者に5点、5点、4点、7点と辛い評価を受けている。意外
kenzee「今、激売れ中の新書「AKB48白熱論争」(小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史著・幻冬舎新書)を読んだ。とにかくAKB48とはスゴイグループで音楽業界や芸能界どころか日本社会の未来すら変える勢いだ、という一冊」 司会者「ネタのトンデモ本かと思ったら意外とマジメな内容でビックリ」 kenzee「ボクも基本線として「あの子たち、ブサイクなのに売れてるアイドル集団ってだけでいろいろネットとかでボコられてかわいそう、AKB商法も含め、健全な興業といえるのか?」みたいなとこを落としどころにしようと思ってたんですよ。この話。でも、一冊読んだらキャツラに洗脳されてしまいまして」 司会者「キミ、意外とすぐ洗脳されるよね。矢沢の「成り上がり」レベルでも」 kenzee「ウン、三代目魚武濱田成夫とかでも洗脳されるヨ! で、こんな理論家の集団で諭されたらもしかしてAKBってスゴイのかも、と思
kenzee「さて、「反省」する歌は意外と売れる、しかもうまくすると熱狂的な売れ方をする、ということを尾崎を通じて音楽業界は学んだ。これが歌謡曲の歌詞の近代化のターニングポイントである。「反省」すれば売れる、と踏んだ音楽業界は主に「シェリー」の話しのもっていき方などを参考にした。「シェリー」では夢を見失いそうになった主人公が「シェリー」という恋人か友人かわからないが信頼をおく人物に自己と世界がどう関係を切り結んでいるか を問いかける。「俺は上手く歌えているか うまく笑えているか 卑屈ではないか愛される資格はあるか」と生真面目に問いかける。そして最後に「俺は歌う 愛すべきものすべてに」と決意を表明する。ここで問題にしたいのは「シェリー」における「不安定な状態にある自分」という状況設定、そこから「その状況を乗り越える決意をする」という展開。これはこの後の若者向けの歌謡曲(後にJPOPと名付けら
磯部涼「ペイント・イット・グレイ——規制社会を生き抜くために」 2012年08月29日17:00 担当者より:『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)などの著書で知られる音楽ライターの磯部涼さんが、グレーゾーンをめぐる現状について論じたものです。また、過剰に規制されつつある日本社会について問題提起を行った編著『踊ってはいけない国、日本 風営法問題と過剰規制される社会』(河出書房新社)が発売されたばかり。そちらも併せてお読みください。 更新日:2012/08/29 “グレーゾーン”という言葉を、最近、よく耳にする。何でも、テレビで某タレントが自身のセクシャリティを尋ねられたときにそう返すのを持ちネタにしているのだとか。それはそれで掘り下げがいのあるテーマだが、ここではとりあえず流す。 他にも、首相官邸前抗議と脱法ドラッグという、一見、関係がないどころか、正反対のイメージで捉えられ
kenzee「というわけで今日のテキストは柄谷行人「日本近代文学の起源」ですよ」 この「日本近代文学の起源」はなにが書いてあるのかというと一言でいうと「古くからあると思われているものって意外と最近になって創られたものなのですよ」につきる。この基本アイデアはのちにカルスタ、カルチュラル・スタディーズに受け継がれ、音楽関係で最近なら、輪島祐介「創られた「日本の心」神話」などに脈々と受け継がれている。「演歌って日本の伝統音楽みたいに、NHKとかですら平気で言うけど今の演歌って70年代以降にできたものですよ」という話だ。私もまた、同様に「J POPの歌詞といえば「本当の自分ってなんだろう」とか「自分らしい生き方」とか「あなたの夢をあきらめないで、ガンバッテ」みたいなこというのが伝統的と思われているが、そんな歌詞がロック、ポップスの歌詞に登場したのはせいぜい1985年ぐらいからだ、みたいな話をしよう
kenzee「前回の続き。キャラクター表現と生身の人間の間でパフォーマンスする側も受容する側も最適な距離を未だ測れず、結果、アイドルを不幸に陥れているのではないか問題。キャラクター表現とは1970年代後半に新井素子の「アニメを写生するような文体」「まんが・アニメ的リアリズム」や大林宣彦「HOUSE」のメディアミックス表現によって登場した。この時からサブカルチャーは「自然主義的リアリズム」の外にあるリアリズムを模索しはじめた。同時期に音楽表現において「まんが的」キャラクターが登場し、商業的成功を収めた。誰あろうピンク・レディーだ」 司会者「(kenzeeってネタがまとまってる時はドヤ顔文体で進行するんだよなあ。前々回ぐらいまでのグダグダはなんだったんだ、ていう)」 kenzee「ていう! ていう不快! で、ピンク・レディーはイチイチ説明しなくてもキャラクター表現なのですが、便利な本から引用す
Culture / Post パリは終わってしまったのか?[前編]/菊地成孔×伊藤俊治 対談連載 vol.1 2010.1.9up 多彩な肩書きを持ち、音楽、映画、グルメ、ファッション、格闘技などボーダレスな見識を披露するアーティスト菊地成孔と、写真、先端芸術からバリ島文化まで幅広く専門とする、美術史家にして東京芸術大学美術学部教授の伊藤俊治。アカデミックな2人が、世の中のニュースや日常の出来事、氷山のほんの一角の話題をダイナミックに切り崩しディープに展開する、かなり知的な四方山話。 vol.1 パリは終わってしまったのか?[前編] カルチャー先進国として、かつて圧倒的な憧れの存在だった都市パリ。70、80、90年代を経て、インターネットの普及によって世界が均質化し、独特の文化のありがたみは失われてしまったのか? それでも、やっぱりパリの威光は健在なのか? そして、東京のオリジナリティは何
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く