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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (17)

  • 映画を体系的に理解するための7作品 - ハックルベリーに会いに行く

    はじめに最近クリエイター志望の若者と話す機会が多いのだけれど、そこで気づかされるのは、彼らの中に過去の映画(特に80年代以前の作品)を見たことのあるという人が、驚くほど少ないことだ。例えば「キューブリックをどう思う?」と聞くと、「キューブリックって誰ですか?」という答えが返ってくる。「デ・ニーロの映画で何が一番好き?」と聞くと、「見たことがありません」と言われてしまう。「ではきみは、昔の映画を見たことがあるの?」と聞くと、たいていが「テレビでやっていたものくらいなら……」という答えしか返ってこない。 今の若い人の間では、映画を体系的にとらえようという人は少ないようだ。見るのは専ら近年の話題作ばかりで、歴史を辿ってみたり、系譜をひもといてジャンルごと理解しようとする人はほとんどいない。これは、ちょっと由々しき問題だと思わされた。映画は、もう長いこと(20世紀の早い時期から)エンターテインメン

    hastings
    hastings 2009/12/01
  • ホームズタイプとワトソンタイプ - ハックルベリーに会いに行く

    人間には2種類のタイプがいる。人間にとってのハードディスクともいえる脳の記憶装置を、フルに使う人と使わない人だ。 「シャーロック・ホームズ」シリーズの記念すべき第一作である『緋色の研究』に、印象的なシーンが出てくる。助手のワトソンが、その頃すでに常識となっていた「地動説」について、ホームズと話していた時のことだ。「へえ、地球の方が動いてるんだ」ホームズが、感心なさげにそう言ったのだ。これにワトソンはビックリする。「おまえ地動説も知らないのかよ!」これは、現代日に例えるならビル・ゲイツを知らないようなものだ。いや、それよりひどいかも。インターネットを知らないくらい……いやもっとだ。パソコンそのものを知らないようなものか。とにかくホームズは、誰でも知っているようなことを知らなかったのである。それも人一倍博識なのに。 ところが、次の瞬間ワトソンは、さらにびっくりさせられる。「それじゃ、早速その

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    hastings 2009/03/16
  • 他人の気持ちを慮れないことが蔑まれた原因だ - ハックルベリーに会いに行く

    「勉強ができる」というのは別に蔑称でもなんでもない。蔑まれたと感じるのは、そう思い込んでいるだけだ。被害者意識をこじらせた結果である。 こういう記事があった。「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記それ以来、私には「頭のいい子」という称号がついて回った。賞賛の意味でそう呼ばれることが多かったが、「変わってる」「すかしてる」という意味での蔑称として呼ばれることもあった。だから、私は「頭がいい」と言われることが、どうしても好きにはなれなかった。「まじめ」「いい子」という呼び名も、同じ意味で嫌いだった。 そう言って、この人は「頭がいい子」というのが蔑称であったと主張する。そうしてそれは、勉強ができる子に特有の問題だとする。日には、勉強ができる子を蔑むような風土があって、それで自分は苦しい思いをさせられてきたし、また他にもさせられている「勉強のできる」人々がいると。 確かに、そういう場合

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    hastings 2008/12/26
  • ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?続きを読む

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    hastings 2008/11/13
  • そもそも他人に期待するからあなたの恋も上手くいかないのです - ハックルベリーに会いに行く

    少し前のだけれど、増田のこのエントリーがとても面白かった。もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに これには大いに共感させられた。ぼくも大人になってから、「なんで学校ではこれを教えてくれなかったのだろう?」と思わされることがしばしばあった。大人になって、自分で気付いたり、あるいはひょんなきっかけで知ることのできたテクニックで、「もっと早くに教えてくれていれば、こんなに回り道をせずにすんだのに」と恨めしく思ったことが何度かある。 そのうちの一つに、「人に期待をしてはいけない」というのがある。このことをもっと早くに教えてくれれば良かったのにと、これに初めて気付いた時には大いに憤慨させられたものだ。 というのも、ぼくはどうにも「人に期待してしまうタイプ」だったからだ。人に常に理想的な状態を期待し、あいつならやってくれるだろう、あいつならできるはずだと、そんなふうな夢見がちなタイプだっ

  • 制限された条件下で作られたものの方が良いものができる - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?当に面白いものというのは制限された条件下で作られる。人物金が潤沢な、開放された環境下では、かえって作られない。やりたいこと、実現したいプランはあるのに、技術が追い付かない。人手も予算も足りない。それくらいがちょうど良い。そうした時にこそ、当に良いものが生まれる。その足りないものを工夫で補おうとし、アイデアや新しい表現方法が生まれるからだ。また、要らないものをとことん削ることによって、シェイプアップされるということもある。 良い例がゲームだ。ファミコンの時代は、表現したいものはたくさんあったのに、技術が限られていてできないことが多かった。実現できるものが制限されていた。だから、みんなその中でしのぎを削った。そんな中で、どんどん工夫やアイデアや表現方法が生み出されていった。 しかし、技術の進歩と共に、やがて実現できることの幅は広がった。制限は限りなく少なくなっていった。

  • ケータイ小説がノンフィクションを指向するのは、若者が差別対象を探しているからではないか? - ハックルベリーに会いに行く

    前々からなんとなくそう思っていたのだけれど、こういう記事を見て、ふとその思いを強くした。 差別とノンフィクションについて語った、二つの記事こういう記事とは、以下の二つである。 いいかげん「ブラクがいてよかったわ!」のおばさんのまねはやめないか、みんな - だんぺんぶこみっく - 断片部『一杯のかけそば』って『ケータイ小説的。』 〜いまの「リアル」はヤンキー文化と浜崎あゆみから:NBonline(日経ビジネス オンライン) 上の二つの記事は、細かい内容はリンク先を読んでもらいたいのだけれど、要点をかいつまんで説明すると、以下のようになる。 まず前者は、小林よしのりのマンガに「ブラクがいてよかったわ!」というおばさんが出てくるのだけれど、これを例に引いて、最近の差別にまつわる状況というものを語っている。このおばさんは、不幸な境遇にあって非常に苦労してるのだけれど、近くに住むいわゆる「ブラク」の

  • 削ることだ - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?もし何かを面白くしたいのなら、足すのではない、削ることだ。プログラムを面白くしたいのなら、コードを削ることだ。コードは、短ければ短いほど美しい。簡略化し、単純化し、効率化することだ。いかに短く書けるか――が、即ちそのプログラマーのセンスと能力だ。絵を面白くしたいのなら、線を削ることだ。その代わり、削ったその線の中に、魂を込めることだ。一つの線に、三つも四つもの意味を持たせることだ。ディレクターなら、要素を一つに絞ることだ。その一つの中に、全力を注入することだ。多要素は、結局面白がられない。例えば、かけられる工数が十だったら、一のものを十作るのではなく、五のものを二作るのでもなく、十のものを一作れ。人は結局、そういう突出したものをこそ面白がる。運動選手なら、動作を削れ。一つの動作で、二つのことのをこなせ。野球選手なら、取る動作と投げる動作を一つにしろ。柔道家なら、相手の技

  • [アイデア1000本ノック] - ハックルベリーに会いに行く

    hastings
    hastings 2008/07/27
  • 何のために挨拶をするのか? - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくの知り合いによく挨拶をする人がいる。最初は気付かなかったけれど、よくよく見ると彼の挨拶は凄い。 まず朝、オフィスに入ってくるなりオフィス中に聞こえる大きな声で「おはようございます」と言う。その声には、全然ためらいがない。内側にこもらず、外側に向かって軽やかに発散していく。それはまるで、一陣の風が吹き抜けたかのようだ。一緒にコンビニに行くと、まずレジに向かって「こんにちは!」と声をかける。知らない人が見たら、きっと顔馴染みの常連だと思うだろう。それほど自然で、また親しげなのだ。しかし彼は、これを通りすがりに入った初めての店でもやる。彼が挨拶すると、つられて返事を返すレジの人もいる。でも、返事を返さない人もいる。あまりにも自然なので、自分が挨拶されたと気付かないのだ。しかし彼は、返事がなくても一向に気にしない。そのままスタスタと店内に進み、買いたい物を手に取ってレジに並ぶ。買う時もまた凄い

  • 三度死にかけた赤ん坊の話 - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくの知り合いの女性に、三度赤ん坊を死なせかけた人がいる。一度目は妊娠初期。自分が妊娠していると気付かず、友だちと泊まりがけで温泉旅行に行ったら途中から気分が悪くなった。それでも無理して、二泊三日で帰ってきた。温泉にもしっかりと浸かってきた。それから病院に行ったら、妊娠していることを告げられ、ついでに切迫流産しかかってるから一週間は絶対安静だと言われた。それから、彼女は一週間を泣いて過ごしたらしい。まさか自分が妊娠しているとは思わなかったのだそうだ。しかし幸い、胎児は胎盤からはがれることなく、なんとか必死でしがみついていた。 二度目は、妊娠中期。もうお腹も膨らんできて、誰が見ても妊婦だと分かるようになった頃、何もない廊下ですっころんだ。何もないところだっただけに、自分でも予期していなかった。そのまま、お腹からベチャッといった。したたかにお腹を打って、これはやばいと思った。けど、大丈夫大丈夫

  • 記憶に残るオリンピックの名実況 - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくはオリンピックが好きだ。たいがいなんでも好きなんだけど、オリンピックは当に大好きだ。ぼくはこれまでオリンピックで何度か当に心震える感動を味わってきた。歓喜と興奮を味わってきた。絶叫と落涙を経験してきた。 なんでこんなにオリンピックは面白いのだろう。ぼくは生でオリンピックを見たことがないので、それは全部テレビを通しての体験だった。そう考えると、テレビの影響はとても大きいのかも知れない。ぼくはテレビのオリンピック放送が好きだ。それはあらゆるテレビの中でも一番好きかも知れない。ぼくはスポーツ中継、中でもオリンピック中継が一番好きなのだ。 オリンピック中継でなんと言っても面白いのは、試合や選手もそうだけれども、やっぱりアナウンサーと解説者だ。このアナウンサーと解説者の織りなす実況が面白い。これが面白いのだ。このテレビならではの目の前で起こる出来事をライブで伝えるという実況が好きなのだ。実況

  • 人がもともと持っているすばらしい感性をなるべく失わないようにする方法 - ハックルベリーに会いに行く

    感性を育てる?人は誰でも、すばらしい感性というのを生まれつき持っている。それは、当にすばらしいものをすばらしいと判断できる能力だ。当に面白いものを素直に面白いと思える心である。 ところが大人になると、人はそれを失ってしまう。失うのを避けることは、どうやらとても難しいらしい。大人になると、たいていが自動的に失われてしまう。たまに、大人になっても失わない人もいるが、しかしそういう人でもずっと保持し続けることはやっぱり難しい。たいてい何かのきっかけで失い始めるし、しかもそういう人たちは失い始めるとアッという間で、また失う量も人より多い。 最近、NHKで放送された「ミラクルボディー第3回『ハイジャンプ 翼なき“天才”』」という番組を見た。そこでは、2人の世界的なハイジャンプの選手が特集されていた。そのうちの一人に、とても興味を引かれた。彼が、類い希な子供の心の持ち主だったからだ。その選手のプロ

  • 絶対に遅刻しない女の子がいる - ハックルベリーに会いに行く

    「最近の若者は――」という言説をよく聞く。たいていはネガティブなイメージで語られることの方が多い。曰く、最近の若者はひ弱になった、最近の若者はバカになった、最近の若者は覇気がない、最近の若者はすぐ挫ける、最近の若者は何を考えているのか分からない……しかしぼくは、若者をそういう目で見たことがない。それは、ぼく自身がとてもだらしない人間なので、たいていの人がぼくより立派に見えるからというのはあるけれど、それを抜きにしたって、逞しく、したたかで、尊敬できる若者というのは多い。若者礼賛というわけではないが、若者の中にもそういう人がちゃんといるということだ。特に、ぼくの知っている若者には、心の底から尊敬でき、敬服できる人物が何人かいる。そういう人を知っているから、ぼくは、若者というのを一括りに否定することができないのだ。 ぼくの知ってる若者に、絶対に遅刻をしない女の子がいる。どんな時でも、集合時間の

  • もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら - ハックルベリーに会いに行く

    はじまりもし高校野球の女子マネージャー(名前は仮にみなみちゃんとしよう)が、ドラッカーの「マネジメント」を読んだら、彼女はきっと驚くだろうな。なぜなら、そこには彼女が所属する野球部と、彼女自身のことが書いてあるからだ。「マネジメントなしに組織はない」「マネジメントは企業だけのものではない」「マネジャーをしてマネジャーたらしめるものは、成果への貢献という責務である」 「所属する野球部に何とか成果を出させたい。そのためには自分に何かできることをしたい」そう考えていたみなみちゃんは、このが「自分のために書かれたもの」であることを確信する。だから以降、そこに書かれていることを脇目も振らず実践するようになる。 野球部におけるマネジメントの役割みなみちゃんは、「マネジメント」を読み進める。するとドラッカーは、マネジメントには三つの役割があると説く。そこでみなみちゃんは、それらについて一つ一つ自分に当

  • 編集者Oさんの待っているもの - ハックルベリーに会いに行く

    編集者のOさんは、サブカル系のを出すことで定評のある、とある中堅の出版社に勤めている。年齢は40歳くらい。奥さんも子供もいて、今の担当は、主に雑誌と、それから時々単行を出したりもしているそうだ。Oさんには夢がある。それは小説を出すことだ。出すと言っても、自分が小説家になるというのではない。自分が編集を手がけた小説を、世に出したいというのだ。それなら出せばいいじゃないですか?気軽な調子で言ったら、Oさんは首を横に振ってこう言った。「今はまだ、その時期じゃないんだ」Oさんは、小説を出すといっても、いわゆるありきたりなものには興味がないのだそうである。そんなものは、これまでにも小説以外でさんざん出してきた。Oさんが出したいのは、それは世界的なインパクトを持った――とまではいかなくとも、少なくとも日中にインパクトを与えられるような、出版界だけではなく、社会全体にインパクトを与えられるような、

  • 女子アナは置屋の芸姑と言った女子アナがいた - ハックルベリーに会いに行く

    昔聞いた話なのだけれど、その頃、自分を売り出すことにかなり意識の高い、戦略的な女子アナがいた。その時はまだ若かったのだけれど、スマートさ、クレバーさ、したたかさをすでにして備えた、かなり強い女子アナだった。ぼくはその女子アナ(仮にAとする)に興味を抱いていた。一緒に仕事をしたことはなく、テレビで見るだけだったのだけれど、画面を通しても明らかに異彩を放っていることが分かって、強く惹かれるものがあった。それで、Aと一緒に仕事をしたこともある旧知のテレビディレクターの何人かに「一体どんな人物なのか?」と聞いてみたことがある。するとそのディレクターたちも、Aに対してはぼくと同種の興味を抱いていたらしく、色々見聞きしたり知っていたりすることがあって、それをぼくに教えてくれた。それは、当時のぼくにとってはかなり「面白い話」だった。そこで聞いたAの話は、かなりインパクトのあるもので、ぼくは強いインスパイ

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