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プロ野球に関するhatanakaのブックマーク (10)

  • 引退試合を公式戦に組み込むことに違和感を持つのはおかしいこと?(広尾晃)

    9月21日のDeNA、中日戦。 先発した加賀繁は、1回表、中日の先頭打者、平田良介を5球で三振に切って取った。平田は2-2からの内角高めのスライダーを空振りした。加賀はここで降板。ハマスタの観客席からは大きな歓声が上がった。 加賀繁は9月14日、記者会見を開いて引退を表明した。この試合は加賀の最後の登板、いわゆる「引退試合」だったのだ。加賀の先発登板は2014年以来4年ぶりのことだった。 しかし、この試合はセントラル・リーグの公式戦であり、しかもDeNAと中日は0.5差でクライマックス・シリーズ(CS)進出へ向けて「3位」の座を争っていた。 CSが導入されて以降、NPBの各球団にとって「3位」は死守すべき最後の砦となっている。 CSに進出できれば、そのチームはファンへの最低限の義務を果たしたとみなすことができる。DeNAアレックス・ラミレス監督、中日森繁和監督ともに、オフの去就が取りざたさ

    引退試合を公式戦に組み込むことに違和感を持つのはおかしいこと?(広尾晃)
  • 「大事な試合」に勝ち続けて3連覇。カープは日本一で花道を飾れるか。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    9月26日の歓喜の優勝から、遡ること5カ月。 快晴のゴールデンウィーク初日のマツダスタジアムは、この日も当然のように満員だった。 いつもと違ったのは、選手たちのユニフォームに喪章が付いていたこと。4月23日に衣笠祥雄さんが亡くなってから、広島で初めて行われた試合。半旗が揚がり、黙祷が捧げられた。 カープは初回に2点を失い、迎えた3回。四球3つで満塁となって、4番・鈴木誠也に打順が回る。誠也は昨季終盤に右足首の負傷で手術を受けた影響で、開幕から休みがちで塁打はゼロだった。 そんな誠也が高めに浮いたカーブを強振すると、青空に高々と上がった打球は風にも乗ってレフトスタンドの最前列に飛び込む。第1号が、逆転満塁ホームラン。試合後のお立ち台で、誠也は言った。 「今日は衣笠さんの大事な試合だったので、当に勝ちたかった。思い切ってフルスイングしました」 思えば今季はカープにとって、特に「大事な試合」

    「大事な試合」に勝ち続けて3連覇。カープは日本一で花道を飾れるか。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
  • 日本ハム、唯一の永久欠番「100」。今も残る大社義規オーナーの愛と熱。(高山通史)

    永遠に風化させてはいけない史実がある。先人の思いは、ひっそりと伝統となって息づいている。 前身の日ハムファイターズは1974年、昭和49年に誕生した。 2004年に北海道ハムファイターズへと名前を変えた。それは平成16年の札幌ドームへの拠地移転で転機を迎えたからだ。 来年5月、新元号となる。長くプロ野球界に根を張り今、平成ラストのペナントを目指して戦っている。 平成の元号では最後の父の日は、6月17日だった。 ふと、立ち止まって考えてみた。 そう多くの人が、知ることではないだろう。周囲に語る人も、少なくなった。ファイターズは永久欠番を、1つだけ設定している。12球団で、オーナーでは唯一、野球殿堂入りもした人物がいる。自慢である。 「先代」のために支えた背番号100。 「100」 初代オーナー大社義規氏へと捧げている。2005年4月、90歳で死去した。翌年に44年ぶり日一に輝いた。

    日本ハム、唯一の永久欠番「100」。今も残る大社義規オーナーの愛と熱。(高山通史)
  • 「2番に送りバント」は安易すぎ?西武源田と日本ハム大田は強攻型。(氏原英明)

    壮絶な打撃戦だった。 5月27日の西武vs.日ハムの首位攻防戦は1回裏に西武が6点を奪ったものの、日ハムがじりじりと追い上げて8回に同点に追いつく。そして延長10回に近藤健介の適時打で日ハムが10-8で勝利した。両チームの攻撃力がぶつかり合った見ごたえあるゲームだった。 現在パ・リーグ1、2位を争う西武と日ハムには共通点がいくつかある。 1つは主力をFA移籍などで2~3名失いながらも好調なこと。もうひとつは、アグレッシブな戦略だ。 この日の試合、西武が序盤に挙げた8得点には送りバントが絡んでいない。 リーグ最高得点を挙げている西武だが、犠打数は5月28日現在でわずか20だけで、12球団で2番目に少ない。その分、盗塁数は両リーグトップの56で、果敢に仕掛けてチャンスを作っている。 源田が塁に残れば、盗塁が狙える。 西武というと浅村栄斗、急成長した山川穂高、森友哉らのフルスイングが目立

    「2番に送りバント」は安易すぎ?西武源田と日本ハム大田は強攻型。(氏原英明)
  • なぜ、球団は育てた選手を手放すか。その裏にある痛みと愛情と哲学とは。(高山通史)

    妄想してみると、ちょっとしたドリームチームが完成していた。セ・リーグとの交流戦開幕を控えた最近のことである。 5月の福岡遠征。前職、スポーツ紙の記者時代の大先輩と雑談をする機会があった。 「みんな残っていたら、とんでもなく強かったやろうな」 指を折って数え、お互いに名前を挙げていった。 アメリカへ目を向ければ、ダルビッシュ有投手と大谷翔平投手はメジャーリーガーで、それぞれのチームでエース格である。 国内他球団であれば阪神タイガース糸井嘉男外野手、オリックス・バファローズ小谷野栄一内野手、増井浩俊投手、中日ドラゴンズ大野奨太捕手は現在、主力級で各チームの屋台骨を担っている。 各球団に在籍する日ハム「OB」。 読売ジャイアンツ吉川光夫投手は今シーズン、先発ローテーションの一角をつかんだ。チームメートの陽岱鋼外野手は故障から復帰間近だが、そのアクシデントさえなければ開幕からレギュラーが濃厚だっ

    なぜ、球団は育てた選手を手放すか。その裏にある痛みと愛情と哲学とは。(高山通史)
  • その瞬間、竜も虎も1つになった。「松坂の22球」が起こした奇跡とは。(小西斗真)

    7回2死満塁のピンチで代打・上を三振に取り、ガッツポーズ。ただ、打線が3安打で1点しか奪えず、今シーズン2敗目を喫した。 メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。 直訳すれば不運な負け。日のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。 移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。 もっとも、ここに松坂の満足感はない。「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、不運ではなく

    その瞬間、竜も虎も1つになった。「松坂の22球」が起こした奇跡とは。(小西斗真)
  • ファイターズの「母」に贈った引退式。プロ野球を支える偉大なる女性たち。(高山通史)

    女は弱し、されど母は強し――。 フランスの詩人、ヴィクトル・ユーゴーが残したとされる名言である。 北海道ハムファイターズには、何人もの「母」がいる。傍目には男社会のプロ野球だが、献身的に全身全霊で尽くす女性たちがいる。そんな数多の大きな愛に支えられながら、チームは生命力を宿す。 春は別れの季節である。旧年度の最終日である3月31日、拠地の札幌ドームの開幕3連戦の2戦目。舞台裏は、センチメンタルな空気に満ちていた。ファイターズの誰もが敬愛するレジェンドと、お別れの時を迎えたのだ。 ファイターズにとって、紛れもない「母」の1人だった。工藤悦子さん。札幌ドームのグラウンドキーパーを14年間、務め上げた。ファイターズが北海道に拠点を置く1年前からである。定年退職の日が、埼玉西武ライオンズとの一戦だった。謙虚で、実直な人柄。絶妙な距離感で皆と接し、控えめな性格の女性である。 工藤さんらしいが、

    ファイターズの「母」に贈った引退式。プロ野球を支える偉大なる女性たち。(高山通史)
  • 球団広報という白も黒もない仕事。清宮の機知が背中を押してくれた。(高山通史)

    私の仕事は、ベースボールのアメリカでは「PR」で通じる。入団してきた新外国人選手へ初めて挨拶をする時には、英語に疎いことをさらけ出しながら「ナイス トゥー ミート ユー。アイム ピーアール」と自己紹介をする。 たった2つのアルファベットを棒読みするだけで、従事する業務を理解してもらえる。この部分だけを切り取ると、分かりやすそうな仕事だ。この「PR」とは「Public Relations」の略である。ましてやプロ野球界は、近そうで、遠く感じる世界だと思う。 北海道ハムファイターズの球団広報が生業である。 どんな職業なのか、極めて説明が難しい。時に過酷でもある。時に苦しくもある。時に悲しみ、むなしかったりもする。ネガティブ三昧に形容もできるが、それ以上に楽しく、やりがいもある。 広報は勝ち負けがつかないグレーな仕事。 弊球団は、もちろん親会社である日ハム社のサポートなしでは成立しな

    球団広報という白も黒もない仕事。清宮の機知が背中を押してくれた。(高山通史)
  • 日本ハムの新スタジアム、運命の1日。札幌市と北広島市がくれた感動を力に!(高山通史)

    感動は推進力――。 栗山英樹監督が、よく口にする言葉である。 北海道ハムファイターズには、壮大な夢がある。その野望を語る時、大の大人たちの声のトーンが上がる。栗山監督、球団の要職に就く方々に、もちろん社を含めた日ハムグループで関連し、力強くサポートする人たち……。この話題になると、自然と人の輪ができる。一丸になって今、足並みを揃えて動いている。 2023年に建設、実現を目指すボールパークのことである。 2018年3月26日――。 いつの日か、忘れられない1日として、私も思い出すだろう。プロジェクトに関しては、広報として末端に身を置いているとはいえ、感慨深い。大きく、時計の針は動いたのだ。数多の協議、検討、議論、最後の最後まで熟考を重ねて一定の方向性を出した。候補地を、北海道北広島市の「きたひろしま総合運動公園」予定地に絞ったのだ。 ここから先は、球団職員の立場だけに手前味噌の意見

    日本ハムの新スタジアム、運命の1日。札幌市と北広島市がくれた感動を力に!(高山通史)
  • 30周年の東京ドームに燦然と輝く、松井秀喜と大谷翔平だけの勲章とは?(鷲田康)

    完成前の東京ドームを見て、長嶋茂雄は「天井にボールをぶつけることは無理だろう」とコメントしていたという。 1988年2月7日午前6時。 私は沖縄・恩納村にあるホテル・ムーンビーチの駐車場にレンタカーを置いて、海岸に向かって歩いていた。中日のキャンプは早朝の散歩から始まる。それを取材するために、当時、報知新聞の中日担当記者だった私は、眠い目をこすって毎朝、ホテルに駆けつけていた。それが番記者の1日の最初の仕事だったからである。 ところがホテルの建物に入るか入らないかのところで、血相を変えた中日の大越広報部長(当時)が飛んできた。 「ワシダッ、大変なことになった!」 大越部長がまくし立てる。 「監督が朝のときに今朝の報知を見て凄まじい勢いで怒っているんだよ。いま顔を合わせたら大騒ぎになる。練習が始まるまでに何とかオレがなだめておくから、今日はここで帰れっ!」 監督とはこの年、就任2年目を迎え

    30周年の東京ドームに燦然と輝く、松井秀喜と大谷翔平だけの勲章とは?(鷲田康)
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