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2005年6月29日のブックマーク (2件)

  • なぜエリート教育が必要なのか - 雑種路線でいこう

    ぼくと清水さんの間に正直なところ大きな意見の違いはない.多くの人が英語を話せるに越したことはないし,車輪の再発明などもっての他.もっと海外をみろよ海外を,を読めを,ということ自体に全く異論はない. とゆーか清水さんは世間の基準でいうと十二分にエリートっつーか勝ち組と思うんだけど.スタートアップ企業の屋台骨を支えて上場させ,いまは一国一城の主として,おもろいサービスをガンガン世に送り出している訳で... で,お互いお勉強の世界では落ちこぼれだったのかも知れないけど,早い段階で必要を感じて海外の情報を摂取して,一山いくらのエンジニアにはならずに済んだのだから,それはそれで結果オーライというか,いいじゃんうまくいってることを認めようよ,ぜひ子供は立派な英語をしゃべるように育ててくれよ,と ただ,僕に清水さんと違うことがあるとしたら,それなりに今どきの学部生や院生の実情をみていることだ.前の会

    なぜエリート教育が必要なのか - 雑種路線でいこう
  • ブログの奇跡と「有力感」またはrelevancy - michikaifu’s diary

    いわゆる「ブログをやりだし」てから、半年ほど経つ。当世はやりのブログの技術的な意味合いがわかってきたところだが、最近ブログである「奇跡」を体験し、その「文化的」な意味合いについても、改めて考えた。 ブログの技術的な意味とは、簡単であること(敷居が低いこと)と、RSSによる「横につながる」パワーであると思う。一方、文化的な意味合いとは、まずは「音の双方向性・即時性」と言えると思う。 「ウェブサイトと掲示板」という組み合わせと比べ、ブログだと書き手は毎回、ある程度まとまった考えを述べることを強いられる。ここで出てきた「音」に対し、コメントする方もかなり気でまとまった音を述べる。2ちゃんねるのような「中立の場」ではなく、主催者があるので、書き込む方もある程度そのポリシーに従って書くことになる。 ここから先は、主催者の使い方次第ということになる。私の体験した奇跡というのはもうすぐ公開される

    ブログの奇跡と「有力感」またはrelevancy - michikaifu’s diary