2011年3月16日、新華網によると、津波に襲われた宮城県女川町で、約20人の中国人研修生を避難させた日本人の社員が、津波の犠牲となっていたことが分かった。 【その他の写真】 「もしあの人たちが助けてくれなかったら、私たちは今ここにいない」。遼寧省大連市から来た研修生の衣亜男(イー・ヤーナン)さんと同僚たちは、目に涙をためながら女川町で話した。女川町の人口1万人の半数が、今なお行方不明となっている。記事によると、同町で研修を受けていた中国人研修生約100人から、犠牲者は一人も出なかった。身近に助けてくれた現地住民や同僚がいたからだという。 激しい揺れに襲われた当時、佐藤水産株式会社の20人の中国人研修生は、宿舎付近の小高い地形となっている場所に避難した。その後すぐに、専務の佐藤充さんが彼らに駆け寄ってきて、「津波が来た!」と叫びながら研修生たちをさらに高い神社へと退避させたという。その後で
