航空祭が集中する秋を迎え、航空自衛隊岐阜基地(岐阜県各務原市(かかみがはらし))でも10日に航空祭が行われた。目玉はステルス機能を持つ先進技術実証機のX-2。これまで一般に公開していなかった推力変更パドルを持つ機体後部を初めて披露し、多くの観客が記念撮影した。 全部見せました X-2は岐阜基地の飛行開発実験団に配備され、2016年4月の初飛行以来、専門の試験隊がステルス機能や新型高出力エンジンなど各種装備の試験を実施。1年7カ月の間に34回の飛行を重ね、17年10月に最後の飛行を実施。以降、岐阜基地に保管されている。一昨年から同基地祭で公開されてきたが、機体後部の形状はレーダーに探知されにくいステルス技術の最重要部とされ、公開時には観客は機体の後ろへ回ることができないよう、機体を格納庫に収容し、観客は格納庫の入り口側からしかX-2を見られないよう位置を制限していた。 ところが今回は、機体を
今を遡ること約一世紀、W.O.ベントレーの航空機エンジンが西部戦線へと飛び立った。スティーヴ・ムーディが著したW.O.の航空機エンジンの物語は、ベントレーモーターカーを成功に導く布石として、ベントレー・ストーリーに大きな役割を果たすことになる。 英国では一般にグレートウォーと呼ばれる第一次大戦が勃発した1914年、弱冠26歳のウォルター・オーウェン(以下W.O.)・ベントレーは自分が英国民としてこの戦争で何をすべきかを考えた。すでにエンジニアとして鉄道と自動車の専門知識を持っていた彼は、それを活かすことが一歩兵として従軍するより国の役に立つと考えた。 ピストンの軽量化 W.O.は兄のホレース・ミルナー・ベントレーとともに、英国代理店としてラコック&フェルニー社でフランス製のDFP車を販売していた。あるとき、フランスにあるDFP社のオフィスで、アルミ製のピストンがペーパーウエイトに使われてい
ここに紹介するのは、自宅にあった24リッターのネイピア航空機用エンジンを使って、マルコム・キャンベルのレコードブレーカーのオマージュを作り上げた、あるエンスージアストの話である。 もっと写真を見る もし代々伝わる家宝の中に24リッター・12気筒のネイピア・ライオン航空機用エンジンがあったとしたら、あなたはどうしますか? これから披露する物語は、ローネ・ヤコブ卿に実際起こったことである。彼は機械工学の専門的知識を持ち合わせていたから、いつかはこの伝説的価値のあるエンジンを活かした車を作ろうと野望を抱くのも当然のことだったかもしれない。 レコードブレーカーがある家 子供のころから彼のそばには、1920年代から30年代のネイピア・エンジンを搭載したレコードブレーカーが3台もあった。そのエンジンがあることも知っていた。3台のうちで一番古いのが、マルコム・キャンベルが作った1927年のブルーバードで
XF9-1は試作エンジンであるとはいえ、推力は15トンを超える。米国の「F-15」やロシアの「Su-35」といった世界の一線で活躍する戦闘機のエンジンと同等以上の出力を持つ。 これまで、日本は一流の戦闘機用エンジンを自力で開発できなかった。 FSX問題で日本が強く出ることができなかった要因の一つが、自力ではどうしてもエンジンを開発できる目処が立たず、米国に頼らざるを得なかったことであった。 戦後70年以上できなかったことが、ようやくできた。日本の航空産業史上、画期的なことである。 XF9-1の性能を見て、感慨深い思いに浸っている航空関係者は多いのではと思う。日本のジェットエンジンもよくここまできたと――。 図2 戦闘機用ジェットエンジンの出力比較(アフターバーナー使用時)
日本航空(JAL)は7月から、木製の車いす80台を全国の空港に導入した。車いすというと金属製が普通だが、なぜ木製にしたのか。配備された車いすを取材してみた。【米田堅持】 【木製車いすと並んだ金属製車いす】 まず一般的に車いすは機内持ち込みができないため、乗客はカウンターで手荷物として預けることになる。通常の車いすは自分でこぐための大きな車輪や肘掛けがついており、幅の狭い機内の通路を通ることができないためでもある。このため、カウンターから搭乗口までは航空会社が車いすを用意している。 これまでJALが用意していた車いすはほとんどが金属製だ。そのため、保安検査で金属探知機をそのまま通過できず、乗客はボディーチェックを受ける必要があり、車いすの乗客からは負担になるという声が寄せられていた。木製にすれば、金属探知機をそのまま通ることができ、乗客の負担を減らすことができる。 ◇強度とコストの両立求め
IHIは防衛装備庁が開発している将来の戦闘機用ジェットエンジンについて、主要部分である「コアエンジン」の試作を完成し、納入した。コアエンジンは圧縮機や燃焼器、高圧タービンで構成。自立運転が可能なユニットで、ジェットエンジンの性能を左右する重要な部位となる。装備庁は7月から同庁札幌試験場で、性能確認に向けた所内試験を行う。 IHIは2010年度からコアエンジンの開発を始めた。世界最先端の流体コンピューターシミュレーション技術のほか、ニッケル超合金やセラミック基複合材(CMC)など、日本独自開発の金属材料を取り入れた。15年度からは川崎重工業や三菱重工航空エンジンなどの協力を得ながら、推力15トン級ジェットエンジン「XF9―1」の開発を開始。18年6月までに試作品を納入する計画だ。 <解説> 防衛装備庁は先日のパリ航空ショーに哨戒機「P1」を初出展、将来の輸出への布石だ。また「P1」用エ
フランスで開かれた国際航空ショーに参加するため日本を出発した海上自衛隊の最新鋭のP1哨戒機2機のうち1機が、機体トラブルのためショーに参加できなかったことが分かった。日本の航空機製造の技術をアピールし、国際的に売り込む場となるはずだったが、「たどり着けなかったのは恥ずかしい」と政府関係者は話す。 防衛省によると、2機は海自厚木基地(神奈川県)を12日に出発。16日に会場のパリ郊外の空港に到着し、19~20日にフランスの航空宇宙工業会が主催する航空ショーに参加し、地上展示や飛行を予定していた。2014年に「防衛装備移転三原則」が閣議決定され、各国の国防関係者らを前に高性能な哨戒機をアピールする場と考えていた。このショーに自衛隊機が参加するのは初めてだった。 途中で2機は、ソマリア沖の海賊対策で派遣中の部隊のためにジブチに設けられている拠点に寄った。そこでの点検で1機にトラブルが発覚。交換部品
「私は竜ケ崎飛行場で『レッドブルエアレース』における展示飛行を終えた零戦の帰りをいまかいまかと待っていました。夕暮れでオレンジ色に染まる空の中にポツンと黒い点が見えてきまして、だんだん点が大きくなるとそれが零戦であることがわかりました。夕日に照らされ輝く零戦がとても綺麗で心を打たれましたね。ふと後ろを振り返ると、関係者の何人かは泣いていました」(ゼロエンタープライズ・ジャパン 石塚政秀さん) 【写真】零戦のライバル、グラマンF6F「ヘルキャット」 2017年6月3日(土)、4日(日)に開催された『レッドブルエアレース千葉2017』において、戦後初の日本人操縦による零戦の歴史的ともいえる飛行が実現しました。この零戦は「零戦里帰りプロジェクト」を主宰する、ゼロエンタープライズ・ジャパンの石塚政秀さんが所有する機体です。 石塚さんは日本での零戦の永年動態保存を目的として2014年に初めてこの
マイクロソフト共同創業者ポール・アレンが創設 マイクロソフトの共同創業者であるポール・ガートナー・アレン氏が創設した宇宙輸送ベンチャー企業『ストラトローンチ・システムズ』は、地表から高度2,000キロメートルまでの、いわゆる"地球低軌道(LEO)"へのアクセス手段として、空中発射プラットフォームの開発に取り組んできた。 数年間の開発期間を経て、2017年5月31日、この革新的なプラットフォームがカリフォルニア州モハーヴェ砂漠で初めて公となり、"世界最大の飛行機"としても世界中から注目を集めている。 117.3メートルの翼幅 世界最長となる117.3メートルの翼幅を持つこの巨大な双胴機は、全長72.5メートルで、地上から垂直尾翼までの高さが15.2メートル。重さ226.8トンの機体にはボーイング747型機から転用したエンジン6基が搭載され、249.5トンまでのロケットを半径1,852キロメー
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