・他人が愚痴を言ったり弱音を吐いたりすることに対して「甘えるな」「大変なのはお前だけじゃない」「お前などまだ恵まれている」 他人のみっともなさや至らなさに対してむやみに厳しい。自分にも厳しいのかもしれないが、自分にだけにしといてほしい。・「自分(もしくは自分の知っている人)はこうやってきた」→「だから他の人だってできるはずだ・やるべきだ」→「できてない・やらない人は甘えている」・「他人や社会の批判ではなく自分が変わるべき」。たしかに何でも外部のせいにばかりしているのはみっともないが、行き過ぎると「嫌なことが起きるのはあなたの心がけが悪いせい」に限りなく近づいてしまう。・(ひとの生き方・選択について)「(××が基本だけど)○○もあっていいと思う」…これは私もよく使うかも(汗)。そもそも人の生き方なんて誰かが許可するもんじゃない。・「自分は気にならない」→「問題は無い」→「気にしている人はおか
http://photozou.com/photo/show/103038/2504835 http://photozou.com/photo/show/103038/2504849 「ニューホームレス」とは家を持たずに日雇いの仕事で収入を得て、ネカフェやホームレス宿泊施設で寝泊まりしてる人達です。 母親の病気の治療の為に実家を貸家にして、治療費用に当てながら、日雇いの仕事を続けて、ホームレスの宿泊施設(1780円/日)に寝泊まりする。一食500円以内に抑えて、週6日働いても貯金が貯まらない。しかし、毎週日曜に秋葉に行って、メイドカフェで馬鹿高い金を使いまくる。しかも、病気の母親には一度も仕送り無し。終いに、『やっぱ国からの援助は欲しいですよねぇ〜』とか吐かす始末。 中毒サンの政治・経済俺にもいわせろッ!!〜これがおれの意見だ!オヤジの一刀両断ッ〜:どう判断しますか? - livedoo
東京新聞の記事だけでは詳細がわからないから、仕方なく、現在発行されている「論座」を買って読んだ。 「『丸山眞男』をひっぱたきたい」への応答で、特に心に響くものはなく、だいたい常識的なものばかりだった。 なかには、「常識」の強権のようなものもあった。 私が一番不快に感じたのは、この雑誌に直接寄稿しているわけではないが、ある現職の東大教授が「こういう人間を養成した、戦後世代の者としての責任を感じる」と意見を発していることだった。(同じようなコメントを述べる良識的インテリは無数にいて、ワン オブ ゼムだから名前は不要) 養成する側とされる側があって、自分は養成する側にいて、その資格を持つという自惚れに、私は生理的な嫌悪を感じる。 責任があるといっても、あくまでも自分の使命が果たせていないというニュアンスであり、養成の基準そのものが間違いかもしれないという疑いではないようなのだ。 私の先日のエント
By: Christopher A. Dominic – CC BY 2.0 本を読んだり、人から話を聞いたり、あるいは自分で思ったり考えたりやってみたりしたことの中には、必ず心に引っかかるものが1つや2つあるものです。 言い換えれば、日々接している“刺激”はおびただしい量にのぼるものであり、そのすべてを記憶にとどめておくことは非常に難しく、従って心に引っかかったものがあったとしても、何らかの形で記録に残しておかなければ、忘れ去られてしまう、ということです。 Steve Jobsのスピーチに以下のような一節があります(日本語訳はこちらより借用)。 None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later, when we were designing the first
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