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2009年3月5日のブックマーク (4件)

  • 暇人\(^o^)/速報 (旧) 話の下手な人にありがちな会話パターン

    1 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/12/18(木) 01:41:33 ID:2MxN8Q/J「ラーメンカレー、どっちが好き?」 ↓ 「どっちも好き!」 「~な人って~なことが多いよね」 ↓ 「ひとそれぞれじゃない?」 ■自分の考えを「5分でまとめ」「3分で伝える」技術 6 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2008/12/18(木) 02:16:35 ID:Olp96j0U自分の事だけど 一問一答形式で会話する事が多い 広げられない 12 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2008/12/18(木) 08:00:22 ID:G2hSVwhk会話をしてても、気の利いた意見を返すのが苦手でそれでも何とか面白い返答を返そうとしてる奴がいるんだけど、 あまりにも飛んでるというか、こちらが返答に困ってしまう。 例)「今日インスタントラーメン

  • 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか - 情報考学 Passion For The Future

    ・動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか 「生物と無生物のあいだ」の分子生物学者 福岡伸一氏の科学読み物。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という主題周辺でエッセイが8章。 人は毎日カツ丼ばかりべているとカツ丼になってしまう、わけではない。だがカツ丼を構成している分子は、身体の構成分子と交換されてしばらく一部となり、やがて外へ抜けていく。分子は入れ替わるがシステムは維持される。こうした分子の流れ、動的な平衡状態こそ生命の質なのだということをルドルフ・シェーンハイマーという科学者が1930年代に突き止めていた。 「個体は感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかないのである。」 流れであり平衡状態であるという見方は、東洋医学的な見方でもあるなと思う。患部を部分的に治療するのでは

    hatsumoto
    hatsumoto 2009/03/05
    つまり生命とは絶え間ない水流が作り出す渦巻きみたいなものということだ
  • 「夫の代わりに、ウツになりました」:日経ビジネスオンライン

    「夫の代わりに、ウツになりました。今、闘病生活を送っております」 これは大学時代の友人S子から来た年賀状に書いてあった、なんともショッキングな近況報告である。ウツ? しかも夫の代わりって…? 実はこれ、スピルオーバーという現象で、正確には夫()のストレスが(夫)に伝染する状態をいう。 スピルオーバー(余剰・余波)とはもともと、電波が目的の地域外まで届く現象のことを指す言葉だが、心療内科では、職場でのストレスと家庭でのストレスがそれぞれの界面を超えて相互に影響を及ぼす現象を表す。1990年代以降、欧米を中心にスピルオーバーに関する実証研究は急速に増えている。 スピルオーバーには、ネガティブなものとポジティブなものがあり、ポジティブな面に着目したのがワークライフバランスなどである。 明るかった彼女に、夫のストレスが伝染…?! さて、そんなスピルオーバーを、ウツという最悪の状態で経験した友人

    「夫の代わりに、ウツになりました」:日経ビジネスオンライン
    hatsumoto
    hatsumoto 2009/03/05
    自分の周りが幸せじゃないと自分もしあわせになりづらいの一例。職場も社会も。自分だけ幸せはありえない。
  • 「空気」を読み合う生きづらさ:日経ビジネスオンライン

    「気配」に「殺気」、「気分」と、日語には「空気」にかかわる言葉が多い。場の空気をキャッチする感性を涵養する文化だといえるが、翻って空気に支配されやすい環境ともいえる。 かつて、作家の山七平氏は著書『「空気」の研究』などで、日人の行動原理を「日教」によるものと定義し、その支配秩序を「空気」が握っていると喝破した。また、政治学者の丸山眞男氏は天皇制を「無責任の体系」と呼び、権力が消失する点を衝いた。これらは空気支配の証といっていいだろう。 「空気」は過去にも論じられていたものだ。だから、ここに来て「KY」(空気が読めない)という語が持ち出されたことに、ある世代より上ならば今更の感を覚えるかもしれない。 しかし、日人の原則が明らかにされたところで、「空気」の支配力が衰えたわけではない。むしろ、いま改めて「空気」が問題になっているということは、それなりの理由があるものと考えられる。 今回

    「空気」を読み合う生きづらさ:日経ビジネスオンライン
    hatsumoto
    hatsumoto 2009/03/05
    >他人からどう評価され、受け入れられるのか、どこまでちやほやしてもらえるのかということに敏感なコミュニケーションモードのもとで生きているということです。