うつ病で将棋が指せなくなり、休場を余儀なくされたプロ棋士の先崎九段。現役復帰を目指して後輩相手に練習対局をしたり、将棋連盟の新年行事である「指し初め式」に出席したりする日々を過ごしていた。ある日、精神科医の兄から「何か書いてみたらどうか」との提案が……。
海上自衛隊の男性幹部が、長年にわたって女性向けの風俗店を経営し、顧客に対して訓練内容の情報などを漏洩していたことが、「週刊文春」の取材で分かった。 海自幹部は防衛大学校を卒業後、護衛艦などの艦長を歴任し、現在は一等海佐で、昨年8月から横須賀基地で勤務している。この男性は偽名を使って女性専用の無店舗型風俗店の営業を行っており、幹部自身がマッサージの施術もしていた。同店のホームページやSNSには、“マスター”として「煌(あきら)ゆう」と名乗る人物がサングラス姿の自身の写真を掲載し、〈貴女を癒すやさしさとたしかな技術を持っています〉などと性的サービスを提供していることを記していた。また、今年2月1日に〈創業16周年を迎えた〉と書かれていた。 利用経験がある女性が明かす。 「店に連絡すると、彼が対応し、ラブホテルなどでサービスを受けました」 施術を受けた別の女性の親友が語る。 「並外れたテクニック
その夜、ビートたけしはテレビ番組のなかでこんなことを言っている。 「芸人がこういう姿を見せるのはリスクがあって、涙を流して記者会見したやつの芸を誰が見て笑うんだってなるから、これはやってくれるなと思うわけ。それをやってしまわなきゃいけないようにした事務所、おかしいって」。 ビートたけし ©文藝春秋 くだんの記者会見では、宮迫がまず振り込め詐欺の被害者やその家族に謝罪し、続いて「世間の皆様」や「不快な気持ちにさせてしまっているすべての皆様」に「申し訳ございませんでした」と頭を下げた。その後に涙ながらの会見が続くことになる。それに対して、たけしは上述のようなことを言うのであった。 「フライデー事件」で「世間」に対して謝らなかった そのたけしも、かつて事件をおこして記者会見をおこなっている。愛人を取材した写真週刊誌の編集部を「たけし軍団」とともに襲撃する、いわゆる「フライデー事件」(1986年)
「本当は現役を辞めたくありません。続けたいと球団や会社に伝えましたが、『契約しない』と戦力外通告され、クビを切られました」 「週刊文春」にそう訴えた元女子プロ野球のA選手は、暗い表情で肩を落とした――。 11月1日、日本女子プロ野球リーグは、所属選手71人の半数にあたる36人の退団を発表した。 ◆◆◆ 女子プロ野球は、2010年にリーグが発足。度重なるチーム再編を経て、現在は「京都フローラ」、「愛知ディオーネ」、「埼玉アストライア」の3球団に加えて、若手育成に特化した「レイア」の計4球団がある。 「いずれの球団も、『ブルーベリーアイ』でおなじみの健康食品会社『わかさ生活』が一社で運営しています。女子プロ野球は経営難で、1球団あたり毎年約2億円の赤字。売上高144億円(17年)の企業がこれまで約100億円を負担してきたが、今年8月には球団を運営する企業や団体を募集しています。来季は2球団体制
50キロ以上の超過は本来、一発免停で、6カ月以下の懲役又は10万円以下の罰金となる。ところが、警護についていた広島県警の後続車両は、140キロで走る河井氏の車を追いかけつつ、事務所に注意を促す電話を入れたのみで、違反を検挙しなかったというのだ。 その決定的な証拠を「週刊文春」は新たに入手した。克行氏と事務所スタッフらとのLINE上のやり取りだ。そこには、10月5日の12時に〈県警より、「現在140キロで飛ばされていますが、このようなことをされたら、こちらとしてはかばいきれません。時間に余裕を持って、時間割を組んでください」とお電話がありました〉と記されていた。 河井氏と事務所スタッフたちのLINE画面 広島県警に聞くと、「個別の事案については回答を差し控えます。ただ、一般論として警護対象者が乗っている車が一時的に法定速度を上回る速度超過が疑われるような事があった場合は、秘書等を通じて是正を
将棋で「女王」といえば、7つある女流タイトルのひとつを意味する。保持するのは西山朋佳。彼女は現役奨励会三段で唯一の女性で、また慶応大SFCに在籍する才女だ(現在は休学中)。 西山女王は秋に開幕した第41期霧島酒造杯女流王将戦三番勝負、第9期リコー杯女流王座戦五番勝負に挑戦中で、里見香奈女流六冠(清麗・女流王座・女流名人・女流王位・女流王将・倉敷藤花)と「八番勝負」を戦っている。里見のタイトル獲得・防衛の勝率は8割6分あるものの、西山には今年春の第12期マイナビ女子オープン五番勝負で敗退した。もし里見が女王を奪取していれば、今年9月に成し遂げた史上初の女流六冠は、七冠独占になっていた。 八番勝負は折り返し点を迎え、女流王将戦は最終局の第3局が11月1日に行われる。女流王座戦は今月30日に開幕し、西山が制した。
1972(昭和47)年に最後の住人が下山し、廃村となった東京奥多摩の集落「峰」。今も山の中にひっそりと残る集落跡を訪れた私と編集者のTは、山を降りた後、往時を知る人がいないか、鳩ノ巣駅周辺で聞き込みをすることにした。(全2回の2回目/#1より続く) 「子供の頃から出入りしていたから、よく知っているよ」 まず向かったのは、駐在所である。お巡りさんに話を持ちかけたところ、その問い合わせ内容に少し戸惑いながらも、向かいにある喫茶店を指さし、ここのマスターなら知っているかもしれない、と先頭に立って歩き出した。そして喫茶店の扉を自ら開けると話をしてくれたが、その親切は実らず、取材の手がかりを得ることはできなかった。時刻はもう13時を回っている。登山の疲れが出始めてきたわれわれは、休憩がてら腹ごしらえをすることにした。 鳩ノ巣駅周辺には飲食店が3軒ほどあり、なかでも繁盛していそうな一軒に決めた。釜飯が
おいおい、そんなに早足で大丈夫かい、と後ろから見ていて心配になった。横に這った杉の根っこをうまく利用して作られた結構急な山道を、編集者Tは平地を大股で歩くように登っていく。前日、池袋の山道具専門店で購入したという茶色の登山靴が光っている。私のリュックは歩くたびに背中で音を立てる。クマよけの鈴がついているのだ。(全2回の1回目/#2へ続く) われわれが目指すのは、かつて峰という集落があった跡だ。1972(昭和47)年に最後の住民が下山し“廃村”になったと資料にある。住所は東京都奥多摩町。
菅原一秀 経済産業相 「女は25歳以下がいい。25歳以上は女じゃない」 「子供を産んだら女じゃない」 「嘘を申請したから大丈夫」 『週刊文春』2016年4月7日号 「シングルマザー世帯の雇用拡充」を公約に掲げながら…… 新入閣を果たした菅原経済産業相は不祥事のデパートとして知られ、ウィキペディアにすら12もの不祥事が掲載されている。上記の発言はその中の一つ。 菅原一秀経済産業相 ©AFLO 報道によると、菅原氏は2012年の年末頃から27歳の女性と交際(ちなみに菅原氏は独身だったので、ここで「愛人」という表現を使うのはおかしい)。女性によると、菅原氏は何かというと怒り、彼女に対して「バカじゃないの」「親の教育が悪い」などと言ったり、物を投げつけたりしていた。また、彼女を含めた女性を見下した発言を再三行っており、「25歳以上は女じゃない」「子供を産んだら女じゃない」などと話していたという。
39日間に及んだ東北道・佐野サービスエリア(SA)のストライキが終結した。 全面再開となった9月24日朝11時、駆けつけたメディアを前に加藤正樹元総務部長(45)が声を詰まらせながら、こう挨拶した。 「本日、ストライキ状態から従業員が復帰しました。今後、今までよりもレベルアップした従業員一同、全力でがんばりますので皆さんよろしくお願い致します」 お盆から続いていたストライキだった。加藤氏と並んで、頭を下げた従業員たちの制服も、アロハシャツから長袖の秋冬の制服に衣替えしていた。 「週刊文春デジタル」では、この異例のストライキを密着取材していた。そこで目の当たりにしたのは、突然に仕事場を失った従業員の苦悩、そして“敗北”直前まで追い込まれた加藤氏の、従業員を道連れにしたことへの葛藤だった。 発端は商品の納品が止まったこと ストライキの現場となった佐野SA(上り線)は、年間170万人もの利用者を
「1週間前に佐野サービスエリアを遠くから見える場所まで行って……知らない人たちが働いている様子があって、どんどん戻れない状況に追い込まれているのかもしれないと感じました。正直なところ、当初、ストライキは3時間くらいで終わると思っていました。まさかこんな事態になってしまうとは考えもしませんでした。私がストライキ中の従業員に支払うために(自費で準備して)組合に供託した1500万円も今週末(9月20日)で切れてしまいます。毎日約35万円ほどかかってしまうので、なかなかもたないですね。本当に焦っています」
正直な話をすると、やけ酒で酩酊した頭でこれを書いていたときも、僕はこれが希望的観測に過ぎないことを自覚していました。なぜならこのとき王位戦に挑戦した俺のかずきは43歳。一般的に30代までがピークと言われる将棋界において、「年齢的におそらくこれが最後の輝きになるだろう」ということは多少将棋を知っている人であれば否が応でも理解せざるを得ないことだったからです。 その後は僕も仕事とかいう1ミリも棋力が上がらない無駄な行為に勤しむ時間が増え、将棋をじっくり見る時間もあまり取れなくなっていました。大人の階段を登り切り、シンデレラでもなんでもないつまらない大人になりました。極めて愚かな行為なので皆さんは真似しないようにしてください。 「世界将棋強いベストイレブン」であるA級棋士に返り咲き ところが。僕が人生の停滞を続けている間に、俺のかずきはそこからさらにトップ棋士の階段を登っていました。46歳にして
日韓が衝突する背景にはいつも「歴史認識」の問題が存在する。現在、最大のトピックになっている徴用工問題をはじめ、振り返ると、歴史教科書、竹島、慰安婦……と歴史問題が浮上するたびに、日韓は対立してきた。 なぜ日韓の歴史をめぐる議論は噛みあわないのか。その背景には何があるのか。そこで「文藝春秋」編集部では、朝鮮半島研究を専門とする神戸大学の木村幹教授と、韓国出身のジャーナリスト崔碩栄氏の対談を企画。「韓国における歴史とは何か?」というテーマで語り合ってもらった。 「事実にかなった歴史」ではなく「理にかなった歴史」 印象的だったのは、対談中、木村教授が次のような指摘をしていたことだ。 「韓国語の『正しい歴史(オルバルン・ヨクサ)』という言葉は、『事実にかなった歴史』という意味ではなく、『理にかなった歴史』『あるべき歴史』という意味で使われます」 神戸大学の木村幹教授 ©文藝春秋 その上で、木村教授
「慰安所で働く女性の多くは日本人でした」 慰安婦問題は、長く日韓両国の外交課題になってきた。韓国が国際社会に向けて大々的に慰安婦問題をPRしてきた結果、現在は韓国人慰安婦ばかりに注目が集まっている。しかし、ジャーナリストの櫻井よしこ氏は「日本人慰安婦の存在も忘れてはなりません」と指摘する。 櫻井よしこ氏 ©文藝春秋/山元茂樹 「あまり語られていませんが、慰安所で働く女性の多くは、朝鮮の女性ではなく日本人でした。現代史家の秦郁彦氏は、直接、日本人の元慰安婦を取材したことがあるそうです。その方は、慰安婦時代に貯めたお金を元手に、戦後商売を始め、成功を収めました。被害者がましいことは何一つ言わず、私はとても素晴らしい人生を送りましたと話したそうです」 さらに、櫻井氏はシベリア、満州で諜報員として活動した陸軍少佐の石光真清と、日本人慰安婦のあるエピソードを明かした。
『岡崎に捧ぐ』などの作品で知られる山本さほさんが、厄介な人たちを引き寄せるトラブル続きな日々をつづります。今回は、第1話から一転して超シリアスなエピソードです。毎週木曜日更新。
デビューから10年後の2017年1月、「放牧宣言」をして活動休止に入り、その約2年後の昨年11月に「集牧宣言」と題したメッセージを公開して活動を再開した人気バンド「いきものがかり」。そのいきものがかりメンバーの乱倫な性生活と不誠実な態度に業を煮やし、「週刊文春デジタル」に証言することを決めたのは、元交際女性のA子さんだ。 「私の彼を思う気持ちなども、すべて裏切られました。いきものがかりの心に響く楽曲とは、真逆の印象でした」(A子さん) いきものがかりはボーカルの吉岡聖恵(35)、ギターの水野良樹(36)、ギターとハーモニカの山下穂尊(ほたか・36)の3人組だ。2010年のNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主題歌「ありがとう」をはじめ、2012年の「NHKロンドン五輪放送」のテーマソング「風が吹いている」など、国民的ヒット曲を連発。NHK紅白歌合戦には2008年から9年連続で出場しており
「昨日は、隣の小学校で運動会が行われていたので、そんなことが起きていたなんて、まったく気付きませんでした。いきなりパトカーや救急車が何台も来て、騒然となっていた。私のところにも夕方4時くらいに警察が来て、いろいろ聞かれて。特にお父さんと息子さんの関係について聞かれました」(近隣住民) 6月1日(土)の夕方、東京・練馬区の住宅街で元農水事務次官の熊澤英昭容疑者(76)が、同居する息子の熊澤英一郎さん(44・無職)を刺殺。川崎市・登戸の小学生児童ら連続殺傷事件を起こした岩崎隆一容疑者(51・死亡)が長期にわたって就労しない”引きこもり傾向”にあったことが改めて社会的に議論となる中、一報は飛び込んできた。 BSE問題の責任をとって辞任した「先生」 熊澤容疑者は東大法学部を卒業後、1967年に旧農林省入省。畜産局長や経済局長を経て、2001年からは事務方トップの事務次官を務めた。BSE(牛海綿状脳
何度も形勢が入れ替わる激戦となった 人々の注目は二つ。 一つは、A級初参戦の佐藤天彦が名人挑戦を決めるかどうか。 そしてもう一つは……誰が降級するか、である。 2名の降級者のうち、1人は郷田真隆王将(当時)に決まった。タイトル保持者のA級陥落に、解説会場では溜め息が漏れた。 残る降級は1人。 順位戦で無類の強さを発揮し、永世名人の資格を有する森内俊之か。それとも関西所属棋士として、そして振り飛車党として唯一A級の地位を守る「さばきのアーティスト」久保利明か。 戦いは、何度も形勢が入れ替わる激戦となった。 「鉄板流」とも称される森内の緻密にして強靱な受けを前に、久保も「さばきのアーティスト」の裏の顔である「粘りのアーティスト」へと変貌。日付が変わってもまだ戦いは終わらない。 将棋会館で行われた大盤解説会。午前1時を過ぎているが、熱戦の行方を見守るファンが席を立つことはなかった ©白鳥士郎 8
中西 いや、極めて多様な人材を求める、というのが正直なところですから、こういう鋳型にはめた人をください、というのはないですね。 ただ、最低限はやっぱりあります。今の日本の学生や若い人たちを見ていて、これはちょっとまずいんじゃないか、と思っていることがあるんです。それは言いたいですね。 例えば、最低限のITリテラシーということになると、数学はちゃんとできていてほしい。 冨山 基礎能力系ですね。 中西 それから、やっぱり外国語。大学を出たんだから、得意でなくてもいいから、外国語が嫌い、というのはやめてよね、と。 冨山 英語は小学校から十数年やっていますからね。 中西 でも、大学の人と話をすると、最近は高校から入ってくる人のレベルがそうなっていない、という。それはまじめに入試をやっていないからじゃないですか、と返すんですけど。 冨山 数学も英語もそうなんですが、ものを考えたり、ものを分析したりす
例えば、棋士の食事といえば加藤一二三九段の「うな重」が有名だ。加藤九段は対局に集中するため、余計なことを考えないようにするために対局中の食事をすべて「うな重」で固定したのだという。そして彼は「棒銀」という古くから存在する急戦型の戦法をこよなく愛しており、その採用率は非常に高い。その将棋へのまっすぐな愛と、好きになったら極めるまで添い遂げる一途さ、それらがめし情報とクロスして見えてこそ、「棋士の食事情報」は「将棋めし」であり、ファンにとって重要な情報なのである。 昨今、ネット配信による対局の生中継が増え、棋力の有無に関わらず将棋を楽しむファンが増えてきた。藤井聡太七段の登場による将棋ブームでさらに注目されるようになったのが棋士の食事注文である。 もっとも、棋士の食事について言及されるようになったのは最近の話ではない。観戦記に初めて詳細に書かれたのは1932年9月11日に國民新聞に掲載された、
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