「書物検索ノート(ビブリオ・マシーン)」は高山宏の生命線書評とのつき合いは長く、そして決定的なもののように思う。 青雲の志を抱いて上京しながら大学紛争とその余波を受けてしまい、本の読み方もろくに知らないまま放りだされた。それがなんとなく外国語研究室の助手ということで大学図書室に勤めた二年で自分が一変した。書評誌紙のお蔭である。一九七○年代後半。これだけは、掛値なしにナツカシイなあ! うまれて初めて見る厖大な本の山は、しかし何のシステムもないただの紙きれの貯蔵庫だった。本たちをたえず棚から棚へ移し換えながら、ほくは何万冊もの洋書のシステム化を開始した。そのことは前に一、二度書いたことがある。年間一千万を越える書籍費の消化も助手が行なった。教官たちは良い本は自分で買い、どちらかと言えばつまらない、しかも高い本を公けの図書館で買わせようとする人が多かったから、日に日にわが図書館を愛するようになり