The Milwaukee brace ミルウォーキー装具に関するサイト。 ミルウォーキー装具は側彎症の治療に用いられる矯正用のコルセットのようなもの。 ギャラリーには様々な矯正用装具の写真が置いてある。 不謹慎だけど、矯正用装具には凄く惹かれるものがある。 不完全なもの、その不完全さを何か別のもので補っているものが好きなんだ。そういう嗜好がメンタルに向かえば、狂気や人格障害、狂信への興味になるし、フィジカルな方向に向かえば、畸形や不具、コルセット、矯正装具、車椅子、義肢・義足やサイボーグへの興味となる。 参考:脊柱側彎症 TrackBack TrackBack URL for this entry: http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10993/919035 Listed below are links to weblogs tha
美術手帖というと値段が高くて紙質は良いけど判型が小さくて厚みのある分ページが開きにくくて美術系の雑誌としては如何なものかという気がするし特集記事の内容もちょっと物足りない感があるなぁという感じで高校の頃から立ち読みはしても買うことはない雑誌の代表みたいな処があるのだけれど今月号のヘンリー・ダーガーの特集はかなり気合いが入った読みでのある内容で税込み1600円という毎月定期刊行される雑誌の値段じゃねぇだろうという値段も思わず納得の出来なので変な美術や気狂いが大好きだけど作品社の「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」を買えない僕のような貧乏人の人は九歳の娘をTバックグラビアイドルにしてでも買うべきだと思うの。 Realm of the Unreal: A Page About Henry Darger Wikipedia : Henry Darger / ヘンリー・ダーガー
YouTube : When the Wind Blows part 1 YouTube : When the Wind Blows part 2 YouTube : When the Wind Blows part 3 YouTube : When the Wind Blows part 4 YouTube : When the Wind Blows part 5 YouTube : When the Wind Blows part 6 YouTube : When the Wind Blows part 6.5 YouTube : When the Wind Blows part 7 YouTube : When the Wind Blows part 8 Rimo で全話通して観る Raymond Briggs の漫画を1986年にアニメーション映画化したもの。 英国
大正から昭和にかけて、女学生の間の連絡の手段として手紙はもっともありふれて、そして重要な手段であった。女学生たちは少しでも愛らしい手紙を書くために、高畠華宵や竹久夢二の便箋や封筒をこぞって買い求め、センスのある手紙を書くための文例集も発売されていた。らんぷの本から出ている「女學生手帖」には当時の文例集からその内容が紹介されている。当時の女学生たちはこのようなお手紙例文集を手本にしながら、様々な想いを手紙に託していたのだろう。「思い切って」 お姉さま! あたしのお姉様!? お許し下さい。 せめて心の中でのみこうお呼びしますことを。ほんとうにこの頃のあたしはどうしたのでしょう。お室に居るときは尚更、学校に行って居る時だった、ただの一分間もお姉様が忘れられないのです。 あたしは幸福です。お姉様とお机を並べる事が出来たのですもの。でも同じその一つの事がたとえられない悲しみとなって居ますの。
YouTube - Dr. Strangelove Final Scene (via fumi_oブ)We'll meet again Don't know where Don't know when But I know we'll meet again some sunny day We'll Meet Again - Midi and Lyricsmixi (SNS) Sweet Sweet Gwendoline. (DIARY) TrackBack TrackBack URL for this entry: http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10993/13542487 Listed below are links to weblogs that reference We'll Meet Again: » Hugo Strikes
昭和の初め、東京深川に「二笑亭」なる奇怪な建物が存在した。渡辺金蔵(式場隆三郎の「二笑亭綺譚」ではプライバシーに配慮して赤木城吉なる変名が用いられている)なる資産家の手によるこの建物は十数年にわたり改築・増築が繰り返されてきたが、やがて度の過ぎた奇行により家族の手により精神病院に入院させられてしまい、二笑亭の建築はその時点で中絶することになった。主を失った二笑亭は昭和13年に解体されることになり現存しないが、精神科医で評論家の式場隆三郎が興味を持ち、解体以前に二笑亭に赴き詳細なレポートを一冊の本に纏めて出版した。それが「二笑亭綺譚」であり、二笑亭の全貌を現在に伝える唯一の書となっている。(1988年に刊行された求龍堂版では子息の式場隆成、藤森照信らによる追跡調査の結果が付加されている。)ある新聞は、「狂人の建てた化物屋敷」と報じた。近所では、「牢屋」とよんでいる。多くに人々は、富裕の狂人の
澁澤龍彦全集の月報に掲載されていた、澁澤の妹、幸子へのインタヴュー記事の内容が面白いのでそのさわりの部分を紹介。 妹からみた兄龍彦 澁澤幸子(澁澤龍彦の妹) 出口裕弘(インタヴュアー) 澁澤「昨年十二月のシンポジウムの時も、松山俊太郎さんが、兄はマザコンとは言わないけれども母親に溺愛されたとおっしゃってましたでしょう。それはすごく彼の人となりに影響したとはおっしゃらなかったにしても・・・・・・。松山さんは繰り返し、この前の鎌倉の講演会の時もそういう話をしていらしたし、それから書いたりもしていらっしゃるみたいだし、松山さんに限らず、龍子(夫人)さんもそれを信じているみたいなところがあるんですよね。でもそんなことはなかったのです。うちの母親は非常に理性的なタイプで、男の子一人を溺愛するタイプじゃないんですよね。その証拠に私たちは一視同仁に扱われていて、私はとにかく、「お兄ちゃんばかりかわいがっ
前回の続きです。前回は悪口メインでしたが、今回はエロトークが中心。相変わらず足穂がトバしてます。鼎談 A感覚・V感覚 稲垣夫人「二十二日からお酒飲んで待ってたんですよ、この人。飲んで飲んで飲みつづけていれば、調子が出るんだって。それが八日目ぐらいでダウンですわ。」 稲垣「(夫人の話を突然さえぎって)作家作家といばっているけれど、今東光の作品に何がありますかッ。ニワトリの喧嘩の話一つだけ。ひどい作家もあったものだ。」 稲垣夫人「(稲垣さんの浴衣を見ながら)このごろ、ハダカで暮らしてるんですよ。」 田中「ぼくもうちではハダカです。パンツははいてますけどね。ああ、いくらか回ってきた。(とウイスキーのグラスを上げて)ゆっくりいきましょう。話が出なくって、困るのは向こうだから(と記者を見て)こっちはどうってことない(笑)。ウイスキーをいただきます。ヘッヘッヘッ。先生はもうからだのほうは?」 稲垣「大
金子光晴の「下駄ばき対談」という金子光晴の対談集があって、野坂昭如やら寺山修司、深沢七郎らそうそうたるメンバーと対談してるのだけれど、中でも稲垣足穂と(何故か)田中小実昌との鼎談がもう無茶苦茶で滅法面白い。 少し長いけれど、これから何回かの小分けにして紹介していきたいと思います。 鼎談 A感覚・V感覚 田中「ゆうべね、みんなで、先斗町のお茶屋さんに行きました。」 稲垣「いいとこでんな、うん。」 田中「ほんと。いいとこです。ええ。もうはじめて行きました。そしたら、そのうちの飼ってる犬が、ぼくの足をかじるんだ。血が出たよ(半ズボンから出たすねを見せる)。やっぱり、うさんくさい人間なのかな、ぼくは。」 稲垣「厄除けでいいじゃないの。きれいな脚だねぇ(笑い。やや声を大きくして金子さんに)。はじめてお目にかかったのはいつごろだったでしょうか……。」 金子「大宗寺の横の竹田屋にいたころだから。昭和八、
fluffy Lychees :: my nightmare Richard Kern fluffy Lychees の、 写真家、Richard Kern のショートフィルム「my nightmare」が、UBUWEB で公開されてるよという記事。 ダウンロードはコチラから。(※右クリックメニューで"対象をファイルに保存"を選んでネ) あと、ついでに Richard Kern の1985年のショートフィルム「Thrust in Me」も公開されてて、コチラからダウンロードできます。 ちなみに激しく18禁なので、お子様やエロが嫌いな方は見ないように。 TrackBack TrackBack URL for this entry: http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10993/11356142 Listed below are links to
岡本隆三の『纏足物語』という本には纏足の作り方が細かに説明されている。抜書きするには長いので要旨をちょいとまとめてみた。 纏足は三歳から四歳、遅くとも五歳までの幼児期に行う。纏足は大きな足を小さくする施術ではなく、小さな足の成長を止めそのままにしておく施術であるから、纏足でもっとも美しいといわれる三寸前後のサイズにするには必然的にまだ足の小さく骨の固まらない幼児期から行う必要があるのである。施術は普通、母親などの身内の女性が行うが、自分の娘が苦痛に苦し姿に耐えられず、親戚などに頼むという場合もあった。いずれにしても医者のような専門家が行うのではなく、母親がその娘にだいだい受け継がれてきた家庭内の技法により纏足は行われる。 纏足の施術には以下のような道具が必要とされる。 幅10cm、長さ4m程の細長い布が6本ほど。この布で足を緊縛するのだが、あまり糊付けすると魚の目の原因になる。 睡靴と呼ば
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