ブックマーク / cruel.org (3)

  • 歴史家としてのフーコー キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle)

    Foucault as Historian キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle) (Critical Review of International Social and Political Philosophy Vol 1, No 2, Summer 1998, pp 5-35, Robert Nola (ed.) Foucault, Frank Cass Publishers, London, 1998 にも再録) 要約: フーコーの「歴史」と称するものはいい加減であり、実際の歴史とは全然対応していない。実際の歴史と並べてみると、フーコー流の「知」の考古学や系譜学はでたらめ。かつて中世にキチガイがうろついていたのは、連中が人間として権利を認められていたからではなく、人間以下の動物としか思われていなかっただけのこと。精神病院に入れたのは、別に人間以下のも

    hazymoon
    hazymoon 2006/07/18
    アナール学派といい、バックボーンを考えつつ参照せんといかんな、という当たり前の話だけど、理論の参照として利用する場合しばしば忘れてしまいがち。
  • Yamagata Dojo in CYZO 2005/11

    久々に日にくると、日のホワイトバンドってなんか変なことになってるんだねえ。日のホワイトバンドは、それ自体としては肝心のアフリカにはぜんぜんお金がいかない、という指摘は各方面で見られる。でも、それが目的じゃないからいいんだ、と関係者はいう。もう民間レベルでお金を集めてといった活動ではらちがあかない。政府に対して貧困削減をアピールし、政策的な対応を求めるのが目的なんだという。だから売り上げも、政治活動資金に使われるのであります、というのが日の関係者の説明だ。 ふーん。政策的な対応ねえ。そういうからには、いまの政策は貧困削減を考慮していない、とかれらは思ってるわけだ。じゃあ、いまの世界の(または日の)援助政策って何を目指しているんだろう? 貧困削減だ。 貧困削減策って、もうとっくにやってるんだよ。それどころか実は、貧困削減の重視ってのは、いまの世界中のODA政策の根幹だ。もう十年前、前

    hazymoon
    hazymoon 2006/04/04
    ホワイトバンドが無意味であるというお話
  • Yamagata Dojo in CYZO 2005/10

    今日、ガーナの首都アクラで大規模なコンサートをやっていたのだ。いやー、久しぶりにまともなコンサートに行った! しかもガーナのバンドだけでなく、サリフ・ケイタ(お懐かしや!)やセウン・クティ、マホテラ・クイーンズまで来てるし。でも、ガーナ人はみんな最前列でもじーっと立ってるだけで、ノリの悪さがちょっと意外。そして、貧困削減のためのコンサートだってのに、無料なのだ。なんで? お金集めないと貧困削減できないのに。司会があれこれ能書きをたれ始めてやっとわかった。これ、例のホワイトバンドの一環だったのだ。ほら、サッカーの中田英寿や水泳の北島康介なんかが宣伝してるやつ。貧困に対する認識を高めるためにやってるから、無料なんだって。こんなにたくさんの人が貧困削減を訴えて集まってるぞ、と国連総会にアピールするのが今回の趣旨なんだって。もちろん、来場している多くの人は、無料のコンサートに惹かれてきているだけな

    hazymoon
    hazymoon 2006/04/04
    ホワイトバンドが無意味であるというお話
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