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言葉に関するhealing_buddhaのブックマーク (14)

  • ◇◆出番だ連句/やまぐち連句会◆◇

    healing_buddha
    healing_buddha 2010/09/03
    トップページはさらに興味深い。冊子欲しい~
  • 土曜講座での一場面 ~人能ク道ヲ弘ム~ - カウンセラーのコラム

    カウンセリング・センターでは、今年度から“土曜講座”と称する新規講座を設けている。私は第3土曜日の「東洋思想とカウンセリング PARTⅠ」の世話人を担当しているが、“ある問題”を提起したいので、前回(6月19日)の講座での一場面を振り返ることにしよう。 とその前に、この講座の概要を説明しておこう。学習テーマは講座名からわかると思うが、「東洋思想とカウンセリングとの結びつきについて、よりいっそうの理解を深めていく」という設定だ。学習の素材となるテキストは『ロジャーズ全集第18巻』内に収録されている第6部・座談会「カウンセリングをめぐって」(出席者:友田不二男・伊東博・佐治守夫・堀淑昭)を使用している。 数あるテキストの中からこれを選んだ理由は、「友田氏が“東洋思想とカウンセリングとの結びつき”について公言し出したのは、この(ロジャーズ全集)が出版された時期であることが判明した」からだ。

    土曜講座での一場面 ~人能ク道ヲ弘ム~ - カウンセラーのコラム
    healing_buddha
    healing_buddha 2010/07/25
    よく拝読しております。
  • otogaku.com

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  • フォーカシング - You must be just the faith

  • 悪戯書きは犯罪です - 羽鳥操の日々あれこれ

    「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。 成人の日の翌朝のこと。セットバックしたために、五十センチほど出張って角になっている万年塀に残された悪戯書きを発見。おそらく深夜から未明にかけて書かれたのだろう、と推測しながら、周りを見回す。すると筋向いにも残っている。 ‘もしや’と思い左右を見ながら商店街まで歩いてみた。結果、我が家を入れて四軒の壁や塀や空調の室外機に、大小七箇所も見つかった。同一人物の仕業であることが、はっきりと見てとれる。 次に思うこと。 ‘下手な消し方をするともっと汚くなってしまう。そりゃまずいでしょ’ それならばネットで調べることにしよう。なんと区によっては、大きいものは消しに来てくれたり、小さいものは消すものを貸してくれることがわかった。 そこでさっそく我が区のホームページを調べた。そうしたサービスは

    悪戯書きは犯罪です - 羽鳥操の日々あれこれ
  • コラム:フロイトの言葉から/労働政策研究・研修機構(JILPT)

    主任研究員  横田 裕子 精神分析学の創始者 S.フロイトの最も短い言説とされる言葉がある。ある人がフロイトにたずねた。「正常な人間がよくなすべきことは何だと思いますか。」フロイトはそっけなく答えた。「愛することと、働くことだ。」 この言葉には深い意味がある 簡潔な言葉だ。しかし、フロイトの理論の継承者である精神分析学者の E.H.エリクソンは、その意味を次のように解している。 「彼が愛することと働くことと言ったのは、人間が性器的な生き物であり、かつ人を愛する存在であるという権利もしくは能力を失うほどに一般的な仕事の生産性が個人を占有してはならないことを意味したのである。」( E.H.エリクソン著、仁科弥生訳『幼児期と社会Ⅰ』 1977 より引用) 「愛すること」とは性器的な愛の意味らしい(エリクソンは自分の発達理論における性器愛の意義を説明するために上の言葉を引用した)。筆者としては、「

  • こころの天気の絵を描こう

  • 「減価償却」できればよし!!: カウンセラーこういちろうの雑記帳

  • 臨床検査技師 - Wikipedia

    臨床検査室の様子の一例 臨床検査技師(りんしょうけんさぎし、英: Medical Technologist (MT), Clinical laboratory technologist, Biomedical Laboratory Scientist)は、病院などの医療機関において種々の臨床検査を行う技術者である。日においては、臨床検査技師等に関する法律(以下、「法」という。)により規定される国家資格である。 古くは医師自らが検査を行っていたものであったが、医療の分業化と検査の高度化が進み、現在の医療に臨床検査技師は不可欠の存在となっている。病理解剖・司法解剖などの解剖業務や病理診断の補助、注射器を使用した採血、血液・尿・便などの検体検査、微生物検査、遺伝子検査、超音波・心電図・筋電図・脳波などの生理検査をおこなう医療技術者。 日において「臨床検査技師」とは、厚生労働大臣の免許を受けて

    臨床検査技師 - Wikipedia
  • 臨床検査 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "臨床検査" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年4月) 臨床検査(りんしょうけんさ)とは、広義には、傷病や健康状態を評価するための医学的検査(英語: medical test)全般をさす場合もあるが、通常は、検体検査と生理検査(生理学的検査)を意味する [1][2][3]。 検体検査とは人体から排出(尿・便など)または採取された物(血液など)の検査である[4]。 生理検査とは、人体について行う検査(生体検査)のうち、通常、呼吸機能検査、循環機能検査、神経生理検査、超音波検査、などをさす[1][4][5][※ 1]。

  • 「過保護」という概念は安易に使われすぎていまいか?: 久留米フォーカシング・カウンセリングルーム

    あなたの「街のカウンセラー」をめざしています。 TEL & FAX 0942 48-8797 email:kurumefocusing@live.jp これは、前の記事に続き、この後に予定している記事への伏線になる内容なのだが、そちらの記事でこのことまで一気に論じると長大化し過ぎるし、独立したトピックとして敢えて立ててみても大いに意味がありそうなので、こうして「先行掲載」する道を選んだ。 一般の皆様は驚かれるかもしれないが、心理の専門家の間で、「過保護」という概念が使われることは滅多にない。 そしてそれは「親に甘えている(甘やかしている)」という言い方を心理専門家が可能な限り排除するのと、実は共通の背景がある。「甘え」という概念が専門家と一般の皆様との間でどのくらいギャップがあるかは、すでにこの記事で詳しく論じた通りである。 wikipediaの「過保護」の項は、この点についての配慮が行

  • 挨拶 - 羽鳥操の日々あれこれ

    「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。 「おはようございます」 最近の学生は、そう挨拶する。私の授業では筆記が出来ないこともあって、毎回‘レジュメ’を配っている。そこで学生がコピーをとりにくる際、いやでも顔をあわせる。いったいいつからそうなったのか、と以前から気にかかっていた。 「私の思い込みかもしれませんが‘おはようございます’というのは、演劇人が楽屋入りする時、昼過ぎでも夜でも使う言葉でしょ」 そうした使い方をするのは特殊なプロの世界で、堅気の職業ではない、と言うような意味を、今週はある男子学生に思い切って話しそして訊ねた。 「普通に使うようになってますが、きっとバイトの影響じゃないかと思います」 なるほど、バイトだとすると何となくわかる。 あとはサークル活動だそうだ。 体育会系以外にも、学生はさまざまな活動を行

    挨拶 - 羽鳥操の日々あれこれ
  • 情けは人の為ならず - Wikipedia

    「情けは他人の為だけではない、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味である。 英語には「Today you, tomorrow me」(今日のあなたは明日の私)という同様の語句がある。 1960年代後半、若者を中心に言葉の意味を「情けをかけることは、結局その人の為にならない(ので、すべきではない)」という意味だと思っている者が多いことが、マスメディアで報じられた事が話題となった[要出典](この意味を持つことわざは「情けが仇(相手にかけた情けが逆に悪い結果を招く、という意味)」である)。 2000年頃より、再びそのように解釈するものが増えていると報じられる。平成13年(2001年)の文化庁による『国語に関する世論調査』では、この語を前述のように誤用しているものは48.2パーセントと、正しく理解している者の47.2パーセントを上回った[1]。 この諺の原

    healing_buddha
    healing_buddha 2009/09/06
    知りませんでした。
  • プレコックス感

    私が研修医時代に教わった精神医学用語のうち、いちばん釈然としなかったのがこの言葉である。 「プレコックス感」とは、1941年ごろにオランダのリュムケという精神科医が言い出した言葉であり、簡単に言えば分裂病の患者と面と向かったときに感じるなんとなくいやーな感じのこと。なぜそんなものに「プレコックス感」などという大仰な名前がついているのか、私にはさっぱりわからなかった。しかも、それが分裂病の診断に有用だときいて私はのけぞった。 「なんとなくいやーな感じ」で分裂病を診断していいんかい、おい。 二種類の精神医学事典で「プレコックス感」を引いてみたが、載っている説明はおそろしく歯切れが悪い。「分裂病者に相対したとき観察者のうちに起こる一種言いようのない特有な感情」(弘文堂)、「〈その感じ〉は言葉ではなんとも表現しがたく、表情のかたさ、冷たさ、態度のぎごちなさ、感情疎通性のなさ、奇妙な唐突さなど

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