まったく馬鹿げた話だが、ここはもともと「ポスト・フラット」の話をするためにはじめたのだった。すぐ書くつもりが忘れていて、どうでもいい話ばかりで埋まってしまっている。これではディレクトリを/blogから/journalに変えた意味がない。 しかし「ポスト・フラット」は未だ抽象概念であって、具体例をどのように示せばいいのかも判らない。そこで止まっていた。しかし考えるだけでは何も生まれないのだ。考えるためには、考えるための道具を集めなくてはいけない。道具を集めずに考えるからいつまで経っても何も浮かばないのである。それは知っている。 そこで、もしアートの展覧会で「ポスト・フラット展」があったとして、そこにどんなものが展示されているかを考えることで埋めていくことにしよう。アートの多くは抽象概念のまま提示する媒体であるから、ポスト・フラットとは相性がいいはずだ。 「フラット」がコンテキストから開放され