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ブックマーク / number29.hatenadiary.org (5)

  • 1万年と2千年前 - 砂上のバラック

    ある日の会話より。 A「あのさ」 俺「ん?」 A「1万年と2千年前からあ・い・し・て・る〜ってやつあるじゃん」 俺「ああ、アクエリオン?パチンコのCMのインパクト強いよな」 A「うん、それでさ。あれって要するに1万2千年前だろ?って一瞬思いそうになるだろ?」 俺「一瞬っつうか、そういうことじゃね?」 A「いや、違うんだよ」 俺「ほう」 A「確かに普通に考えると1万年+2千年で1万2千年な気がするよな、つまりこうだ」 俺「ああ……つうか、わざわざそんなの作ったんか」 A「そうだ。まあそれはどうでもいい」 俺「わかった、とりあえず続けれ」 A「俺の仮説ではだな、そうじゃないんだよ」 俺「というと?」 A「あれはだな、1万年前からと2千年前からの二段階で愛してるんだよ」 俺「普通に意味わからん」 A「だよな、そう言うと思った。これを見るんだ」 俺「ふむ?」 A「つまり、こういうことだ」 俺「どう

    1万年と2千年前 - 砂上のバラック
  • まさに「ブロガーの病」とでも言うべき - 砂上のバラック

    FPN-ゲームをつまらなくしたのは僕たちゲーマー自身かもしれない 見事すぎるほどに悪質な記事。「かもしれない」という曖昧な語尾で断定を避けつつ巧みに「ゲーマー」(「ヘビーゲーマー」)にネガティブイメージを与え、しかも「僕たち」と当事者を装い自省のそぶりを見せることでへつらういやらしい態度(多用される「ですよね」という語尾の気持ち悪いことよ)。これぞ大衆に迎合するブロガー様のあるべき姿ですよと感心すらしてしまう。 この記事はほとんどが明確な裏付けのないユルい「気分」に支配された印象論で展開されているから指摘するのもキリがないが、一例を挙げるならこんな文章がある。 特に嫁さんをゲーム好きに洗脳しようと思ってゲームを探したときに改めて感じたのは、二人以上でプレイできるゲームの少なさ。 プレステのゲームって対戦以外はほとんど一人用のゲームなんですよね。 昔のファミコンってもう少しみんなでワイワイや

    まさに「ブロガーの病」とでも言うべき - 砂上のバラック
  • 砂上のバラック - 2005年12月01日 - Game Players Conference 2005 NAKANO

    GPC 2005 とか適当に名前をつけてみたが、ようするにその実体は俺ひとりの脳内会議なのだった。また君か。@d.hatena - Game Consumers Conference 2005 TOKYOのもじりであるが、件の会議で三国志大戦はおろかアーケードの話題そのものが皆無に等しいのにいじけてるとか当てつけてるとかすねてるとかではなく、ちょっとここのところ漠然とゲームのことを考えていたのだけどさっぱりまとまらないのでメモ形式をパクろうという魂胆なだけだったりする。ひとりなのにPlayersってところにツッコミがあるかもしれませんが、ひとりで2コン側もプレイした経験のある人ならきっと理解できるはずでしょう。ということにしておく。 ゲームの最先端問題 俺にとっては文句なしに三国志大戦。 フラットリーダー筐体による独特のインターフェースを生かした新しいアクションゲームが実現している。なのに

    砂上のバラック - 2005年12月01日 - Game Players Conference 2005 NAKANO
    hejihogu
    hejihogu 2005/12/01
    ゲームの昔話、確かに最近は同じゲームで盛り上がれる層が減ったなぁ。
  • 砂上のバラック - 投げ銭なんですが

    はてなキーワードの「的を得」にものすご〜くもやもやっときてしまったのだが、大胆に直していいのだろうか。いつの間にかはてな市民になったことだし。でも、キーワードってうかつにいじるの怖いし、俺が支持している「的を得る」についての考え方はこのキーワードと真っ向逆だしなあ。無駄に不毛な争いをしたくないから迷う。ちなみに俺が支持している考えは以下。 この「的を得た」という表現をあげつらって、“「的を得た」なんていう子供なみの日語の間違いを堂々とHPに載せているくせに、よく他人の非難ができる”などと書いている掲示板があります。これはよく流布している無知からきています。射撃の場面を想像して「的を得る」はずがない、「的を射る」ものだ、という誤解です。これは漢語に由来する表現であることを知らず、日語として「的を得る」はずがない、と思ってしまうのです。語源の『大学』・『中庸』にあるように、「正鵠(せいこく

    砂上のバラック - 投げ銭なんですが
    hejihogu
    hejihogu 2005/08/26
    そろそろ投げ銭についての再考察をしたいなーと思ってたトコです
  • 砂上のバラック‐ホワイトバンドってさ

    いざ実生活で見かけてみると、そこに垣間見える自意識が気持ち悪く感じちゃうんだけど、これは俺がホワイトバンドのことを知っていて、かつ、その運動に違和感を持っているからなのかな。 なんつか、認知の低い、知らない人から見たらただの白いわっかにしか見えないものを目立つところに身につけて、知っている人の間だけで「あ、あの人もホワイトバンドしてる」みたいに仲間意識のようなものを共有しあうってのが俺にはとても気持ち悪いや。(たとえ彼ら彼女らにそうした意識がなかったとしても) ちょっと考えていて改めて気づいたのは、ホワイトバンドというアイテムやそのバックグラウンドにあるイデオロギーがどうとかいう以前として、気分を媒介とした薄く広い共有関係を作って、その圧力によってあるイデオロギーを浸透させようという手法が俺は大嫌いみたいだ。 せめて、共有されるのが気分なんかでなく、議論に支えられた強靭な理論とかだったらま

    砂上のバラック‐ホワイトバンドってさ
    hejihogu
    hejihogu 2005/08/26
    私はひたすらクリッピング派。浮かび上がるのは「その人のブックマークの傾向」に同意。考えはまた別。
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