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2010年12月17日のブックマーク (5件)

  • 『POSSE』第9号から - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    さて、『POSSE』第9号のブラック企業特集から、いくつか。 まず、わたくしと萱野さんの「これからの『労働』の話をしよう」という対談のうち、冒頭の私の発言部分を。これが、わたくしのブラック企業原論になります。 >「ブラック」だけど「ブラック」じゃなかった 濱口:日の企業ではもともと、目先で労働法が踏みにじられているからといって、ミクロな正義を労働者が追求することは、愚かなことだと思われていました。とはいえ、それは「ブラック」だったのかと言えば、そうではありません。これが、今日の柱のひとつになります。 戦後日で形づくられた雇用システムの中で、とりわけ大企業の正社員は、ずっとメンバーシップ型の雇用システムの中にいました。そこでは、会社の言うとおり際限なく働く代わり、定年までの雇用と生活を保障してもらうという一種の取引が成り立っていたのです。泥のように働けば、結婚して子供が大きくなっても生活

    『POSSE』第9号から - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • ソニーはなぜ没落したのか : 池田信夫 blog

    2010年12月17日11:42 カテゴリ経済 ソニーはなぜ没落したのか きのうは佐々木俊尚氏のつぶやきに端を発して、ソニーたたきで盛り上がったようだが、ソニーストアの対応ブラウザがIE6/7だというだけで「ソニーは死んだ」というのは大げさだろう。ソニーの症状は創業60年以上たった企業としては普通の大企業病で、他の大企業に比べて特にひどいわけではない。むしろ、まだ多くの人がソニーにこれだけ期待しているのは立派なものだ。 ただ辻野晃一郎氏も指摘するように、出井社長時代に採用されたアメリカ的な経営体制がガバナンスを混乱させた。以前の記事でも書いたように、「コテコテの日企業」であるソニーに形だけ「株主資主義」を持ち込む一方、抜改革をしないで900以上の連結子会社を温存した出井氏が、ソニーをだめにした主犯である。 私は20年以上ソニーの株主として見てきたが、ソニーがイノベーターだったのはプレ

    ソニーはなぜ没落したのか : 池田信夫 blog
  • 「光の道」論争のあとがき

    ソフトバンクの活躍で盛り上がりを見せた「光の道」論争も、すべて2014年に先送りといういつもの結果に終わりました。結論は妥当なところですが、ソフトバンクはいまだに奇妙なテレビCMを流してがんばっています。その動機についてもおもしろい記事が話題になっているので、ちょっと蛇足のコメントをしておきます。 NTTとソフトバンクの経費の見積もりが大きく違うのは、この記事も指摘する通りですが、問題は工事費ではない。通信のように技術進歩が激しい分野で、経費の見積もりが違うのは当たり前です。問題は、その見通しが狂ったときどうするかという制度設計がソフトバンク案に欠如していることです。NTTの見積もりが正しければ、アクセス回線会社は莫大な赤字を出すが、それは誰が負担するのか。その経営が破綻すると、筆頭株主は政府だから2000億円の税金が失われます。これが「税金ゼロ」だなんて悪い冗談でしょう。 ただ、ソフトバ

    「光の道」論争のあとがき
  • 光の道、その誤謬と、必死なのはなぜの話 | 無線にゃん

    ソフトバンクが光の道はA案かB案か、なんていう広告を大量に出しているにゃん。WEB広告くらいかと思ったら、TVCMまで出しているにゃん。ここまで必死にやるには、裏には相当困っていることが起きているんだろうにゃぁ、と言うところで、いろいろな情報もでてきたので、簡単にまとめ。 まず、ソフトバンクの言っている「A案」「B案」について。A案は光が5000円で地方切捨て、整備も遅い、といい、B案は光が1000円ちょいで地方も全部整備で整備も早い、と広告しているにゃん。まずどう考えてもこの二つが比較になっていない、と言うことに気づきますにゃ。 だって、この情報だけでは、B案以外に選択肢が無いじゃないですかにゃ。それ以外に全く差が無く、この条件だけしかないのであれば、だれが考えてもB案になりますにゃ。しかし国はA案を選択し、ソフトバンク以外のすべての事業者がA案に同意している。これはおかしなことだにゃん

  • 飛田新地…21世紀の日本であることを忘れさせるような町。だが写真撮影は避けた方がよい | ニュース2ちゃんねる

    を訪れる多くの欧米人観光客は、ベストセラーとなった「Memoirs of a Geisha」を片手に、古き日の情緒を味わおうと京都の祇園に押しかける。だが、「飛田新地」は控えめで無垢な芸者の世界とはかけ離れた存在だ。東京の歌舞伎町や札幌のススキノのようなネオン街の華やかさもない。 飛田新地は大阪の貧しい地域の一角にある。そこは都会の闇に日がどう向き合ってきたかを物語る場所でもある。飛田新地の遊郭としての歴史は1900年代前半に始まり、1920年には売春宿がひしめき合うようになった。1958年に売春防止法が施行されてから、それらの店は“料亭”に姿を変えた。だが外観にだまされてはいけない。飛田新地の料亭のメニューにミシュランの星は載っていない。 日で売春は禁止されているが、風俗産業に対する締め付けは比較的緩いようだ。都市に風俗街があることは珍しくなく、しかも堂々と営業している。だが飛