ブックマーク / blog.tatsuru.com (2)

  • 文字の書けない子どもたち - 内田樹の研究室

    高校の国語の先生から衝撃的な話を聴いた。生徒たちが文字を書けなくなっているというのである。教科書をただノートに筆写するだけの宿題を毎回課すが、やってくるのは半数以下。授業中に書いた板書をノートに写すようにという指示にも生徒たちは従わない。初めはただ「怠けているのか」と思っていたが、ある時期からどうもそうではないらしいことに気がついた。 『鼻』の作者名を問うテストに「ニコライ・ゴーゴリ」と答えを書いた生徒がいた。ゴーゴリもその名の短編を書いているが、教科書で読んだのは芥川龍之介である。どうしてわざわざゴーゴリと書いたのか生徒に訊ねたら「漢字を書くのが面倒だったから」と答えたそうである。 生徒たちの提出物の文字が判読不能のものが増えて来たという話は大学の教員たちからも聴く。学籍番号までは読めるが、名前が読むのが困難で、コメントの文字に至ってはまったく解読不能のものが少なくないという。何を書いた

    hevohevo
    hevohevo 2024/02/27
    小学生ならともかく高校生でしょ。教科書をただ筆写するだけの宿題とか何の意味があるのか先生から意図を聞いて納得できない限りやろうとは思わないわ。その先生には生徒に宿題意図を説明したのかまず聞いてみたい
  • ミルの『自由論』について - 内田樹の研究室

    週刊東洋経済が古典の再評価という特集をした。どんなをお薦めしますかというので、ミルの『自由論』を選んだ。 J.S.ミル『自由論』(引用は斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫による) 【よみどころ】 「人民の意志というのは、じっさいには人民のもっとも多数の部分の意志、あるいは、もっともアクティブな部分の意志を意味する。多数派とは、自分たちを多数派として認めさせることに成功したひとびとである。それ故に、人民は人民の一部を抑圧したいと欲するかもしれないので、それに対する警戒が、ほかのあらゆる権力乱用への警戒と同様に、やはり必要なのである。」(18頁、強調はミル) 「人間が判断力を備えていることの真価は、判断を間違えたときに改めることができるという一点にあるのだから、その判断が信頼できるのは、間違いを改める手段をつねに自ら保持している場合のみである。」(53頁) 「人の意見は、それをほんとうに信じてい

    hevohevo
    hevohevo 2023/01/04
    さすがに古典すぎるでしょと解説文を流し読みしたら、とても興味深い内容だった。”『自由論』はミルが「どうして私は賢くなったのか」という経験知を公開したものである。” そんな紹介されたら読みたくなる。
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