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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (5)

  • 『あいちトリエンナーレ2019』における「平和の少女像」弾圧事件について - 過ぎ去ろうとしない過去

    国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』のプログラムの一部「表現の不自由展・その後」では、日国内の公立美術館などで表現弾圧を受けた作品、たとえばヒロヒト(昭和天皇)の肖像画を燃やす映像などとともに、「平和の少女像」が展示されていました。この「平和の少女像」に対して、河村名古屋市長などの政治家を中心に展示を取りやめよというクレームが相次ぎ、2019年8月3日、主催者は急遽、プログラム自体を中止にすることを発表しました。 これは大きな事件です。2019年8月3日から日国内では、戦時性暴力を告発することが禁止になったのです。ついでに「表現の自由」も死にました。正確にいえば「表現の自由」に対して何度目かの死亡確認が行われました。かわりに日国内においては、「日人のお気持ち」という概念が最上位に置かれます。ちなみにこの「お気持ち」の中には、ヘイトスピーチやセクハラに対する不快感は入っていない

    『あいちトリエンナーレ2019』における「平和の少女像」弾圧事件について - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 『主戦場』を見た後に - 過ぎ去ろうとしない過去

    軍「慰安婦」問題を描いたドキュメンタリー映画『主戦場』(ミキ・デザキ監督)が評判となっている。上映している場所が少ない(関東では2館。私が見てきた5月上旬の段階では1館)こともあるが、常に満席。事前予約は必須で、平日の午前中ならばなんとかなるだろうと当日訪れた私は、後日に出直しを迫られた。 映画は、「慰安婦」に対する「支援派」と「否定派」、のインタビュー映像が交互に繰り返されることによって進んでいく。しかし、「否定派」の議論の稚拙さがすぐに明らかになる。誘導によってではない。かれらはカメラに向かってほとんど無防備に、普段から自分たちが主張していることを、主張している通りに喋る。だがその主張は、その後の「支援派」の主張やナレーションによって直ちに否定される。主張のそれ以外は、議論の余地なく嫌悪感をもよおすような、差別、明白なウソ、陰謀論である。 この映画は双方の議論について、いわゆる「両

    『主戦場』を見た後に - 過ぎ去ろうとしない過去
    heyheyhey
    heyheyhey 2019/06/04
    "国会議員やテレビのコメンテーター、タレントがバカだからではない。かれらは意図的に騙しているし、騙されたがっている。いわば現実で壮大なコメディを繰り広げている"→敢えて無知でいることには当然動機がある
  • 過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について

    ずいぶん昔に長文を書いたのだが、アップするのを忘れていた。 「歴史家論争」は、ドイツ人の「国民の物語」を巡る問題と直結している。その発端は、1986年にフランクフルトで行われる予定になっていたエルンスト・ノルテの公演内容の講演と、同年に発表されたアンドレアス・ヒルグルーバーの著書『ふたつの没落』に対する、ユルゲン・ハーバーマスの批判であった。 ノルテは、ユダヤ人の大量虐殺という「過去」は、ドイツ人にとって永遠に消えないスティグマとして刻印付けられており、そのことが過去の歴史に対する冷静な検証をかえって行うことを妨げていると述べる。ドイツ人が、「最終的解決」の問題にあまりにも注意を向け続けているあまり、ナチ時代に行われた他の諸問題、あるいは現代なお行われている他の虐殺の問題が、なおざりにされている、と。 このような動きに対して、ハーバーマスは「国民意識の再生」に対するドイツ国民のコンセンサス

    過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について
    heyheyhey
    heyheyhey 2014/01/05
    過去の歴史の「負債」を過度に意識しているために、「自国の国民の」追悼がおろそかになっている。…(中略)自分の親兄弟を追悼したいという思いが、「国民の物語」を構築しようとしている。
  • ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■中3女子「卒業式出たい」 茶髪注意され、教諭にはさみ押し当てる http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/090314/stm0903141620005-n1.htm 越谷署の調べでは、事件当日、同校は卒業式。午前9時45分ごろ、女子生徒が遅刻して体育館に現れたところ、男性教諭に「スカートの丈が短い。髪の毛が茶髪だ」と指摘され、保健室で注意を受けていた。越谷署の調べに対し、女子生徒は「卒業式に出席させてほしかった」と供述しているという。 学校における髪型規制だの服装規制だのといったものは、それ自体に何か意味があるわけではなく、たんに大人が子どもを服従させたいということ、あるいは権威にたいする服従精神を子どものうちから「調教」しておきたいということでしかない、という点については、今は2009年ですから最早常識といってよいでしょう。ヒトラーは

    ルールと共生 - 過ぎ去ろうとしない過去
    heyheyhey
    heyheyhey 2009/03/16
  • 雇用の流動性をはかれという議論に欠けているもの - 過ぎ去ろうとしない過去

    「強い」正規社員の保護をゆるくして雇用の流動化をはかれという声がありますが、前提を忘れていると思います。 そもそも、なぜ日では正規社員の雇用が強く守られてきたかというと、それは貧弱な社会福祉制度とセットでありました。高度成長以来、欧州で行われてきた教育や医療を無償化するなどの社会政策のかわりに、「強い」正規社員の父親が「一家の大黒柱」として教育、医療、介護すべての福祉をカバーする「中流」の「家族」を保護することによって、その穴を埋めてきたのです。この点では終身雇用の年功序列というのはなかなか合理的な制度でした。なぜならば、身軽な若年層よりも、子どもの教育や両親の介護がある中高年層のほうがお金がかかるに決まっているので、より負担が大きい層により多くのお金がいきわたるという仕組みになっていたからです。 もちろん、このやり方は構造上すべての人々に恩恵を与えることはできません。さらに、特定の「家

    雇用の流動性をはかれという議論に欠けているもの - 過ぎ去ろうとしない過去
    heyheyhey
    heyheyhey 2009/01/06
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