「戦争は形を変えた政治である」というクラウゼビッツ風の言葉を逆の面からみれば、「政治とは形を変えた戦争である」ということもできよう。この場合の政治とは外交といってもよい。 確かに、衝突する2つの国の国益を実現するために武力に訴えるのが戦争であれば、戦争に至る道ゆきを回避しようとするのが外交である。こういえば、戦争と外交は別種のもの、まったく対立するもののようにみえるが、実際には、戦争を回避するための外交が不可欠とされる場面までくれば、ある意味でもう戦争は始まっているともいえる。 このとき、外交とは、知略を駆使した駆け引きを行い、時には信頼回復をめざすとしても、根本的には力を背後にもっている。武力対立をシミュレートしながら言葉を砲弾として使うのである。 尖閣諸島での中国漁船の問題は誰もが論じているように民主党政権の大失態であった。「粛々と法的措置に従う」といいながら検察の「政治的判断」に粛々