タグ

読み物に関するhibitchのブックマーク (30)

  • CAさんがさっきから|後谷戸

    CAさんがさっきから「お客様の中に云々」と言っているのでイヤホンを取って耳を澄ませると、「お客様の中に機長のお父様はいらっしゃいますか」と言う。いるわけないだろと思ったけれども、そういえばおれは機長のお父さんだったような気がしてきたので「父かもしれません」と名乗りあげると、「それはよかった、こちらです」と操縦室に案内された。 ドアをノックして「父だが」と操縦室に入っていくと、おれよりも明らかに年上の機長がぽかんとした顔で「お父さんですか……?」と尋ねてくるので、改めて「父だが?」と名乗りを上げたのだけれども、「当にお父さんですか?」と不安そうな機長。 そんな顔をするんじゃない。べつに確信があってやってきたわけじゃないんだから、自信がなくなってくるじゃないかと心配になる。でもここでくじけてはいけないなと気を取り直し「当に父だが」と断言すると、機長は「良かった。運転中に不安になってしまって

    CAさんがさっきから|後谷戸
  • 「詩」というもの/谷川俊太郎|「新潮」編集部

    僕が小学校に行ってた頃ね、日戦争してたでしょ、戦地の兵隊さんに手紙を書きましょうなんて宿題が出るわけ、僕は何書いていいかわからないんだ、母にそう言うと、自分のことを書けばいいのよと言われる、そこでまた困っちゃうんだ、自分のことって何書けばいいのって言うと、遊んだことでも、勉強したことでもなんでもいいのよと母は言う、そうすると頭に浮かぶのは、朝起きて顔を洗って朝ごはんをべてみたいなこと、子供心にも全然面白くない、いやいや鉛筆でひらがなと漢字を書いていた。 今考えるとこれは一種のトラウマになったんじゃないかな。文章を書くのはとにかく苦手、それより前に字を書くのが既に苦痛だった。思うように字が書けない、しょっちゅう母親に直されていた、大人になってからも字が上手く書けない。それが字を書いて言葉を操ることで暮らしを立てるようになったんだからわからない。「詩」というものが存在してなかったら、僕は

    「詩」というもの/谷川俊太郎|「新潮」編集部
  • レビューがヤバすぎるラーメン屋に行った日の話|マキヤ

    「待って。この店ヤバいかも」 友人と2人で旅行。予定していたラーメン屋に向かう道中、友人が歩みを止めた。目を大きく開いて、ゆっくりとスマホで文字を読んでいるようだった。 ヤバいわけがない。俺は旅行前にちゃんと調べた。欲をそそる肉厚のチャーシューがゴロゴロ乗ったラーメンの写真。30年以上続く老舗で、名店だとの声もある。べログの評価もかなり高い。 「どうした」 空腹も相まって少し乱暴にスマホを覗き込むと、たくさんの低評価レビューが視界いっぱいに広がっていった。 ・前の客がこぼしたスープを拭かないで座らされる ・スープがぬるく麺も伸びていて不味い ・全体的に不衛生 ・お客の前でスタッフを怒鳴る ・携帯電話使用禁止の張り紙がたくさん貼られており、スマホを手に持った瞬間厨房から怒号が飛んだ ・後からきて同じメニューを注文した客のほうが早く配膳された ・半ライスが運ばれた15分後にラーメンが来た

    レビューがヤバすぎるラーメン屋に行った日の話|マキヤ
  • さくら水産と流山おおたかの森、文学の流れ弾に当たり心に刺さるエモい場に昇華してしまう : 市況かぶ全力2階建

    永守重信のニデック、グローバルグループ代表の権限を強める定款変更案で岸田光哉社長の新体制に早くも暗雲が漂う

    さくら水産と流山おおたかの森、文学の流れ弾に当たり心に刺さるエモい場に昇華してしまう : 市況かぶ全力2階建
  • 研究の話 | 医療法人豊隆会 ちくさ病院

    私はもともと腎臓内科医でしたが名古屋大学大学院に入学したころ、 大学院生の規則で最低1年は基礎の研究室で研究しなければならないという規則ができました。 適当に籍だけおいてお茶を濁す医局もあったとは思うのですが、 私は実際に基礎の医局(微生物学教室)に派遣され研究に専念することになりました。 1年が経ちましたが天邪鬼な性格のせいでそのまま放置され、大学院修了後に至っては帰局しろとも言われなかったので、 そのまま基礎の教室の助手として居座ってしまいました。 就職して2年たったころ、教授から呼ばれ「米国の研究室に留学するように」命令を受けました。 「どこに留学するのですか?」と聞いたのですが、「どこでもよい」とのことで、とりあえず気候のよいカリフォルニアで研究室を探していただくことにしました。もちろん私のような実績もない研究者に給料をだして雇ってくれる研究室などあるわけもなく、サンディエゴの某研

  • 恩師の下着に感謝

    中学時代、下着の校則違反を数えて、体育祭の得点から減点するという「伝統」があった。 当時は管理教育の全盛期。 下着だけでも色・形状などが細かく校則で指定されていた。 悪質なのは、それを生徒同士で監視するシステムになっていたこと。 違反者は教師にチクられ、その分がのちに体育祭の持ち点から減点されるという決まりなのだ。 赤組・白組それぞれの減点数は日々校内で告知され、連帯責任を煽る構造ができあがっていた。 もちろん、これに反抗する生徒は多かった。 二年生のあるとき、体育祭の出し物を決める学級会のなかで、この制度はおかしいという話になったことがある。 「生徒だけ監視されるなんて、不公平です!」 立ち上がって先生に抗議したのは、ボス格の女子だった。 やがて「そうだ、そうだ」という声が教室のあちこちから起こる。 私たちの担任はといえば、まだ若い女性教師だった。 いま思えば、先生自身もこの制度はおかし

    恩師の下着に感謝
  • 2021年1Q 個人的おすすめ増田文学9選

    # タイトル日付 ブクマ感想1 茶とコーヒーと俺ん家の話 1/23 642 これぞ増田文学2 小さな図書館の思い出を喋りたい 2/27 274 生々しく悲しい別れの話3 コロナ失職したアラフォーおっさんが自作のWEBサービスを公開するまで 4/4 432努力の話。がんばれおっさん。4 はじめてラーメン二郎に行った 2/5 233 二郎デビューを思い出させるシズル感5 同棲を解消したら同棲を解消しなかった未来が見えた 2/26 353 じんわりと、ずっしりと胸に来る6 コロナで母が壊れた 2/6 183 最後まで読んで欲しい7 金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと 2/2 518 心温まる素敵な増田8 緊急事態宣言下のカツカレー 1/27 922 日常を切り取るのが上手い9 市役所でべしゃり散らす女児を見ていて思った話 3/9 796 SFチック。興味深い。雑多に選んでみ

    2021年1Q 個人的おすすめ増田文学9選
  • ティファニーで朝食を。松のやで定食を。|しまだあや(島田彩)

    (2021年7月22日追記) エッセイに対する経緯説明や反省、まちの方へのインタビュー、それらを受けて学んだことを綴った記事を公開しました。 https://note.com/cchan1110/n/n07a45201dfaa (2021年4月19日追記) 4月7日に公開した、この記事について https://note.com/cchan1110/n/n680cb90fec73 (2021年4月13日追記) ①このエッセイは、大阪市の「新今宮エリアブランド向上事業」の取り組みの一貫としてご依頼いただいた、街のPR記事です。 ②このエッセイは、私が「新今宮」に足を運んだ際に、実際に起きた出来事を、綴っています。 ③この枠内の文章は、読んでくださった方々からの大切なご意見を受けて、タグだけでなく冒頭にも、4月13日に追記しています。 私は先日、ひとりの男の人と一日を過ごした。 ハンバーグとエ

    ティファニーで朝食を。松のやで定食を。|しまだあや(島田彩)
  • あの日ゲーセンで起きた衝撃が20年経って繋がった話 - 編集長の孤独な日々

    自分の人生において青春時代は格ゲーブーム真っ只中だった。 わかりやすく言うと漫画の「ハイスコアガール」。あれは実際の格ゲーを中心に少年から青年時代の主人公たちが描かれる漫画だけど、リアルに換算してたしか彼らと1コ違い位の年だったはず。 とにかく自分のゲーム人生において格ゲーは1つの重要な分野として刻まれている。 ただし、自分は格ゲーはめっちゃ下手だ。好きだけど対戦は未だに怖いしすぐ負けるから基家庭用機でこっそりほそぼそじわじわやる。でも好きだ。KOFは全作やってるし、餓狼もかなりやった。月華の剣士はずっとやってる。ストリートファイターは途中ちょっと飛び飛びだけどそれでもだいたいは遊んでる。 で、自分はヘッタクソなんだけど、友達は違った。 中高と一緒で自分を格ゲーの世界に引き込んだ友達はとにかく強かった。 特にY田はめちゃくちゃ強かった。ゲーセンでやっているのももちろんだが、家にNEOGE

    あの日ゲーセンで起きた衝撃が20年経って繋がった話 - 編集長の孤独な日々
  • 今この世界には「2種類のCCレモン」が混在している|鬼谷

    7月のある夕方のことだ。 喉が渇き、炭酸飲料が飲みたくなった私は、ふと「CCレモンって最近飲んでないな」と思ってサントリーのホームページを見てみた。 CCレモンにはいろんな種類が出ていることを知った。まあ確かに言われてみればこういう変わり種も定期的に見かけていたな、という感じである。しかし私の好みの傾向は往々にしてスタンダードタイプであるため、その後スーパーに行って買ったものは結局普通のこれだった。 やはり美味かった。レモン味の酸っぱさと強すぎない炭酸がたまらない。あっという間に飲み切ってしまった。 翌日、CCレモンの余韻を引きずっていた私は夜の散歩の時に自販機でCCレモンを買うことを決めた。CCレモンが売られている自販機は2ヶ所把握していたが、片方の自販機がある付近はこの時期アズマヒキガエルが頻出するため、それを避けるべくもう片方の自販機がある方へと進んだ。 すると、そこにはCCレモンが

    今この世界には「2種類のCCレモン」が混在している|鬼谷
  • ’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった | さくマガ

    ≫ 【2週間無料!】もっと高速、さらに安定の快適なレンタルサーバー 何も言わずに、まずはこのCMを見て欲しい。当に、何も言わずに見て欲しい。とにかく見て欲しい。とにかく最高なので10回くらい見て欲しい。 これは1989年にテレビCMとして放送されたJR東海のクリスマスエクスプレスのCMだ。時間にしてわずか30秒、牧瀬里穂主演、この情報だけである年代の人は「あー」っとなる、それほど強烈なインパクトを残したCMだ。 今回、とあるツイートからこのCMを見てしまい、様々な感情が噴き出してきた。それを考えるに、このCMには現代人が失った大切なものが多数含まれるような気がしたのだ。 なので、取り急ぎ筆をとることにしたのである。なぜこのCMがこんなにも心に入り込んでくるのか、なぜこんなにも素晴らしいのか。順を追って説明していきたいと思う。 このCMが作られた時代背景 このCMは1989年に制作されてい

    ’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった | さくマガ
  • 7日後に死ぬカニ(完結編)|しまだあや(島田彩)

    「好きなべ物はなんですか?」 幼稚園の先生に聞かれて、中学校のサイン帳でも聞かれて、大人になった今でも、たまに聞かれるこの質問。みんな「ダントツでラーメンっすね」とか「いちご〜!」とか、ひとつに絞れてて、めちゃくちゃすごいなって思う。私は50個くらいあるので、脳内でルーレットを回し、ひとつ決めて伝えるようにしている。 けれど、これからは「カニです」って、相手の目を見つめて言おうと思う。 (少しだけ、前回の記事を振り返ります) 6月に入ったある日、近所の業務スーパーへ夕飯の買い出しに行った。「甲殻類がべたいな」と鮮魚コーナーに行くと、20匹590円のサワガニが、1パックだけ売っていた。20匹はぎゅっとなって、少し動いていた。 「そう言えば私、植物を育ててべたことはあるけど、動物を育ててべたことがない。どんな気持ちになるのやろう」こうして業務スーパーのサワガニを1週間だけ飼うことにした

    7日後に死ぬカニ(完結編)|しまだあや(島田彩)
  • 職場で「わたしのコンソメスープ」という意味不明コラムを書かされた時のこと。

    職場内で流通する機関誌みたいなものがある。 毎月、偉い人が「激動の時代を生きるために」などと、コピペしてきたのかな?と感じるほどに定型的な有難い言葉を長々と連ね、「最近将棋始めました」で締める訳の分からない文章が巻頭に掲載されている。 その次に、やや偉い人が似たような言葉で叱咤激励し、犬を飼いはじめたことをカミングアウトして締める文章が続く、そんな大変に有意義な冊子だ。 その中の1コーナーに「わたしのコンソメスープ」というコラムコーナーがある。 正直に言ってしまうと僕はこのコーナーの意義が全く分からなかった。端的に言うとなぜそこにあるのか全く分からない。意味不明だとすら思っていた。 そこに存在するだけで僕の精神を蝕んでいくような、ただのコラムとは思えないほど恐ろしくも禍々しい「何か」、それがこのコラムにあったのだ。 (Boris Wong) 毎回、様々な社員が登場し、コンソメスープのある風

    職場で「わたしのコンソメスープ」という意味不明コラムを書かされた時のこと。
  • 僕らは1UPキノコなんていらなかった|Pato

    は泣いていた。 もう10年くらい前になるだろうか。この季節になると必ず思い出すことがある。この年になると誰かに褒められたり怒られたりすることはほとんどない。直接的に評価されることがほとんどないのだ。ただ、確かにあの時はそれがまるで人生のすべてと考え、欲していた。誰かに評価されたかった。だから山は泣いていたのだ。 笑い声と喧騒、そして過剰なまでに元気な店員の声とで満たされた居酒屋で、山は泣いていた。通路向こうのテーブルで女の肩を抱き、緩みきった情けない表情を見せているロック歌手風の男が見せるその笑顔とは対照的に、山はただ泣いていた。 (写真:naka/PIXTA) 「俺、もう辛いわ」 山はそう切り出すと、ジョッキの生ビールを空にし、また泣いた。久々に会うことになった山は僕の知っている山ではなかった。彼は自信に満ち溢れていたし、受験や就活といった人生の節目において、常に理想を実

    僕らは1UPキノコなんていらなかった|Pato
  • 府中三億円事件を計画・実行したのは私です。

  • こんばんは、貯金箱です。正確には前世で怪獣の形をした貯金箱でした。お..

    こんばんは、貯金箱です。正確には前世で怪獣の形をした貯金箱でした。お金べる生物として寓話的にも唯物的にも適任かと思いましたので、にまつわる思い出を、少し。 この業界では「喉元すぎれば半人前、口からこぼして一人前」といわれています。持ち主の三日坊主や途中解約などにより、お金に満たされて天寿を全うする例は多くないぞ、という戒めです。常に飢えた私たちは体内の空白に敏感で、あと何円でそれを埋められるか計算ばかりしていました。お互いを見張り、その事内容に一喜一憂し、とても健やかとは言えなかったと思います。 稀に、高額紙幣を口にする機会もありました。あのゴワついた紙が口に押し込まれるとき、他の仲間を出し抜いた心地良さで口の端が歪み、秘めやかな興奮が心に渦を巻いたものです。一度その味を覚えると、少額の硬貨を口にすることは砂を噛むような苦行となりました。 実は私、あと数百円で完全に満ち足りるまでお

    こんばんは、貯金箱です。正確には前世で怪獣の形をした貯金箱でした。お..
  • 江戸時代に天狗にさらわれた人のお話が面白すぎて紹介された途端に価格高騰「天狗の仕業か」「めっちゃ読みたい」【追記あり】

    升目 @merongree もうこの話100回目なんだけど「江戸時代に天狗に攫われて帰ってきた子供のしゃべったことをまとめた記録」があってそれがめちゃ面白いし読める。どうも天狗じゃなくて宇宙人じゃないかと思うんだけど「天狗?に連れられて太陽に近づいたら炎の波が出てた」ってフレアじゃねえかみたいな話が面白い 2018-02-12 20:42:35 升目 @merongree あと当時もやっぱり「インチキ」とか「子供に嘘を言わせてる」とか叩かれて養父がへこむんだけどそれ見てその子が「俺も師匠(天狗)のとこにいたときは師匠の正体がよく分からなかったから、何も知らない奴が悪しざまに言うのもまあ仕方ないんじゃないのとは思うよ」って話してるとこ好き 2018-02-12 20:46:09 升目 @merongree Q「天狗の世界では皆何をべてるのか」寅吉「その質問一番困るんだよねwwwだってあれを

    江戸時代に天狗にさらわれた人のお話が面白すぎて紹介された途端に価格高騰「天狗の仕業か」「めっちゃ読みたい」【追記あり】
  • 父の新しい趣味

    昨年、父が定年退職した。 父は40年以上ずっと運送会社で働いていた。趣味も車で、休みの日は必ずドライヴ。テレビも見ない、も読まない、ネットもやらない。昔はよく料理をしてたけど、今はぜんぜんしてない。 学生時代は映画監督になりたかったらしい。だからだろうか、私が小さいころはよくカメラを持ち歩いていろんなものを撮影しまくっていた。8ミリ? ハンディカム? くわしいことはわからない。とにかくビデオカメラで何でも撮ってた。旅行、運動会、七五三etc でもいつしかそれもやめてしまった。それからは車一筋。ドライヴだけが人生って感じだった。 私は父が心配だった。そんなんじゃボケちゃうよ。それにいくら車が好きだからって、もうなるべく運転は控えて欲しい。年なんだから。 父はひとりで暮らしている。母は私が2才の時に癌で亡くなった。それからずっと父娘で暮らしてきたが、私は3年前に26で結婚して家を出た。 私は

    父の新しい趣味
  • 村上春樹さん | 東京ヤクルトスワローズ

    【プロフィール】 1949年京都生まれ。早稲田大学卒業。 1979年小説家デビュー、『風の歌を聴け』で第23回群像新人賞を受賞。 1980年『1973年のピンボール』、1982年『羊をめぐる冒険』、1987年『ノルウェイの森』、2009年『1Q84』、2013年『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、2017年『騎士団長殺し』など代表作多数。

    村上春樹さん | 東京ヤクルトスワローズ
  • 処女航海は今日も荒波! - 私の時代は終わった。

    こんにちは、ファンキーじゃない方の加藤です。 明けてます。 明けきってます。 2017年です。2月です。 いや、待って。 まず2016年の話してもいい? あのね、私にもあったはずなんです。2016年が。 去年、電撃結婚された方々や、惜しまれきって解散した方々や、不倫を超暴かれた方々と同様。多分、同じ日数くらいの2016年があったはずなんです。 もう画素が荒いよ。 2016年の作りが、すごい粗削り。 思い出のクオリティーがね、低い。 たとえば、中居正広の2016年とかね、もうVR状態ですよ。 あれ、これ触れんじゃないかってくらいの臨場感だったわけなんですけど、 かたや、こっちサイド、紙芝居かなってくらいでね、5回くらい捲ったらね、2016年が終わったわけです。 もう、出会いもなければ別れもない。 オンラインゲームですら、協力プレーするこの時代に、 36年もこの東京というフィールドいっぱい さ

    処女航海は今日も荒波! - 私の時代は終わった。