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2012年7月29日のブックマーク (1件)

  • 崇徳上皇の熊野御幸:熊野の説話

    わずかに1度の熊野詣 崇徳(すとく)上皇(1119~68)が熊野を詣でたのはわずかに1回。 父の鳥羽上皇の21回、弟の後白河上皇の34回にくらべて少な過ぎるように思いますが、崇徳上皇は院政期にあって治天の君(院政を行う上皇のこと)にはなれなかった上皇です。院政期にあって治天の君になれなかった上皇で熊野詣をすることができたのは、ただひとり崇徳だけです。後白河院政下、上皇となった二条・六条・高倉の各上皇は熊野を詣でず、後鳥羽院政下、上皇となった土御門・順徳も熊野を詣でていません。 崇徳上皇ただ1度の熊野参詣は、父・鳥羽上皇の熊野御幸に同道したものです。 崇徳天皇は1119年、鳥羽天皇の第一皇子として生まれました。母は待賢門院 璋子(たいけんもんいん・しょうし)。治天の君である曾祖父の白河上皇(1034~1129)の意志により、1123年、鳥羽天皇を20歳の若さで退位させ、わずか5歳で崇徳天皇は