ブックマーク / www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto (3)

  • 橋本努「現実認識とは何か」

    「現実認識とは何か――形相的理念型による啓蒙」 雑誌『情況』「特集 ヴェーバーを読む」2000.7.所収 橋努 0.はじめに われわれはときに、「いま・ここ」にある現実の生を究極的な価値としてつかみ取りたいと思うことがある。だが逆にわれわれは、「いま・ここ」にある現実の生がすべてではないという感覚から、現実の背後に回ってみようとか、別の現実を構成してみようとか、あるいは現実に得られるはずの満足を抑圧しようとか思うことがある。こうした欲求はいずれも、なるほど人生の然るべき時期において生じる自然な衝動であるだろう。しかしいったい、「われわれは『現実』をいかに認識すべきか」という認識的かつ規範的な問題を立てるならば、それはきわめて人生論的なテーマであると同時に、社会科学的認識の根問題を提起するように思われる。 近代社会とともに生じた社会科学は、「社会」なるものの規範的特徴を明らかにすると同時

  • 大学院進学のすすめ 橋本努

    以下の内容は、大学生との会話の中から生まれたものです。 ご批判・ご意見・ご感想・アドバイスなどをお寄せいただければ幸いです。 皆様の意見を取入れて、よりよいものにしていきたいと思っています。 ・大学院進学のすすめ 「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」(夏目漱石『門』岩波文庫) ・【大学院進学という甘いすすめ】 現在、文科省の方針によって、大学院生の人数は毎年一万人以上も増加している。大学院生数は日全体で約20万人。これは研究者の総数と同じくらいの人数だ。博士課程に在籍する学生は、1970年において1万3000人、1996年において4万8000人である。 これほど大学院生を増やしても、研究者になれる人数は以前と変わらないのだから、多くの大学院生は、途中で進路変更を迫られることになる

  • 橋本努「ハイエクの迷宮-方法論的転換問題」

    『ハイエクの迷宮:方法論的転換問題』 「現代思想」1991.12 橋努 〔公案〕 わたしは、ポパーやハイエクから何を学んだかと問われたときには、しばしば、ポパーからわたしが学んだのは、われわれは自分たちが何について話しているのかを決して知らないということであり、ハイエクからわたしが学んだのは、われわれは自分たちが何をおこなっているのかを決して知らないということであると言って答えることにしている。――W.W.バートリーⅢ ハイエクの議論は全著作を通じて類いまれなほど一貫しているといわれるが、その核心部にある方法論の生成過程は非常に揺れ動いてきたばかりでなく、さまざまな著作の方法論ならざる文脈の中に埋もれている。まさにハイエクの深みを論じようとすればそれだけ一層迷宮に嵌まるといった状況、事実こうしたこともあって、研究者たちはこれまでハイエクの核心部に果敢と入り込むことを避けてきたのである。

  • 1