社会理論の基礎〈上〉 ジェームズ・サミュエル コールマン James Samuel Coleman 久慈 利武監訳 青木書店 2004-09 最近、「社会学の原則」ってなんだろうと感じることが多くなってきた。もちろん、そんなものなくて、その融通無碍さが社会学のいいところだ言う人もいるだろう。ただ、実感として、そうは言っていられないような気がするのだ。 ① 《研究者》の経済的基盤 社会的ひきこもり、ニート、失業者、フリーターなど、若年者に関する言及が急速に増えている。もちろん、私もそれに加担している一人。 なかでも、若年者就労問題に実務的に関わる機会が増えてくると、《研究者》としての役割と《実践者》としての役割が、とても大きな問題になってくる。つまり、《実践者》としての合理性がどんどん肥大していき、《研究者》としての合理性が曖昧になってくるような気がするのだ。もちろん、わたしの場合、でき
プロメテウスは「神から火を盗んで人類に与えた巨人だ」と誤解している人もいるでしょう。 しかしヘシオドスの『神統記』やアイスキュロスの『縛られたプロメテウス』での扱いは違います。人類を滅亡させようとするゼウスの企て (人間の食物のうち最良のものを神々への供物として要求し、人間を飢えさせようとする計略) から人間を救うために、プロメテウスは、ゼウスを欺いて牛の脂肪と内臓を供え物に選ばせました(メコネの籤)。これに怒ったゼウスは、人間がそれまで使っていた「火」を奪うことにしました。プロメテウスは、この命令に背いてオリュムポスの鍛冶場からウイキョウの茎のなかに「火」を隠し、人間のもとに運んだのです。また同時に人間たちにさまざまな知識を与えました。ただし、人間が自らの運命について嘆き悲しまないように、人間から未来を知る能力を奪いました。 このプロメテウスの裏切りに怒ったゼウスは、プロメテウスをカウカ
「だめ連」なんだからだめでいろよという世間の思惑もものともせず、「だめ連」的圧力団体っぽいPAFFは今月10月26日、「若者の人間力を高めない非国民運動」なるものを発表した。直接的には10年来変わらない彼らの「だめもいいじゃんのはずなのにやたらと人間とやらを連呼する」っぽい宣言のなかには、「人生」や「友人」や「恋愛」や「生」という言葉があふれている。やれ、「人の生とは労働だけではない。友人と談笑したり、映画を見たり、読書をしたり、音楽を聴いたり、旅行をしたり、恋愛をしたり、生とはもっと豊かなもののはずである」うんぬん。 まるで人生を有意義に生きないことがこの世の極悪であるかのような脅迫にさらされた、なんとしても若者をこうしたドグマに落とし込もうとするイデオロギー中心主義ともいえる執念めいたこの文言に、私はうす気味の悪さを感じざるを得ない。ある種の無気力や働けないことは個人の問題でしょ、人間
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く