人が立場から自由になることは難しい。どれほど客観的かつ冷静であることを装った意見にも、立場というものは透けてしまう。 わかりやすい例は、この2年間の新型コロナウイルスに対する態度だ。たとえば感染拡大当初から、コロナとの共存を訴えてきた知識人には大学に所属していない人が多かった。東浩紀さん、三浦瑠麗さん、與那覇潤さんといった具合だ。 一方で大学から給与をもらう教員からは、例外はあるものの、総じて「緊急事態宣言を出せ、社会を止めろ」という意見が聞こえてきた。彼らは理屈を並べて、いかにコロナが危険かを説いた。だが心の底に「緊急事態宣言を出してもらえば講義がリモートになる。その方が楽でいい」という気持ちはなかったか。 もちろん大学教員だけではない。多くのサラリーマンにとって、「給料はそのまま。出社せずに家で仕事ができる」という勤務形態は魅力的だ。通勤ラッシュにも遭わず、部屋着のまま、嫌な上司の視線
![専門家の本音は「コロナ万歳」だった? SNSの「いいね」に嬉しそうな人々(古市憲寿)(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c5248a20756bb06404e356def954921769d87c4c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fnewsatcl-pctr.c.yimg.jp%2Fr%2Fiwiz-amd%2F20220428-00849522-shincho-000-1-view.jpg%3Fexp%3D10800)