タグ

ブックマーク / globalbiz.hatenablog.com (4)

  • パワポ資料をぐっと魅力的にしてくれる「アイコン」を無料でゲットしよう! - グローバル経営の極北

    最近資料デザインを「現代的」にしたいなと思っていて、フラットデザインのテンプレートを購入して研究したりしてます。そこで重要となるのが「アイコン」で、うまく使うだけで資料がぐっと見やすくなります。いろいろとググってみると良いものがたくさんあるので、今回はそれをご紹介。 まずはこちら。 Googleが提供していてそのサービスでよく使われているMaterial Icon 942種類をパワポですぐ使えるようにコンバートしてくれています。たくさんのカテゴリーごとに網羅的にアイコンが揃っているのですごく使えそうです。さっそくダウンロードしました。 また、同じ方がFont Awesomeのアイコン369種類を同様にパワポ向けにコンバートしてくれています。 親しみやすいデザインが多いので、さまざまなタイプのパワポ資料に活用できそうです。いいですね。 次はこちら。 これは海外のデザインスタジオが作成している

    パワポ資料をぐっと魅力的にしてくれる「アイコン」を無料でゲットしよう! - グローバル経営の極北
  • 「内面の葛藤」はそれ自体では解けないということ - グローバル経営の極北

    この記事で書いたように、仕事も含めて改めて人生の意味みたいなものを考える時期になってて、久々に内省的なモードになっている。仕事ってなんなのか、というのを、未来は全て想像でしかなかった若い頃と違う形で、15年ほどの仕事経験を踏まえて改めて考えなおしているとも言える。 前職で駐在していた時の日人の同僚で、仕事の理想像を強く持ち、そのビジョンをメンバーにも伝えて組織を鼓舞し、成果の達成に徹底的に拘ることで実績を積み上げていた強いリーダーがいた。自分に厳しい人で、そういう人の常として、他人に求める基準も高かった。僕もその人に幾度となく「詰められて」何度も冷や汗をかいたことを思い出す。 その人がある日突然会社を辞めて日で独立した。当初は色々と試行錯誤していたけれど、最終的に行き着いたのは、個人の変容を東洋思想的な観点から促す、みたいな「ちょっと精神性強すぎないでしょうか」というような方向での事業

    「内面の葛藤」はそれ自体では解けないということ - グローバル経営の極北
    higed
    higed 2017/05/10
  • 「どんな状況でも仕事で成果を出すのがプロ」という主張の危うさについて - グローバル経営の極北

    最近のネットは、成功した起業家や、注目企業で成果を出した人のインタビューや記事に溢れていて、そういった人への憧れや、何かを学び取りたいという皆の思いが強く感じられる。それ自体は特に悪いことではないし、学びを得られることも多いのだけど、一つ気になるのは「どんな状況でも仕事で成果を出すのがプロ」という主張がよく使われている点。 職業人としてのプロ意識というのは重要だし、困難な状況に追い込まれながら成果を出せるかはきわめて重要。ただ、経営管理の仕事をしてきた経験からすると、どんなに優れた実績をあげてきた優秀な人も、例えばモチベーションの低下やメンタル面での不調でパフォーマンスは有意に影響される。これはビジネスに限らず、プロスポーツの世界でもよく見られる事象で、例えば欧州で活躍するトップレベルのサッカー選手が、監督との不和、もしくはプライベートでの悩み事、など様々な精神的な理由でパフォーマンスを落

    「どんな状況でも仕事で成果を出すのがプロ」という主張の危うさについて - グローバル経営の極北
    higed
    higed 2017/05/10
  • 僕のメンターだったSさんのこと(注:加筆・修正したものを東洋経済オンラインに「48歳で課長になれなかった男の「以後の人生」 」のタイトルで掲載しました) - グローバル経営の極北

    【注】この記事を加筆・修正したものを、東洋経済オンラインに2018年2月14日「48歳で課長になれなかった男の「以後の人生」 」のタイトルで掲載しています。 toyokeizai.net --------------------------------- 僕のメンターだったおじさんの話をツイートしたら、結構反響があった。もう少し書いてみようと思う。その人はSさんとする。 僕が新卒で入社したのは創業100年を超える老舗のメーカーで、配属は新規事業の海外営業部だった。そこでメンターとしてついたのがSさん。普通メンターって若手~中堅くらいの人がなるのだろうけど、そのメーカーは日系企業のご多分にもれず40代以上が非常に多かったため、面倒見がよさそうなSさんが選ばれたのだと思う。彼はその時既に43歳で「課長代理」だった。 Sさんはドがつく真面目な人で、髪は七三にきっちり分けて、昭和なデザインのスーツ

    僕のメンターだったSさんのこと(注:加筆・修正したものを東洋経済オンラインに「48歳で課長になれなかった男の「以後の人生」 」のタイトルで掲載しました) - グローバル経営の極北
    higed
    higed 2017/05/10
  • 1