メーデー(死語)のデモで渋谷界隈が大渋滞。大迷惑。労働者の権利とか生活者の権利とか叫んでるんだったら、通行者の権利を侵害するなっつーの。郊外でやってくれ。
![夏野 剛 Takeshi Natsuno on Twitter: "メーデー(死語)のデモで渋谷界隈が大渋滞。大迷惑。労働者の権利とか生活者の権利とか叫んでるんだったら、通行者の権利を侵害するなっつーの。郊外でやってくれ。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f3a99f0ce4655877cd3f3641fdf68037ec164019/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1144069483742416896%2FZbrFG3WJ.jpg)
一度悪くなってしまった姿勢はなかなか直すことができません。特にねこ背はクセになってしまうと、立っているときも座っているときも背中が丸まってしまい、見た目が悪くなるだけでなく、太りやすくなる傾向もあるようです。 ねこ背を矯正し、ピンと背筋が伸びた正しい姿勢になるにはどうすればいいのでしょうか。 よく言われているのは、足の重心の位置です。ねこ背になるときは正しい位置よりも重心がつま先側によっています。すると前屈みになってしまいますから、腰を後ろに引いてバランスを取り、倒れまいと上体が“くの字”に曲がるのです。 逆に踵に重心を乗せてみると、後ろに体重がかかるため、腰が前に突き出て逆側に上体が曲がります。そうすると多くの人が考えている「胸を張って背筋がピンと伸びている」という一般常識としての良い姿勢の条件が満たされることになります。 しかし、一般常識だから正しいという保証はないと警鐘を鳴らすのが『
ここでいう東方とはもちろん東方神起のことではなく、居酒屋・東方見聞録のことでもなく、同人ゲーム〈東方Project〉のことである。 ご存じない読者もいるだろうから、念のため簡単に説明しておこう。東方Projectは同人作家ZUNのサークル「上海アリス幻樂団」が創作しているゲームとそのBGM、及び派生した商業出版物などを指す総称である。 その起源はZUN氏が大学在学中の1996年に発表したゲーム「東方靈異伝」まで遡るが、現在一般的に流通している作品は2002年のコミックマーケット62で正式に頒布が開始された「東方紅魔郷」以降のものである。「東方紅魔郷」(リンク先から体験版をDL可能)は縦スクロールの弾幕シューティングゲーム(6面+EXTRA)だ。この世界のどこかに博麗大結界によって守られた幻想郷があり、その中では外界で忘れられたものが今もなお生きながらえている。 その世界の均衡を乱すことなく
2012年02月27日00:57 カテゴリレビュー 真剣で私に恋しなさい!S レビュー ブログネタ:エロゲ に参加中! アニメーションは凄い! 真剣で私に恋しなさい!S メーカー:みなとそふと 真剣で私に恋しなさい!S 初回版 販売元:みなとそふと (2012-01-27) 販売元:Amazon.co.jp クチコミを見る シナリオ さて、前作『真剣で私に恋しなさい』の続編に当たる訳だが、実際のところ、続編というよりはファンディスクという感じである。 しかしまあ、ただのFDにしてはそこそこのボリュームがあるので、相応の内容になっている。 実のところ、前作のレビューで少し辛口の内容を書いた為、本作はどうかな、と最初は思っていた。 しかしプレイしてみると意外や意外、これが面白いのだ。 前作ではあまり面白いと感じなかったパロディネタも、本作ではすんなりと楽しめた。 これも環境の変化か、あるいは年
瑠波→希→澪里→操の順でクリア。 内容については冬コミで出る『恋愛ゲーム総合論集2』(C81新刊)- then-d’s theoria blog ver. (http://d.hatena.ne.jp/then-d/20111211/)の丸谷秀人論でもある程度詳しく触れているので、そちらの宣伝も兼ねてとりとめのない感想を少々。 >共通ルートと個別ルート いつものPULLTOPより若干短いような気はしたが、気になるほどではない。てとてトライオン!も感覚としてはこんなものだったような気がする。 ただ、瑠波に関しては共通であらかた日常イベントを消化してしまった感があり(もっと言えば、ゲームが始まる前に既に関係の地ならしは終わっているのだが)その結果、個別ルートの展開は横道にあまり逸れず非常にスピーディーに進んでいく。そのせいでよけい短く感じた、ということかもしれない。 もっとも、澪里と操に関して
リプレイでクリアしたのですが、やはり「夢」と言うモチーフが、印象的でした。 夢での体験そのものは否定してないんですよね。 美凪はみちるという夢によって救われたことは間違いないのだし、その夢での体験を元にして前へと踏み出していくことができるようになる。 だから、この物語は心が傷ついて逃避してしまった人の、現実へ帰還するためのリハビリテーションとでもいうか、弱い人のための物語じゃないかな、と。 (弱い人というのは、否定する意図は全くありません。 どんな厳しい現実でも、傷つくことなく、気にせず突き進んでいける人が強い人、という意味との対比としてのものです) 夢を見てしまうということそのものは否定されていないということは、挫折して飛べなくなってしまうこと、一時的に逃避してしまうことそのものは、否定されるものではないということ。 夢の向こうに、大切なものを置いてきたから…。 忘れてきたのではなく、置
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