ハードルを上げ過ぎただけなのかもしれないけれど、正直そこまでだなーというのが全体的なファーストインプレッション。全般的にSFガジェットの使われ方が中途半端で、単なる衒学に堕してる感が否めない。設定に食われてると言ってもいい。世界の(物理的)基礎づけとしては、バークリの「存在することは知覚されることである」という命題と、量子系における観測を組み合わせて、見/観なければ世界は存在しない(確定しない)という設定をするのだけど*1、量子論の多世界解釈というガジェットを使って多世界的な世界観(いわば可能世界実在論)を構築し、世界を「観測する=観る」ことと、誰か(だけ)を「見る」という比喩的な表現とを重ね合わせて、そこに観測者=主人公=プレイヤーの選択/自由意志の領野を確保しようとするというのはもう本当に食傷気味だし、そもそも論理的に破綻している。量子論的な非決定性から導かれるのはあくまでもアトランダ