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ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (6)

  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

  • 意味のない書き出しには意味がある - レジデント初期研修用資料

    コピーを書くときには、まずは頭で何かを考え、次にメモ紙に「要するに」と書きだし、「要するに」に続く文章をそのままメモに書き、最後に「要するに」を削除するとうまくいく、というコピーライターの話をどこかで読んだ。 「要するに」という書き出しは、結果として削除されてしまう、不必要なものだけれど、頭にある発想を形にしていく上で、書かなくてもいい書き出しをあえて書くことには大切な意味があるのだと思う。 Twitter は話し言葉で書く Twitter はふだん、話し言葉をそのまま書くように心がけている。そうすることで、頭の中にある漠然とした考えが、文章として具体化する可能性が高くなるような気がしている。 Twitter ではだから、自分が書いた文章には、「こう、」とか、「なんというか、」とか、「なんとなく、」とか、それだけでは何の意味もない書き出しがたくさん出てくる。書き出しの言葉は意味を持たないけ

    highcampus
    highcampus 2012/11/01
    自分は、放送作家・石川昭人さんがゆずのANNで使っていた「そんなわけで」を多用している。
  • ゲームの進化について - レジデント初期研修用資料

    「シューティングゲームは、「弾をよけながら敵を撃破するゲーム」ではなく、「弾幕デザイナーの意図にそってレバーとボタンを操作する作業」であるといえる。RPGも同様に、プレイヤーは操作や判断を洗練させるほど、それはゲームデザイナーの意図した通りの動きに収斂していく」とTwitter に書き込んだら、「そんなことはないだろう」という反響がけっこうあった。そのあたりのいいわけ。 昔話 小学生の昔、ブロック崩しにこそ出遅れたけれどスペースインベーダーは現役で間に合って、ギャラクシアンに驚き、ムーンクレスタ3号機の理不尽に泣き、ディグダグの画面がカラフルなのに驚いたらもう中学受験は目前だった。 中学校に入って、久しぶりのゲームセンターではボスコニアンが稼働していて、よく聞こえない合成音声に首を傾げる真横では、同級生がハイパーオリンピックに熱中していて、ゲームセンターではそれからしばらく、ボタンが溶けた

  • 評論について - レジデント初期研修用資料

    単なる感想文と、評論とを隔てているものは、「トレードオフの可視化」の有無であって、分野の文理を問わず、評論を名乗る文章を書く人ならば、まずはこれをやってほしいなと思う。 軽量化のジレンマ 大昔、日野自動車がトラックの軽量化とコストカットを目指したモデルチェンジを行った際には、設計者は「シリンダーを減らす」という決断を行ったのだという。当時のエンジンは、伝統的に直列6気筒を採用していて、この形式は振動から見ると理想的な配列だったから、「直列5気筒の配列を採用する」という案は、当初ずいぶん議論が盛り上がったのだと。 軽量化の手段なら、たとえばもっと「ゼロ戦」的なやりかた、あらゆるパーツの配列はそのままに、個々の部品を極限まで肉抜きするような、負担を生産現場にしわ寄せするようなやりかたも考えられただろうけれど、直列5気筒という形式を採用した結果として、エンジン単体の振動はたしかに増したのだけれど

    highcampus
    highcampus 2011/08/03
    "単なる感想文と、評論とを隔てているものは、「トレードオフの可視化」の有無" "評論というものは本来、正義を記述するメディア" "設計者の思いや哲学を逆算してみせる"
  • 多発外傷の人が来た - レジデント初期研修用資料

    当直の反省。 内科の一人当直。その日の救急当番病院は、地域の総合病院だったのに、 多発外傷の患者さんを引き受けることになった。 「自転車で転んだ患者さんです。軽症です。顔から出血しています」 その日の当番病院が忙しいとかで、「自転車で転んだ」患者さんがうちに来ることになった。 「内科の先生でも大丈夫です」なんて。 たしかにその患者さんは自転車で転んだんだけれど、その上を、 自動車に通過されてた。顔から骨見えて、足はあらぬ方向に曲がってた。血圧は触れたけれど、意識は怪しかった。 多発外傷を内科で診るの無理だから、慌てて当番病院に電話した。さすがに嘘言えないから、 正直に話したら、むこうは満床になった。目の前真っ黒になった。そんなはずないのに。 頭真っ白になりながら、ライン取ってモニターつけて、外科の先生と検査の人呼んだ。 待つまでの20分が、長かった。 ご家族の目は怖い 多発外傷の超急性期は

  • たぶん来年流行するもの - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 流行るのはたぶん、かわいさ原理主義。承認証券による自意識の相場経済。 コミュニケーションの販売。 センスに対する累進課税ルールが敷かれた「平等な」場所。とりあえず前半2 つ。 フラット化しすぎた世界と、価値軸の多様化がもたらすだろう「何か」のお話。 平等の疲弊 それは政府予算であったり、健康保険であったり。 「みんな」から集めた予算を、立ち場に応じて「平等に」分配するのが、 昔ながらのルール。今いろんなところで制度疲労して、不満続出。 正義を担保していたのは、「みんな平等」という考えかた。 世の中に「平均値」なんて値を仮想して、予算配分を受ける権利は、 そこからの隔たりに応じて上下する。 平均は対立軸を生む。 富んだ人と、そうでない人。高齢世

    highcampus
    highcampus 2007/12/29
    それじゃあ、"平等"に対する公平ではなく公正さ、"かわいい"に対する良い意味の生意気さ、といったものを軸にしていこうかな、2008年は。
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