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ブックマーク / kyuusyuuzinn.hatenablog.com (4)

  • のぞみぞ概念 - 新・怖いくらいに青い空

    生まれて初めて同じ映画を2度映画館で見た。原作を読むだけでは全然理解できなかったのに、映画を観て、ツイッターやブログで多くの人の感想を見て、再び映画を観ると、自分の中でようやく「のぞみぞ概念」が確固としてきました。 希美とみぞれが2年生の頃のエピソード『響け! ユーフォニアム 2 北宇治高校吹奏楽部のいちばん熱い夏』において、希美とみぞれの関係性を簡潔に言い表すなら「温度差」、「みぞれ→希美」という一方通行の矢印ということに尽きます。みぞれは希美のことが大好きすぎてやばいことになってるけど、希美はそのことに全然気づかない、という熱量の差、この残酷な関係性(+なかよし川のイチャイチャバカップルっぷり)を見せつけられて「ああ~~~~~~~~~~~尊すぎるんじゃ~~~~~~~~~~」ってなるのが2年生までのお話。 関連記事:『響け! ユーフォニアム』の2年生組の関係性が尊すぎて生きるのがつらい!

    のぞみぞ概念 - 新・怖いくらいに青い空
    highcampus
    highcampus 2018/06/12
    リズと青い鳥
  • 「ネウロイ」とは何だったのか―『ストライクウィッチーズ』に見る反戦・反核の思想 - 新・怖いくらいに青い空

    はじめに 先日、ストライクウィッチーズ2の放送が終了したが、皆さんは今どのような感想をお持ちだろうか。今日は、作中のウィッチ達が戦った敵「ネウロイ」について考察してみようと思う。あらかじめ断わっておくが、私はここでネウロイの正体とか、ネウロイはどうして誕生したのか、といった作中での設定について推察するつもりはない。ここでは単に、ネウロイという存在が何の象徴として描かれているのか、そしてそこから論を進めて、ストライクウィッチーズ(以下、「スト魔女」と省略)に隠された反戦・反核の思想について論じてみたいと思っている。*1 さて、私がネウロイについて考察するにあたって、ストライクウィッチーズ公式ホームページにある「坂少佐の歴史講座」というコーナーを参考にさせていただいた。このコーナーは、坂少佐が宮藤芳佳とリーネを前に、ネウロイと人類との戦いの歴史を講義するという設定のもと、視聴者にスト魔女の

    「ネウロイ」とは何だったのか―『ストライクウィッチーズ』に見る反戦・反核の思想 - 新・怖いくらいに青い空
  • 『魔法少女まどか☆マギカ』についての2つの論点―「魔法少女の救済」と「まどかの自己犠牲」 - 新・怖いくらいに青い空

    はじめに 『魔法少女まどか☆マギカ』の最終回について語る場合、次の2つの観点から考察できると思う。1点目として、来ならば魔女になるはずだった魔法少女達は、まどかによる世界の改変によって魔女になることなく消滅できるようになったわけだけど、そういった「救済」の手法がどのような論理に基づいてなされているのか詳しく考える必要がある。2点目として、まどかが魔法少女達の「穢れ」を全て引き受けるという、究極の「自己犠牲」による問題の解決が果たして妥当なのかについて考えなければならない。前者については、私がずっと述べてきたように『Angel Beats!』における「成仏」と関連づけて論じることが出来る。後者については、最近何かと話題のマイケル・サンデルや、その他諸々の作品における「自己犠牲」の是非をめぐる問題提起と合わせて考えることが出来るだろう。 ところで、今回の記事は、以下でリンクを張っている記事と

    『魔法少女まどか☆マギカ』についての2つの論点―「魔法少女の救済」と「まどかの自己犠牲」 - 新・怖いくらいに青い空
    highcampus
    highcampus 2011/05/01
    "どこかで、誰かが、あなたのために戦っている――これは「犠牲になっている」と言い換えてもいいが、とにかくそういった歪んだ世界の構造を理解することが大切"
  • 皆が幸せになることをあきらめないという選択―『とらドラ!』に見る「幸せ」の有り方 - 新・怖いくらいに青い空

    誰一人も犠牲にすることなく、全員が幸せになるような選択は有り得るだろうか。時と場合にもよるが、そのような選択は極めて難しいと言えるだろう。また、他の皆の幸せのために、自らが犠牲になるという選択は許されるのだろうか。そして、誰かの犠牲によって、あるいは自己犠牲精神によって得られた「幸せ」は、当に「幸せ」と呼べるのだろうか。今回は、ライトノベル『とらドラ!』を読み説くことで、このような「犠牲」と「幸せ」について考えてみたい。 とらドラ!中盤における最大の山場と言えるのが第7巻のクリスマスパーティーである。大河は、竜児と実乃梨の幸せのために、自らが犠牲になろとしていた。パーティーの最中、大河が居ないことに気付いた竜児は、たった一人で大河の家へ向かう。この時の竜児の心境を表わす記述を引用しよう。 あの眩いツリーの下で一緒に笑っていられなければ、報われることなんかないではないか。誰のために今夜はこ

    皆が幸せになることをあきらめないという選択―『とらドラ!』に見る「幸せ」の有り方 - 新・怖いくらいに青い空
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