2019年4月12日のブックマーク (1件)

  • 『信仰の実践で「鉄の柱」「青銅の扉」となれる』

    信仰深く生きていると言いながら、 愛を与えることなくして生きているということはないのです。 なぜなら、 信仰とは、真実の神を念い続ける心であり、 神を念うということは、 神の持っておられるものを己れ自身も持ちたいと、 必ず思うようになるからです。 では、神がいちばん念っていることは、いったい何ですか。 それは、あなた方一人ひとりに対する愛ではないですか。 そもそも、あなた方を創り、 あなた方をこの地に満たし、 あなた方に光と水と糧を与え、 何度地獄に堕ちることがあったとしても、 それで命を消滅させることもなく、 連綿とその生命を長らえさせ続けている神は、 愛の塊でなくて、いったい何でしょうか。 それは、愛以外のなにものでもないはずです。 信仰というものが、神へと向かう道であるならば、 その信仰が物であればあるほど、 あなた方の愛は深まり、 あなた方の愛は物となってゆくはずです。

    『信仰の実践で「鉄の柱」「青銅の扉」となれる』
    hikarinobosatu
    hikarinobosatu 2019/04/12
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