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2016年5月15日のブックマーク (2件)

  • 可撓性 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "可撓性" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2020年12月) 可撓性(かとうせい)とは、物質の弾性変形のしやすさを示す。 一般的用法においては弾性を可撓性と見做し、ゴム状物質について「高弾性である」というような記述がなされる場合があるが、誤りである。弾性も「力を加えると変形する性質」を表す言葉であるが、弾性の大小を表す弾性率は値が大きいほど変形に要する力が大きくなるという意味である。従って、「弾性がある」と言った場合には「可撓性がある」と同義であるが、「高弾性である」と言った場合、むしろ「変形しにくい」「硬い」という意味

  • 現代って「楽しいかどうか」ってことが無謬の基準みたいに扱われてて

    どうにも受け入れがたい。 なんかの宗教かっつーの。 楽しいかどうかって、そんなに大事か? 10代とかなら分かる。体力が有り余ってテンション突き抜けちゃうんでしょう。 そういうテンション突き抜けた状況の快感を、何度も再現したくなるんでしょう。 それはいい。 でも、20代、はいいとしても30代40代でそれはどうなんだと。 もうちょっと義務感みたいなものに押しつぶされててもいいんじゃないのか? いや、押しつぶされるは言いすぎでも、もっと息苦しい感じで生きていてもいいんじゃないのか? 苦虫を噛み潰したような顔をして、疲れきった顔で生きているほうが健全なんじゃないのか? 俺は生き生きしている大人なんか、見てて不愉快な気分にしかならないぞ。 30年40年生きてきて、溌溂としていられるくらい、社会からのしがらみを感じられずに生きていけるのって、何か精神の病気だとしか思えない。 ま、定年退職後に気ままに生

    現代って「楽しいかどうか」ってことが無謬の基準みたいに扱われてて
    hiro-okawari
    hiro-okawari 2016/05/15
    “苦虫を噛み潰したような顔をして、疲れきった顔で生きている”そういうの、大人はひとりきりのときにする。みんなでいるときは楽しくする。マナーや気遣い、配慮は相手に対する想像力から発生する優しさだと思う。