とある大型書店の「飲食に関する本のコーナー」で、僕の著書の『バーのマスターはなぜネクタイをしているのか』と『バーのマスターは「おかわり」をすすめない』がずっと「面出し」でオススメしてくれているんですね。 で、飲食関連本のそのコーナー、僕もお店でのメニューのことを考えるためにたまに利用するんです。 そしたら、どういうわけか3回、誰かがイタズラしているのだと思うのですが、僕の本を面出ししているところに、わざと別の人が書いたバーの本とかワインの本を置いて、僕の本を見えないようにしていたことがあるんです。 まあ想像するに、たぶん同業者か近い業種の人が、僕が書いているような文章がすごく嫌いか、僕の存在がうっとうしいのでしょう、なんか邪魔しているんだと思うんです。 こういうことにはもう最近はようやく慣れてきてまして、もう仕方ないんです。何かちょっと目立つことをやると、必ずそれを鬱陶しく思って叩く人って
子供の大好物といえばハンバーグ。 そして、苦手な食べ物と言えばピーマンです。 でも苦手だからという理由だけで、食卓に出されたピーマンを食べないことはよくない。 「ピーマンは身体に良いから食べたほうがいいんだよ。」「一生懸命作ってくれた農家さんがいるんだよ。」と諭せば、賢い子供はピーマンだけをお皿の横にさけることはやめて、ちゃんと食べるようになります。 好物がハンバーグであることは変わらない。 でも、ピーマンを食べられるようになることと、ピーマンが子供の好物に変わることは全く別の話。 ピーマンを食べれるようになっても、その子供の好物がハンバーグであることは変わりません。 にも関わらず、最近はピーマンを無理やり相手の好物にさせようとする傾向が強すぎると思うのです。 試行錯誤を繰り返し、一緒に食べてもらえる状況をつくりだすこと。 「ピーマンを食べられる子供が、いい子!」と言って、教育ママが子供に
とある人物やその人の仕事ぶりに対して「プロっぽい」と思うことがあります。例えば、NHKの番組『プロフェッショナル』やTBSの『情熱大陸』を見ていると、「おぉ、プロだな」と思う瞬間があります。 どんな仕事に対して、「プロっぽい」と思うかは人それぞれです。ある人は「とにかく細部まで徹底的に妥協しない姿勢」をプロっぽいと思い、ある人は「素人には到底できないようなことを涼しい顔でさらっとやってのける姿」にプロっぽさを感じるかもしれません。 このように、人の思い描く「プロフェッショナル」像は千差万別であり、だからこそ『プロフェッショナル』や『情熱大陸』といった、各界のプロにスポットを当てた番組が人気を博すのでしょう。 かく言う僕が、「プロっぽいな」と思うのは、「そこに”感情”が介在していないけれど、求められる仕事を淡々とこなす姿勢」を感じたときです。 ちょっとまどろっこしいですね。「感情が介在」して
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