TBSラジオ、ライムスター宇多丸の「ウィークエンド・シャッフル」にて、2009年7月4日土曜日、特集・ "西寺郷太の「マイケル・ジャクソン論」"にて、決定版「メイン・ストーリー・オブ・マイケル・ジャクソン」を残させてもらいました。
TBSラジオ、ライムスター宇多丸の「ウィークエンド・シャッフル」にて、2009年7月4日土曜日、特集・ "西寺郷太の「マイケル・ジャクソン論」"にて、決定版「メイン・ストーリー・オブ・マイケル・ジャクソン」を残させてもらいました。
マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」の3回目を観た。見終わった瞬間、また見たくなる作品だ。しかし、もう公開は終了。後はソフトの発売を待つしかない。 今回僕は3回目を観るにあたってとあるブログを念頭において観ていた。 『THIS IS IT』の考察 - ハックルベリーに会いに行く この記事の中で、僕は一切感じなかったことが書かれている。以下に引用する。 非常に興味深いのは、映画を通して(コンサートのリハーサルを通して)、周囲の人たちの反応が変化していっていることだ。おそらく、このコンサートに集結したほとんどのスタッフ・出演者(ミュージシャン、ダンサー)は、初めは観光気分だったと思う。物見遊山だった。マイケルという伝説的な存在と一緒に仕事をするということで、マイケル自身を直に見られるという楽しみもあったし、キャリア面の損得勘定もあっただろう。だから、仕事としてきっちりこなそうという緊
マイケル・ジャクソンの映画『THIS IS IT』を見た。とても面白かったので2回見た。1回目は、主にマイケル中心に見た。その一挙手一投足を見逃さないよう、釘付けになって見た。2回目は、今度は脇の人たちを中心に見た。マイケルの周りのスタッフ・出演者たちが、マイケルにどういう接し方をしているのか――それを見ることによって、彼らに反射したマイケル・ジャクソンという人物の現場の顔、フィルムには写らなかった裏の顔を浮かび上がらせようとした。周囲の人たちに投影されたマイケルのシルエットを見ることによって、逆にマイケルの人となりに迫ろうとしたのだ。 非常に興味深いのは、映画を通して(コンサートのリハーサルを通して)、周囲の人たちの反応が変化していっていることだ。おそらく、このコンサートに集結したほとんどのスタッフ・出演者(ミュージシャン、ダンサー)は、初めは観光気分だったと思う。物見遊山だった。マイケ
弱肉強食の現状を変えようとせず、悪循環に流されて生きる3人の旧友に、 「おまえ、もうクールじゃねえ」You ain't bad"と言われるダリル(マイケル)。(ain'tはaren'tなどの下品な言い方) そこで、ダリルが、自分が現状に流されず明日を変えようとして、どれだけ「かっこよくとんがってタフに」生きているか、思いを吐き出す。「ぶらぶらチンピラしてラクに生きるより、理想のために努力する方がカッコイイだろ」という、ダリルの反論を目に見える形で表したのが、あのダンスです。 ①冬休みで高校の寮から帰って来たところ。言葉使いや街の雰囲気で貧困地区と分かる。ダリルは貧しい家の出だが、母親が愛情を持って育てた(置き手紙と食事で表現)のでまっすぐ育ち、努力して、おそらく奨学金で進学校へ通っているのだろう。 大切なのは次の②③場面。 ②友人の低級で無教養な会話から、彼らが無為にだらだらと日々を過ごし
*注 この記事は、過去に自分がLet it beサイトさんのために書いたもので、そのLibraryにも収録されていますが、自分のサイトで93年後に関する記事をまとめ掲載することになりましたので、その強い相互関連性から、こちらのサイトでも掲載をする事にしました。 なぜマイケルは無実であると考えるか マイケルファン歴が長い方だと私などよりも何倍も詳しく、ほとんどすでにご存知のことばかりで今更の話で申し訳ありませんが、他のサイトのBBSなどを時々拝見すると、まだファン歴も浅かったり、また10代というような非常に若い世代のファンの方達が、今回の事件に接して『マスコミの報道を観ているうちにマイケルが信じられなくなった。』 というような悲痛な叫びを目にすることも多く、その度に心を痛めておりましたので、そのような方達が読んでくださったらいいなという気持ちで書いてみたいと思います。 これから書く
5年のブランクを経て看護師復職。叶いそうもない夢を抱きながら勤務の日常をやや自画自賛気味に、稀に自虐的に綴る。SI-III/ISI_II以下の文章はわたしの解釈であり、必ずしも真実とは限らない。彼を全面肯定してるわけでもなければ、援護しているわけでもない。でも、これまでのマイケル・ジャクソンの報道が真実とも限らない。 皐月雨の人の死にわいた蛆の戯れ言だと思ってくれてもかまわない。 しかし、書かずには居られない。少々長いが、興味があれば読んで頂きたい。 彼の肌の色の事、その理由となった病気の事、それらを知らずに未だに「漂白」などと言う文章を目にする事に辟易とすると当時に、自分も含め、人はあまりに愚かで悲しいと、思ってしまう。 わたしの音楽の嗜好をご存知の方は、わたしがマイケルに興味が無いこと等全然驚きもしないだろう。しかし、そんなわたしにも幼い頃、マイケルを見て感動した思い出がある。それは小
2009年07月31日19:00 カテゴリ書評/画評/品評Tribute A Thriller Like No Other - 書評 - LIFE MICHAEL 1958-2009 ディスカヴァーより緊急献本御礼。 LIFE MICHAEL 1958-2009 ライフ誌編・著 史上最も人間離れして見えた人の、人生のアルバム。 ファンでなくとも、打ちのめされる。 そしてファンであれば、少しだけ癒される。 本書「LIFE MICHAEL 1958-2009 ライフ誌特別編集 マイケル・ジャクソン追悼」は、Michael Jackson の人生録。わずか80ページだが、なんというページの重さだろう。これを超える伝記はおそらくありえないのではないか。 Michael Jackson は、「超人」だった。やることなすこと、人がやったとは思えない。そして後には自分の姿すら、大人でも子どもでもない、サ
◇黒人を誇りにしていた 悲しいメディアによる誤解 マイケル・ジャクソン死亡のニュースが世界中を駆けめぐった日、私は自宅にある彼のコンサートDVDを繰り返し見ながら、翌朝まで泣き続けた。亡くなったことはもちろん、悲しい。でもそれ以上に、誤解され、攻撃され続けたまま亡くなった彼の悲しみを思うと、悲しくて悔しくて、涙が止まらなかった。 死亡後、マイケルに関するニュースや世論はかなり好意的なものに転じた。しかし、彼の音楽やダンス、人間性にきちんと向き合ったとは思えない報道の多さに憤りを感じる。8日の本欄「情報社会とスター契約」(東京学芸部・川崎浩記者)など毎日新聞の一部記事もしかりだ。繊細で傷つきやすかった彼が受け続けた誤解を、少しでも晴らしたい。 「彼は白人になりたかった」という分析がある。しかし、そういう発言をする人は、彼のインタビューや曲、歌詞など調べずに、思い込みで発言しているのではないか
●マイケル・ジャクソン~徐々に出され始めたメディアの膿 【マイケル・ジャクソン~その後~徐々に出され始めたメディアの膿】 第一弾まとめ。 「キング・オブ・ポップ、ロック&ソウル」マイケル・ジャクソンが2009年6月25日に死去してはや一月以上が経った。マイケルを特集した写真集などが多数発売され、追悼ムードは高まる。 しかし、どれも大急ぎでやっつけで作った感は否めない。ニューズウィーク誌の「完全永久保存版」(2009年7月22日号)と銘打った号でさえも、年表などにいくつもの間違いがあり、ロレーン・アリ記者が書いた記事も、今までの「マイケルの噂」を元にした三文記事の域をでない。一応ちゃんとしたメディアと思われているニューズウィーク誌でさえこの有様なのだ。アリ記者は白人なのだろうか。Black or White? 僕はふだんこうした記事を読むときに、それを書いた記者が黒人か白人か、男性か女性かそ
マイケル・ジャクソン 追悼式 兄・マーロン・ジャクソンのスピーチ 意訳 by 西寺郷太 ジャーメイン・ジャクソンによる謝辞のあと、マーロン登場。 「(嗚咽) ぼくは・・・、傷ついています・・・。ぼくは今・・・、様々な慰めの言葉を探しながら、ようやくここに立っています。どうして、神様がぼくの弟を、こんなに早く彼の元に戻し、この世から連れ去ってしまったのか・・・。その事実をどうにか受け止めようと努力しています。 マイケル・・・。君がぼくらの前からいなくなり、ぼくの体の一部もなくなった。でも・・・、君が残してくれたものはぼくの、そしてみんなの心の中で永遠に生き続ける。 マイケル・・・。君と一緒に歌ったり、踊ったり、笑ったりした素敵な瞬間がぼくの宝物だ。学校から帰って来て、ちょっとした食事にかぶりつきながら、一緒に『三ばか大将』を観たことを思い出すよ。母さんから『レコーディング・スタジオ
2009年6月25日、マイケル・ジャクソンが此の世を去りました。 私と主人昭夫が、マイケルの公演を初めて観たのは、1987年横浜スタジアムの時でした。彼の音楽、そして抜群のダンスに魅せられて、私共は東京の自宅から横浜スタジアムへ、公演後はそのままウィークエンドを、別荘で過ごすべく箱根湖畔の家に向かいました。 現在のように携帯電話もなく、道路事情も悪く、夜半に別荘に着いた私のところに東京の家から電話がかかり、先程からマイケル・ジャクソンのマネージャーから度々電話がかかってきて、是非、ミスター盛田と話がしたいので、何時でもいいから電話を下さい、とのこと。私は急いで彼のホテルに電話をしました。 彼は、「今日、ミスター盛田が来て下さったことのお礼を言いたかったのです。そして今日は自分が100%満足のいくショーが出来なかった。声も出なかった。次回の公演には必ず今日以上のショーをお見せしたいので、是非
【エンタがビタミン♪】【イタすぎるセレブ達】毎日更新中!Techinsightは海外セレブ、国内エンタメの”オンリーワン”をお届けするニュースサイトです。 7日LAで行われた故マイケル・ジャクソンの追悼式。数々のセレブがステージに登場し、マイケルへ言葉を贈り、パフォーマンスを見せたが、その中でも特に、マイケルのよき理解者であった女優ブルック・シールズによるお別れのスピーチが、多くの人々に感動を与えていたので、こちらにご紹介したいと思う。 ステージ後方のスクリーンは、マイケルの50年の生涯の懐かしいシーンの数々を、走馬灯のように映し出す。スティーヴィー・ワンダーはマイケルのための特別の歌詞を用意、ジョン・メイヤーは目を閉じたまま、抜群のテクでギターを泣かせ、兄ジャーメイン・ジャクソンは、マイケルが好きだった名曲の『Smile』を、涙を堪えて熱唱した。 そのような中、過去に少しの間マイケルとデ
今日未明、マイケル・ジャクソンの葬儀と追悼式が終わった。 仕事があるので、CNNの中継はほとんど見ていないのだが、CSで1時に視聴を予約しておいたら、画面が切り替わったとたん、いきなり度肝を抜かれた。 密葬を終えて運び出されるマイケル・ジャクソンの柩が映し出されていた。柩の上には鮮やかな赤い花がびっしりを置かれていた。 CNNでも言ってたけど、 もう帰ってこない ということを痛烈に訴える映像だった。 朝になって、各局が短いまとめ映像を流していた。 やはり、印象的だったのは ブルック・シールズのスピーチ だった。マイケル・ジャクソンと同じように、子どもらしい子ども時代を送ることが出来なかったブルック・シールズ。彼女のキャリアは1歳になる前から始まる。マイケル・ジャクソンがメジャーとしてキャリアを積み上げ始めた時期とそう変わらない。 ブルック・シールズのスピーチの概略。産経より。 【マイケル追
今のところ、クイーンとフレディ・マーキュリーにひたすらツッコミ入れまくってるブログです。リンクフリーです。特にご連絡いただかなくてもおっけーですよー。 私自身が膠原病なので、膠原病関連のニュースには敏感なはずなのだが、マイケル・ジャクソンが膠原病の一種である全身性エリテマトーデスだったというのはつい昨日初めて知った。 と同時に、あらゆることに合点がいった。マスコミに「奇行」と言われたほとんどが、別に奇行でもなんでもないことに。 極端に少食だったのは、全身性エリテマトーデス治療には必須のステロイドの副作用によって太ることを恐れたのだろうし、日光過敏症になる(日に当たると皮膚が赤くはれ上がる)のでサングラスにマスク、帽子に長袖に日傘はこの病気では当たり前のこと。 血管炎や関節炎を併発していれば、その痛みは半端じゃないのであれだけの踊りをこなすにはかなり強い消炎鎮痛剤を使っていたのだろうというこ
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