田中 あと僕が最後に聞かれてもいない重要な話をしておきますと(笑)、今、後藤政志さん、渡辺敦雄さんという元東芝の格納容器の設計者の方々と一緒に、どういう事故が起きたかという解析をしているんです。概念としては市民調査だね。国の調査には任せられないし、言葉で批判していても埒があかないから、技術理論的な計算などをしているんです。おそらく国の言っている事故ストーリーとは全く違うストーリーになると思います。 小林 一体どのあたりが違うんですか? 簡単にご説明いただける内容じゃないかもしれませんが......。 田中 いえ、簡単ですよ。今回の福島原発の1号機は津波にやられたのではなくて、地震の時点で壊れている、ということです。 おそらく地震の揺れで1号機の圧力容器に出入りする重要な配管が折れてしまい、そこから高圧な蒸気が漏れ出してメルトダウンに入ったと思われるので、その分析をしています。 それから2号
小林 今回は、エコレゾ ウェブ始まって以来初の対談2日目を設定させていただくことになりました。2度もご足労いただき本当にありがとうございます。早速ですが、先日のお話の続きを聞かせてください。チェルノブイリ原発事故の後、90年代に入ってから日本でも「原発は本当に大丈夫なのか?」という論議が生まれたと思うのですが、その心配は段々と下火になっていきますよね。 田中 そうですね。 小林 そのとき田中さんは一体どんな想いで、反原発の活動をされていたのかなと。 田中 前回もお話をしましたが、僕が会社を辞めた理由は、学問をやりたかったからなんですね。簡単にいうと当時は工学系の学者になりたかった。 小林 なるほど。どういったジャンルの学問をしていらっしゃったんですか? 田中 結局、いろんな事情でそういう道にはいけませんでしたが、昔から脳に興味があったので、その後はとくに脳の勉強をしたり翻訳をしたりしてきま
小林 田中さんは、元々は日立の原子炉製造技術者でいらっしゃったんですよね。それがいつ頃のことですか? 田中 1968年〜1977年までですね。正式にはバブコック日立という会社です。バブコック&ウィルコックス(B&W)というのはアメリカにある原子力発電や火力発電を作っている会社で、ウエスティングハウスやGEと並んで、原発メーカーでは3番目くらいに大きな会社なんです。イギリスにあるその兄弟会社と日立が半世紀以上前に合弁して作った会社だったんです。アメリカのB&W製で有名なのはスリーマイル原発ですね。 小林 僕が今日改めて田中さんにお聞きしたいのは、そもそもなぜ原子力の世界に入られて、何を疑問に思ってそこを出たのか? というところなんです。 田中 入社したのは、1968年。僕が25歳の時です。その頃日本は、何でもかんでもアメリカアメリカ、という時代だったんですね。 それから、戦後の高度成長期の中
宮台 今朝からtwitter流してたんですよ。もうすぐ不信任案の採決だけど、可決されたら、解散して、郵政選挙ならぬ脱原発選挙をすりゃいいって。人間万事塞翁が馬っていうか。原発をめぐって大きな政党は中が割れてるじゃないですか? 不信任案可決&総選挙はそこを整理するチャンスだったけど、グズグズになっちゃいましたね(笑)。 小林 原発が争点の総選挙になると結局経済のことが絡んでくるから、自民はそこで原発を内包した形で寝技みたいなとこに持ち込むようなことがあったんじゃないかと思うので、そこらへんはちょっとどうなんだろうと......。 宮台 そうですね。経団連など経済界は「お付き合い」の世界で、電事連の意見が前面に出るけど、自動車業界でさえ自然エネルギーに舵を切らないと世界市場で見放されて活路はないと思ってますからね。経団連の中の「お付き合い」からでてくる公式見解と、それとは異なる各企業の本音の、
フェス連動サテライトカフェOPEN!! 2011.07.10 いよいよap bank fes '11まで1週間切りました。 ここでkurkku3から緊急告知! fesを先駆けて7月14日木曜日から、 ap bank fes '11 Fund for Japan連動サテライトカフェ を、オープンします!! kurkku3がつま恋のkurkku village内で展開する fes限定オリジナルメニューを、 表参道kurkku3でも食べて飲んで頂けます。 内装もまるでkurkku villageにいるようなfesヴァージョンにチェンジ!! 都心にいながらもつま恋の空気を感じてもらえたらと思います。 期間は7月14日~19日の6日間。 お待ちしております!!
ap bank fes'11 Fund for Japanの開催が決定。今年のフェスでは被災地の復興に向けた取り組みが数多く盛り込まれている。そこで、主催の小林武史と櫻井和寿が、フェスについてはもちろん、震災後の気持ちの変化や、私たちがこれから変えなくてはいけない意識について話し合った。 震災後、僕らの意識はどう変わっていったのか 何もできない自分に対しての、モヤモヤとした気持ちがずっとあった 小林 先日、さいたまスーパーアリーナでの3本目のライブ(※Mr.Children Tour 2011 "SENSE")があって。本当はそれで終わるはずだったんだけれど、振替公演になった大阪が残っているし、しかもアリーナツアーなのにドームでやる(※震災の影響により大阪と和歌山での公演は延期となり、振替公演では会場が変更となった)という。考えてみれば今年のスケジュールは、そういうところにも不思議な流れが
小林 この間観た某テレビ番組で、世界に対して企業の原子力の輸出価値というものが、国益として重要なんだということなども言っていましたけれど。今の日本の原子力技術って、飯田さんの話を聞いているとそんなになんかこう...、バリバリのエースって感じもしないのですが。 飯田 しないですよ(笑)。日本の技術なんて「ない」って私は言っていますけど。 小林 そうですか。 飯田 まず客観的な証拠として、日本は原子力技術を導入してもう50年以上経過しているのに、なぜ今さら、某企業が5000億円も払って、ウェスチングハウスを買収しなきゃいけなかったのか、ということが、すべてを語っています。例えば他の国は最初の頃は原子力技術をアメリカから輸入していたけれども、スウェーデン、ドイツ、イギリス、フランスはみんな自前の設計パッケージを持っています。日本では、設計図面には日本の企業名が書いてあるんですけれども、実態として
飯田 お久しぶりです。 小林 本当に、お久しぶりでお会いするのがこんなときで悲しい感じもするんですけれどね。 飯田 よもやこんなことが起きようとはね。 小林 先日、田中優さんとも話していたんだけれど、日々刻々と状況が......。 飯田 そうですね、悪くなっていってますね。 小林 前談として、このサイトの意義を僕なりに言いますと。今すごくエネルギーのこと、特に原子力発電の是非について専門家の方々が色々な発言をされていますが、誰も完全な理論や理屈で言えるわけはないと思うんです。これは、物の言い方で転じることがあったとしても、人間ならば完全な存在を語るのは難しいという認識のうえで。今、福島原発のことがあって、緊張して生きざるを得ないじゃないですか。それは、原子力が僕らの手に余ってしまう何かを持っているという、得体のしれない怖さを秘めているからなので。だけど、原子力に関して、確定的なことを言って
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く