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2020年3月31日のブックマーク (5件)

  • 100以上の博物館や図書館が所蔵する塗り絵が無料でダウンロード可能に

    新型コロナウィルス(COVID-19)のパンデミック(世界的大流行)により、各国の政府は“social distancing(社会的距離)”対策として、国民に対して、行動を制限し、不要な接触を控えるよう呼びかけている。これを受け、外出を禁じられている子供たちが自宅で楽しく過ごせるよう、多くの博物館や図書館が所蔵するユニークな塗り絵の冊子を、無料でダウンロードすることが可能になった。 2016年以来、『ニューヨーク医学アカデミー』が世界各国の図書館文化機関やアーカイブに対し、個々で取り揃えている著名なコレクションをテーマとしたプリント可能なPDF形式のページの提供を呼びかけてきた。現在多くの人々が自宅謹慎を余儀なくされている状況を受け、『ニューヨーク植物園』を筆頭に, 『スミソニアン博物館』や、イギリスの『オックスフォード大学』など100以上の団体がこのプロジェクトに参加している。ハイライ

    100以上の博物館や図書館が所蔵する塗り絵が無料でダウンロード可能に
  • いまこそ、日記をつけよう|内沼晋太郎

    2020年4月1日、「日記屋 月日」をオープンします。 場所は下北沢の「BONUS TRACK」という新しくできる場所です。自分が経営している新刊書店「屋B&B」も、出版社でもある「NUMABOOKS」の事務所も、ここに移転します。 「日記屋 月日」はその場所で、ぼくがもうひとつ新しくはじめる、日記のお店です。 「いまこそ」ということばに緊張しながらぼくは日記が好きです。自分の日記を書くことも、誰かの日記を読むことも、どちらも続けるほど奥深く、すばらしい経験だと感じてきました。 「日記屋 月日」は、その魅力を伝えるための拠点にしたいと考えています。 今日まで、たくさんの準備をしてきました。来であれば、その準備が整ったことを喜びつつ、「明日はぜひみなさん、いらしてください」という主旨のことを書けばよかったはずでした。 その途中で、新型コロナウイルスがやってきました。ぼくたちの準備期間を、

    いまこそ、日記をつけよう|内沼晋太郎
  • 【追悼】ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    志村けんさんが、29日、東京都内の病院で亡くなりました。 追悼の意を込めて、以前「水道橋博士のメルマ旬報」に寄稿した「ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか」を一部修正の上、転載します。 ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか一定の年代より下の世代にとって、ザ・ドリフターズといえば、いかりや長介、加藤茶、志村けん、仲工事、高木ブーの5人。荒井注が中心メンバーの一人だったというのを知識では知っているが実感はない。ドリフのエースは志村けん、というイメージが強い。だから、志村けんが元々はドリフのボーヤであり、荒井注が脱退した代わりにドリフのメンバーに抜擢された、といわれてもピンとこない。 実際のところザ・ドリフターズにとって志村けんとはどんな存在だったのか。 『8時だョ!全員集合』が始まる1年前の1968年2月。 志村はいかりやの自宅を苦労して調べ、新宿から30分トボト

    【追悼】ザ・ドリフターズにとって志村けんとはなんだったのか(てれびのスキマ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • 吉田初三郎式鳥瞰図データベース

    大正から昭和初期に起こった大観光ブーム。そのブームの中、日内外の旅行パンフレットに鳥瞰図を取り入れたのが「大正の広重」と呼ばれた吉田初三郎です。「吉田初三郎式」として人気を集めた彼の鳥瞰図の最大の特徴は極端なデフォルメで、大胆な構図と鮮やかな配色による豊かな表現に彩られ、今日と比べても遜色ないほどの詳細な情報が盛り込まれた旅行案内が多数出版されました。 吉田初三郎は京都生まれの鳥瞰図絵師で、最初の『京阪電車御案内』(大正2年)が、皇太子時代の昭和天皇から「これは奇麗で解り易い」と賞賛されたことに喜び、生涯に1600点以上もの作品を描いたと言われています。 国際日文化研究センターでは吉田初三郎、および彼の影響のもと同時代の絵師が描いた鳥瞰図の網羅的な収集を行ってきました。データベースではその全体像を把握できるようにするとともに、画像を共有するための国際的な枠組、IIIF (Intern

  • 「育児の人」と見られる心のざわつき。「いやだ、文学者として評価されたい」と思ってしまう

    仕事相手と会っても、育児の話題ばかり出される。私を思いやってくれていることに違いない。そもそも、私がそう思わせているのだろう。でも、「育児の人」「育児の話をしたがっている人」と思われて、もう「文学の人」「文学の話がしたい人」だと思われないことがつらくてたまらない。自分が悪いのだが — 山崎ナオコーラ (@naocolayamazaki) December 8, 2019 もちろん、エッセイではなんでも赤裸々に、直球で書くが、それは文章というものが好きだからだ。……文学者になりたい。「育児の人」にはなりたくない、と、つい思ってしまう。でも、それをどういう風に自分で折り合いをつけていいのかわからない。 — 山崎ナオコーラ (@naocolayamazaki) December 8, 2019

    「育児の人」と見られる心のざわつき。「いやだ、文学者として評価されたい」と思ってしまう