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さとなおに関するhiroyukisonodaのブックマーク (44)

  • www.さとなお.com(さなメモ): 「歌う」から「動く」へのシフト

    というわけで、「WorldShift Forum 2011」に参加してきた(昨日参照)。 登壇したのはセッション3『コミュニケーションと社会のシフト』。 並河進くんと上田壮一くんとの3人セッションで40分。他のセッションはスライドを使ったプレゼン込みだったが、ボクたちは3人ともスライド・プレゼンなしで、対話を重視して進めていった。 まず、規定お題として「何から何へのシフトが起こるのか(起こすのか)」をひとりずつ語った。 ボクは「歌う→動く」というテーマで、ここ十年くらい、折に触れて考えてきたことをお話しした(写真は@ikeyuさんのツイッターから拝借)。 それは「ジョン・レノンの『イマジン』は、なぜブッシュの戦争を止められなかったのか」ということ。 世界中であの美しいコンセプトを共有し、あんなに何度もみんなで歌ったのに、止められなかった。ブッシュだけでなく、ブッシュ以降のいくつもの戦争や不

  • www.さとなお.com(さなメモ): 関与する生活者とコミュニケーションする方法

    そろそろ仕事も始めないとね、ということで、講演などから手始めに受け始めたが、ちょうど世の中的に震災後の活動の検証時期に来ているようで、いろんなオファーが入り始め、あっという間に週5ペースになった。 ソーシャルメディアと絡めての講演が多い。 ボクも震災前と震災後でソーシャルメディアについての考え方が変わったので(震災前にを出版しなくて良かったw)、この辺の講演をキッカケにして考えを深める作業に入っている。 講演というアウトプットのために真剣に考えることは、インプットを呼び、考えを深めることができる。 このサイクルにスムーズに入ることができたのが良かったなぁ。おかげでようやく「明日の広告」の次のの姿形(内容的に)が見えてきた。その姿形は震災前に書いていたもの(80%完成してた)とはわりと違う。レッサーパンダとジャイアントパンダくらいは違う。 震災で、ソーシャルメディアを外から語っていただ

  • www.さとなお.com(さなメモ): 言葉の力(総理大臣のスピーチ)

    昨日に続いてスピーチの話。 昨日の毎日新聞、岩見隆夫のコラム「近聞遠見」に「鳩山とスピーチライター」という記事があった。興味深いのでリンク先をぜひ読んでいただきたい。 これは先月発売された「総理の原稿 〜新しい政治の言葉を模索した266日」(平田オリザ・松井孝治著/岩波書店)というを元ネタにしたコラムである。 この、鳩山総理(当時)のスピーチライターをした松井孝治官房副長官(当時)と平田オリザさんの対談で出来上がっていて、鳩山総理のスピーチがどうやって作り上げられていったか、鳩山以前はどんなやり方をしていたか、政治のコミュニケーション・デザインとはどうあるべきか、などがよくわかって面白い。 そして、ボクも随所に出てくるw というのも、ボクも鳩山総理の演説原稿に、個人的に少し関わっていたからである(そしてその後のソーシャルメディア活用にも。 このはこの部分もかなりの枚数をさいて書かれて

  • www.さとなお.com(さなメモ): 捨てよう捨てよう

    会社から段ボールが5箱届いた。 ボクが31日に必死に箱詰めしたものである。 半分くらいは捨てた。捨てきれず残ったものだけ家に送った。それでも5箱。こんなに家に置いておけない。これから時間をかけて1/3に減らしていくつもり。 四半世紀も会社にいると、それはもういろいろな資料や記録がたまる。 自分がやった新聞広告や雑誌広告の掲載紙(誌)とか、自分が作ったCMのビデオとか、自分が寄稿した専門誌とか業界誌とか、自分がプレゼンした企画書や、キャンペーンに集まった感想集などもある。超人気タレントの無名時代のオーディション・シートとかも取ってあるw やら記念品やらもやたらたくさんある。懐かしい人々の写真とかもたくさん。 で、問題は、それらのほとんどが「アナログ」なのだ(笑) ここ10年くらいのものはデジタル化したものが多い。当たり前だが、企画書なんかすべてデジタルだ。でも、昔の企画書も掲載紙もアナログ

  • www.さとなお.com(さなメモ): 独立初日の朝

    独立初日の朝は(晴れ男だけに)雲ひとつない快晴となった。 昨晩はなんだかやっぱり不安で、家族に「26年間お疲れ様!」とねぎらわれつつ、多少ネガなことも考えていたのだけど、一晩寝て朝起きたら完全に気分が変わっていた。 なんだろう、脳内右後ろに、広々とした芝生の空き地がある感じ。 ポカーンときれいな芝生の空き地がある。そしてその空き地が高原の朝のようにすがすがしい♪ あぁ、友人が「初日の朝、当に気持ちいいよー」と言っていたのはコレか! こんな広い空き地が隠れていたのか! そして、人生の時間のすべての決定権と責任が自分にある、というシンプルな暮らしが始まった。 まず犬ととゆっくり長い散歩をした。 朝風呂にゆっくり浸かった。 ふと気がついたら出社時間を大きく越えていた。 あぁもう関係ないんだ、と、湯船に頭ごとニッコリ沈んだ。 そして区役所に行って国民年金に切り替える手続きをした。 そのまま「助

  • www.さとなお.com(さなメモ): 佐々木俊尚著「キュレーションの時代」

    佐々木俊尚著「キュレーションの時代」を読んだ。 実は先月中旬に読了していたのだが、「あー、こんなに同じようなことを書かれてしまったのなら、ちょっと執筆中のの内容を変えていく必要があるかもなぁ」とかボンヤリ考えているうちに時間が経ってしまった(ついでに出版時期も延びてしまったw)。 実際、ボクが「明日の広告」の次ので書こうと思っていたこととずいぶんとかぶる部分がある。 ボクのはこんなに高尚じゃないし、より実践的に書こうと思っているし、広告とか既存メディアについての視点も違うので、結局内容は変更しないことにしたけど、まぁでも時代の変化の捉え方はこのと大きくは変わらない。 会社のサトナオ・オープン・ラボで一緒に研究をしている京井くんの「ロングエンゲージメント」は、一緒に研究しているだけあってボクと考え方がほぼ一緒なのだけど、彼もこのを読んで「前半は、僕の『ロングエンゲージメント』とほ

  • www.さとなお.com(さなメモ): 世界の行方をリアルに握られているドキドキ

    北大の有名な研究に「アリの各集団において、働かないアリは一定の割合になる」というのがある。 一般には「働きアリの2割はサボる」で知られているかも。 そして、その2割を取り除くと残りの8割のうち2割がサボり始める。さらに、よく働くアリだけで集団を作っても必ず2割はサボる。 昨日の記事で引用した写真を見て、ひとしきり感動したあと、このことを考えてた。 「世界トップのイノベーターばかり集めて、こんなドリームチームを作っても、もしかしたら2割はサボるのか」とか考えたらちょっと愉快。まず誰がサボりだすかね、あのメンツでw 案外マーク・ザッカーバーグとかが、白けて、ふてくされて、いの一番にサボりだすかもw というか、同じ世界トップでも、サミットやG7ではまったくドキドキしないのに、昨日の写真にはドキドキするのはなんでなんだろう。 サミットとかは政治家だから、ってわけではなくて、政治家でもきっとルーズベ

  • www.さとなお.com(さなメモ): 転換は確実に起こっている

    昨日は内閣府の勉強会で2時間しゃべってきた。 総務省や文科省などからも聴きに来てくださった方がいて、質問も多く、しゃべっている方としても楽しかった。 テーマはソーシャルメディアである。 政府や省庁はソーシャルメディアをどう扱って生活者(特に若者)とコミュニケーションをとっていけばいいか、若者の意見をもっと聞いていくツールとしてどう機能できるのか、若者の政策参加のツールとしてどうなのか、というような問題意識が政府や省庁の間で高まっていることを受けてのものであるようだった。 ボクは鳩山政権時にそのソーシャルメディア利用をお手伝いしたので、その経験も含めて呼ばれたようである。 ソーシャルメディアを概観しつつ、具体的にどう使っていけばいいのか、考え方のキッカケになるようなお話を意識してさせていただいた。鳩山さんのときの事例も具体的に。あとは意見の集め方の一例としてクラウド・ソーシングの話なども。

  • www.さとなお.com(さなメモ): エビフライのしっぽ

    「あのさぁ、エビフライのしっぽってさぁ、無駄でしょ? べないし。でも、エビフライって、しっぽがないとおいしく思えないもんなんだよ。エビフライは『無駄な存在であるしっぽ』があるからおいしいんだよ。」 これはボクの尊敬する先輩が言ってくれた言葉である。 長い映像作品を作っていたとき、サジェスチョンしてくれた。 つまり、エビフライのしっぽのような無駄な場面を入れろよ、と。観てる人がホッと息が継げる、ちょっとだらけたシークエンスを持てよ、と。あまり内容を濃く詰め込むなよ、と。 それ以来、CMを作るにしても、文章を書くにしても、講演でしゃべるにしても、なるべく「エビフライのしっぽ」を入れるように心がけている。濃くしすぎない。隙を作る。ちょっとだけ筋と関係ない話をする。 で、人間もいっしょなんだよね。 無駄な部分や隙があった方が魅力的になる。 この前、ある人を前に「あぁオレはなんでこの人のことがこ

  • www.さとなお.com(さなメモ): 企画発想の順序という「型」

    一昨日と昨日の記事の続き。 広告なんかに特に「型」はないと思うが、ボクは講義などで教えるときにあえて「型」を要求する。 それは「企画発想の順序」である。黒帯になるまではこの順序で考えろ、と「型」にはめる。 1.伝えるべき相手(伝えてもらいたがっている相手)は誰かを知る。 2.その相手が触れているメディアは何かを知る。 3.アイデア・表現を考える。 1が実は一番難しい。 こちらが一方的に決めた「伝えたい相手」(ターゲット)ではない。伝えるべき相手。もしくは潜在的に伝えてもらいたがっている相手である。調査・分析も必要だし、自分でもとことん考えなければいけない。ここで一歩目を間違えるとすべてを間違える。でもこの一歩目をおろそかにするプランナーが非常に多い。伝えるべき相手を知らずにはアイデアも表現も作れない。相手が誰かも知らずにどうやってラブレターを書くというのか。 2は「その相手と接触する方法」

  • www.さとなお.com(さなメモ): 新・生活者消費行動モデル概念『SIPS』について

    もう一週間前のことになるが、「新・生活者消費行動モデル概念SIPS」を電通「サトナオ・オープン・ラボ」からのリリースとして出した(リリースPDF) これは、このさなメモで去年の9月21日に書いた「AIDMA → AISAS の次は、『SIPS』かな」を元に、電通のサトナオ・オープン・ラボで考察を深めたものである。 前日(1/30)には日経済新聞にも取り上げられたのでご存じの方もいらっしゃるかもしれない。 去年の9月にここで記事を読んでくださった方には「なにをいまさら」だったかもしれないが、まぁ会社のリリースとなると個人のブログとは違い、いろんな考察が必要となる。9月から4ヶ月、ようやくまとまった感じである。 サトナオ・オープン・ラボって何やってるの?ってご質問をたまにいただくが、会社の中の有志が集まってソーシャルメディアを中心に次世代のコミュニケーションを研究しているユニットである。まぁ

  • www.さとなお.com(さなメモ): ここんとこ気になった(ツイッターで人気が出た)リンク集

    相変わらず土日は執筆。物理的にはもう3冊くらい書けているぐらい時間を使っている。 もうなんというか、試合をしながら成長していったサッカー日本代表みたいな気分す。って、そんな上等なもんじゃないな。もっとドロドロだ。書きながらどんどん内容が変わる。一応「成長」の方向に変わってはいると思うけど、とにかく変わる。で、また最初から見直す。書き直す。ふとあることに気づく。また最初から見直す。書き直す。そんなこんなで深まっているのか混迷しているのか微妙な感じで書き続けています。 ということで、余裕がないこともあり、たま〜にやっている「ここんとこ気になった(ツイッターで人気が出た)リンク集」をやろうと思う。 まず、「もう日はダメだろ」という論調が多い中、しっかり日のイイトコロを書いてくれている論説。 ボクは、この論説が正しいとかどうかは別にして、『これでイイ』ことにした。これでイイじゃん。ネガなこと考

  • www.さとなお.com(さなメモ): 自分のことは二の次なひとたち

    そうだ、Ust出演の夜の「その後の話」を書かなくては。 生中継終了後、みんなで居酒屋に行った。番組内で「いまから来られる人は申し込んでください」と呼びかけたので、飛び入りの方も2人来た。全部で15人くらいだったかな。恵比寿の「さいき」が会場だった(鳩山さんとの会をツイッター中継した店でもある)。 ボクと斉藤くんが圧倒的に年長で、あとは20代中心。学生も数人いた。斉藤くんが社長をやっているループスって「ソーシャルメディアで何かやろうと燃えている若者たちを何重にも巻き込んでいる組織」なので、やる気と熱気さえあれば学生でもなんでも受け入れているようである(社員、という意味ではなく、巻き込んでいる、という意味で) って別に飲み会の様子を書くわけではない。印象的な言葉があったのでそれだけ紹介したい。 飲み会終了後、一足早く店の外に出たボクは、そこでループスの岡村直人くんと話していた。 店の二階の窓

  • www.さとなお.com(さなメモ): 「人生で何をやりたいか」が決まるとき

    やはりこの数日にお子さんが中学受験だった人が多いようで、一昨日の記事に反応をいろいろいただいた。ふいに昔の思い出を蘇らせた方も多かったようでツイッターでもいろんな話が飛び交っていた。泣けるもの多し。 自分の娘の受験の頃をもっと思いだそうと4年前の記事を読み返していたら、なんだか当にせつなくなってしまった。そういえば「そっちの方がいい人生」っていう一昨日と同じ題名の記事も書いていた(これ)。あぁいろいろフラッシュバックするなぁ。 キットカットタクシーの話とかも書いたなぁ(これとこれ) やっぱり毎日の記録を残しているといろいろな感情や場面がよみがえってきて良い。 ちなみに「受験直前のぬるい気分」という記事にこんなことを書いている。 試験受かって、そこそこいい学校行って、そこそこいい大学行って、そこそこいい会社に入っても、別に「そこそこいい人生となるわけではない」、と、サラリーマンを二十年強や

  • www.さとなお.com(さなメモ): 自分が完璧でないように相手も完璧でない的感覚

    昨晩は Ustream に出演。 「Looops. TV」の開局第一回目の放送で、玉置沙由里さんをキャスターに、斉藤徹くんと対談した(第一回目のゲストに呼んでくださり光栄でした)。ソーシャルメディア全般、そしてSIPSの話などゆるゆると(ここで見られます)。 ボクは基的に「文章の人」で、文章にしっかり定着させたものを相手の心に届けたいタイプ。だから動画系の「その場のノリで語ったもの」が広く配信されるのがどうにも居心地悪い(その良さはわかりつつ)。しかも第一印象が悪いタイプなので感じが悪い。そのうえ滑舌も悪い。おまけにスタジオのライトでハゲ頭が光って見ている人の目に悪い(笑)。ということで「悪い」だらけ。だから基的に出演をお断りしているのだけど、ループスの斉藤徹くんの頼みなら断れない。 彼は中学高校の同級生。卒業後約30年会わなかったが、一昨年だったかに再会し、その後の彼の「ソーシャル快

  • 【電通】SIPS

    (※)レポート内容、および電通モダン・コミュニケーション・ラボのメンバーは2011年1月時点のものです。 (※)「AISASはなくなるのか」「マスメディアはいらなくなるのか」というお問い合わせがあるので、簡単に冒頭で書いてみたい。 まず、AISASはなくならない。SIPSはあくまでもソーシャルメディアが十分に浸透した時点での、ソーシャルメディアに関与が深い生活者の行動モデルの考え方であり、AISASにとってかわるモデルではない。 また、マスメディアは、以下の(6)でも言及したが、ソーシャルメディア時代、いまよりもより力を強めると考えている。ソーシャルメディアとマスメディアは対抗軸ではなく、相乗作用で高めあうものと考えている。 電通モダン・コミュニケーション・ラボ 佐藤 尚之、金田 育子 京井 良彦、信澤 宏至、茂呂 譲治 橋口 幸生、宮林 隆吉 1)はじめに ここ数年、ソーシャルメディア

  • www.さとなお.com(さなメモ): それなりにプレッシャーな講演

    木曜にふたつ、金曜にひとつ、それなりにプレッシャーな講演があった。 特に金曜の日マーケティング協会のものは、博報堂の須田和博くん、ADKの横山隆治さんとの競演で、それぞれ50分話したあと、パネルディスカッションする、という構成だった。テーマは「ソーシャルメディアの歩き方」。ううむ…。 ここ半年くらい、「ソーシャルメディアをあまり利用したことがない人にもわかるように」という視点からソーシャルメディアの質を講演してきた(つもり)。でも、この講演ではもう少し高度なことが求められている気がする。というか、一緒に講演する方々が広告界第一線の猛者である(猛者すぎ)。そこに「初歩っぽい講演」ではとてもじゃないが太刀打ちできないだろう。 ということで、いちから講演内容を構成しなおし、100枚ほどのプレゼンスライドを作ってみた。 一昨日のMacProの不調をかいくぐり、講演直前までしこしこスライドをいじ

  • www.さとなお.com(さなメモ): 声が大きな人の時代が終わる

    ボクの後輩の京井良彦くんが、年末にを出した。 この日にチラッと触れているのだが、幸いとても評判がいいのようなのでもう一回プッシュしておきます。 「ロングエンゲージメント」(京井良彦著/あさ出版/1470円) 彼は会社でボクがリーダーをしているサトナオ・オープン・ラボのラボ員である。ソーシャルメディアのことをみんなで一緒に研究してきたこともあり、巻末に以下のような推薦文を書かせていただいた。 マス・マーケティング全盛の時代、広告会社では「声が大きな人」が主導権を握っていた。物理的に声が大きいだけでなく、我が強く押しも強い、いわゆる「ハッタリが利く人」の意見が通りやすかったのである。これはある意味とても象徴的なことだったと思う。つまり、数百万人という大きな塊に対してインパクト強くアテンションを喚起しなければ伝わらなかったあの時代、多少ハッタリめいていても、大きな声を出して目立つことが広告で

  • www.さとなお.com(さなメモ): 「明日の広告」11刷です

    以前、荒川修作の講演を聴いたことがあるが、彼がこんなことを言っていた。 「ヒトは形あるものに名前をつけたが、目や手から出た力みたいなものに名前をつけず、認めない。目から力がバーッって出て壁にぶつかる。その壁に、目には見えないけど、力がちゃんと残っているんだ。それを認めない。形あるものしか認めないから死ぬんだ。身体がなくなったと同時に死ぬんだ。でも身体がなくなっても人間は死なないんだ。それがおまえらバカは誰もわからない」みたいなことを講演会で言っていた。 これって昨日まで3日かけて書いた内田樹最終講義の中の「存在しないもの」と同じことかもしれないなぁ。そういえば荒川修作も「存在しないもの」になってしまった。「存在するとは別の仕方」でボクにシグナルを送ってきてくれている。確かに荒川修作は「死んでいない」。 3日間、異様に長い文章を書いたので、今日は短めに。 ええと、拙著「明日の広告」が 11刷

  • www.さとなお.com(さなメモ): 弱さを受け入れて楽しもう

    今年は50歳だなぁ、と、去年の終盤から意識していたのだが、そのせいもあるのかな、急に酒が弱くなった。 「自分は酒が強い」というのが自分の中で「自分は男である」というのと同じくらい自明かつレゾン・デートル的だったので、これは実にショックである。呆然とする。愕然とする。自覚するだけならまだいい。他人に言われた。会社の後輩に「さとなおさん、酒弱いすね」と言われた。これは参った。さ、酒が弱い? さけがよわい? サケガヨワイ・・・そんな日語あったっけか? 脳みそが拒否する。自分がサケガヨワイって何? ・・・まぁそれでもワイン1くらいはまだ飲めるのよ。でも1半くらい行ったらもうベロベロだ。つか、強調しとくが「バーボンならボトル1は行けた自分」なのだ。「日酒だって一升は行けた自分」なのだ。それがなぁ。ワイン1半でなぁ。なんだかとっても屈辱的だ。 昨晩も友人とふたりでワイン2飲んでかなりベロ