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2020年7月26日のブックマーク (2件)

  • 「立ち食いそば」から見える東京のコロナ事情

    新型コロナウイルスの影響で、外業界が大きな打撃を受けている。4月7日には7都道府県を対象に緊急事態宣言が発令され、飲店には営業時間の短縮が要請された。加えて「ステイホーム」の呼びかけでリモートワークを導入する企業が急増し、都心部の人口は激減。オフィス街周辺にあった飲店は、完全に干上がってしまった。5月25日に緊急事態宣言は解除されたものの、人の戻りは少なく、変わらず厳しい状態が続いている。 そんな「飲店冬の時代」に、都心で働く人達の胃袋を満たし続けてきた立ちいそば業界は、どう立ち向かっていくのか。2大チェーンである「江戸切りそば ゆで太郎」を運営するゆで太郎システムの池田智昭社長と、「名代富士そば」を運営するダイタンホールディングスの丹有樹社長が、コロナ下での立ちいそばの現在と未来を語り合った。 2月27日を境に景色が変わった まずは、コロナの売上に対する影響は、いつから、そし

    「立ち食いそば」から見える東京のコロナ事情
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2020/07/26
    夢の共演。見込みもいい線行っている気が。
  • 高3の冬に祖父が死んだ。 クリスマスの朝、起きたら母からLINEが入っていた..

    高3の冬に祖父が死んだ。 クリスマスの朝、起きたら母からLINEが入っていた。 祖父は典型的な亭主関白だった。生まれは満州だったが3歳頃にこちらに引き揚げてきたためか、私は祖父の実家を知らない。親戚も数えるほどしか知らない。 山奥の農家に生まれた祖母と、満州でそれなりの家(祖父曰く曽祖父が閣下と呼ばれていた)に生まれた祖父が、なぜ結ばれたのかは未だにわからない。 唯一、 「わたしは断れなかったのよ、あの時から逃げられなかった」 と祖母が言っていたことだけは覚えている。 不摂生を祖母が咎めても怒鳴り返し、祖母がいうことは一つも聞かなかった祖父だったが、孫には優しかった。冗談好きで、会いに行くと必ず「おう、〇〇(母の名前)じゃねえか」「おじいちゃん」「おう、すまんな、ボケちまったらしい」とか、そういう冗談が常だった。 博識で、私の知りたいことはなんでも知っていた。ローマの歴史、新聞のつくり方、

    高3の冬に祖父が死んだ。 クリスマスの朝、起きたら母からLINEが入っていた..
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2020/07/26
    爺さんならまだいいのよ。たとえ理不尽でもある程度は覚悟できる。問題は想定外の若さの人物が急逝した時。後悔がこの倍以上に押し寄せてくる。