ブックマーク / umedamochio.hatenadiary.org (7)

  • 「「個」として強く生きること」と「ウェブ・リテラシーを持つこと」の関係 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    大組織適性の話はちょっとここで一段落。 具体例がどうも「一流大企業で自己実現」か「ベンチャー創業」かみたいになると、敷居がおそろしく高い話になってしまうが、僕の意図はちょっと違う。 「大企業かベンチャーか中小企業か・・・」という構図も違う。 「個と組織の関係や距離感」における「個の強さ」みたいなことを議論したい気がしている。またその観点で、具体的に何をしたらいいかという話に、だんだんにつなげられたらいいと思う。話が抽象的だとかなんか怒っている人がいるけれど、そうあわてるな(よく読みもせず、人が真剣にやっていることの意図を理解しようともしないで、どうして急に怒ったり激しく批判したり茶化したりする人が多いんだろうね)。少し抽象的な枠組みのところで「面白さ」や「創造性」のフレーバーを振りかけた議論から入らなければ、多くの人が同じフレームワークの中で議論できるようにならないでしょう。 「好き」なこ

    「「個」として強く生きること」と「ウェブ・リテラシーを持つこと」の関係 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    hisashi_naitou
    hisashi_naitou 2011/02/15
    「「個」として強く生きること」を目指す人に「ウェブ・リテラシーを持つこと」
  • 「ウェブで学ぶ」という本を書いた背景について - My Life Between Silicon Valley and Japan

    私がこのを書きたいと思った理由はただ一つ。 日語圏のウェブ世界からはまったく見えない大変化が、世界では着実にしかも急激に起きていることを、皆さんに知ってほしかったからです。 書共著者の飯吉透さんとは、彼がシリコンバレーのカーネギー財団に勤めていた頃、お互い近所に住んでいたということもあり、『ウェブ進化論』以後のグローバルなウェブ進化について、定期的に意見交換を続けてきました。 その過程で、日人である彼が、アメリカ発グローバルのオープンエデュケーションというムーブメントの中核にいて、その背景となる思想ばかりでなく、そこで実際に起きていることの詳細なリアリティを把握していることを、深く知るにいたりました。 この数年、飯吉さんがオープンエデュケーションの研究、普及、啓蒙の仕事に邁進され拠点をMITに移す中、私は相変わらずシリコンバレーに住み、「グローバルウェブという補助線を引いてウェブ世

    hisashi_naitou
    hisashi_naitou 2010/09/05
    半径5m以内の情報が爆発的に増えたことで、賢い日本人はより身の回りの情報を深く知る代わりに、遠い世界の情報には無関心になったと思います。
  • 「世界観、ビジョン、仕事、挑戦――個として強く生きるには」講演録(JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日) - My Life Between Silicon Valley and Japan

    (1) 時代観――無限の選択肢のある時代 僕が大学を出たのは今から25年前の1983年です。1983年に大学を卒業する人と、2008年に大学を卒業する人とでは、全く違う人生が広がります。おそらく、さらに25年後に大学を卒業する、みなさんの息子や娘の世代も、まったく違う環境のなかに生きることになります。みなさんは、だいたい二十代、つまり1977年生まれから87年生まれくらいだと思いますが、そのくらいの時期に生まれたということが、人生を大きく規定しています。そのときに使えるリソース、その時点で可能になっていることがある。1960年生まれの僕とは全く違う可能性をみなさんはもっています。それがまず第一にうらやましい。なぜならば、圧倒的に自由度が大きいから。1980年代の前半というのは、それほどカジュアルに海外に行くという時代ではなかったし、日はもっと貧しかったし、海外に留学する敷居の高さも、今と

    「世界観、ビジョン、仕事、挑戦――個として強く生きるには」講演録(JTPAシリコンバレー・ツアー2008年3月6日) - My Life Between Silicon Valley and Japan
    hisashi_naitou
    hisashi_naitou 2008/09/01
    無制限に選択肢があると何も選べなくなる人が人口の80%から90%いる そのような状況で、何かを決める強さを持てる 選択肢の無限性を前にして選択肢がバーンと広がっている。そういう環境の中で、突っ走っている人
  • 米長邦雄「人間における勝負の研究」 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    私家版・金子金五郎全集を眺めていたら、僕の人生に多大な影響を及ぼした名著「人間における勝負の研究」(米長邦雄著)についての言及があった。「近代将棋」昭和57年10月号の金子教室、米長・谷川戦解説の冒頭である。 私などは勝負の世界に育ちながら米長氏のように勝負に熱心にはなれなかった。どちらかというと将棋を観察する側の一人である。その姿勢はどの手が最善かということの外に「いかにしてこの手が生まれたか」という過程の方に興味があった。過程の背後にはその人らしい論理がある。感性がその底に動いている。それは名人級になるほど将棋という芸に仕上げているということも人間の秘密のひとつであろう。 この金子の文章を読むと、僕がなぜ金子に惹かれるかが改めてよくわかる。勝負より観察、事象の向こうの人間への関心・・・。人間としての傾向がおそろしく似ているからだろう。このことについてはまたいずれ書くが、今日のテーマは米

    米長邦雄「人間における勝負の研究」 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    hisashi_naitou
    hisashi_naitou 2008/02/14
    人間は、常に悪手の山の中を歩いている 悪手をささなければ、なんでもいい 成功、正しさ潔癖症に陥るな 
  • 「しないことリスト」で考えてほしいこと - My Life Between Silicon Valley and Japan

    日経ビジネス・アソシエ2月19日号は、「できる人の「しないことリスト」」という特集だ。僕も常々「やめることを決める」大切さを主張しているので、興味を持って読んでみたのだが、非常に面白い発見をしたので、ここでご報告しておこう。 松大(マネックス・ビーンズCEO)と川裕子(早稲田大学教授)の「しないことリスト」を比べることで考えよう。 まず松の「しないことリスト」は、 (1) よく分からない人とはつき合わない。 (2) 苦手な人とは事しない。 (3) 中華料理べない。 (4) 風邪薬を飲まない。 (5) 大切なことを夜に判断しない。 (6) 悩みすぎない。 である。 では川の「しないことリスト」はどうか。 (1) 夜の宴席には出席しない。 (2) ショッピングで迷わない。 (3) 表裏を作らない。 (4) テレビは見ない。 である。 こういう特集を一生懸命読む人は、「しないこと」

    「しないことリスト」で考えてほしいこと - My Life Between Silicon Valley and Japan
    hisashi_naitou
    hisashi_naitou 2008/02/13
    考え方 戦略
  • 現代将棋が表現する思想 - My Life Between Silicon Valley and Japan

    ふたつほど将棋の話が続いたが、ついたはてなブックマークの数もさることながら、ページビューが当に多かった。やっぱり将棋は、多くの日人の心にしっかりと根付いている、素晴らしい伝統文化であり芸術なのだと改めて思った。 mixiのある方の日記が、僕の前エントリーを紹介して、 思想か、芸術を鑑賞、分析するような内容の文章です。現代将棋が表現しているものは、思想であり、芸術ともいえるものと思うので、梅田氏の文章は共感して読みました。 と書かれていた。僕は現代思想とか言われている世界の話はまったくわからないので何も言えないが、ひとつだけ言えることは、「情報の世の中における意味」「情報が社会を変える」という観点で、将棋の世界の最前線で起きていることが、我々の社会全体でいずれ起きることを先取りして実験してくれている、ということだ。 トラックバックをいただいたid:essaの「奇襲戦法の背後には理論の緻密

    現代将棋が表現する思想 - My Life Between Silicon Valley and Japan
    hisashi_naitou
    hisashi_naitou 2008/02/12
    考え方 時代 世の中
  • 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。

    ここ一週間、たくさんの日の若い人たちと話した。JTPAツアー、九州大学ツアー、そして昨日のLingrイベント。それでつくづく思ったこと。もう前にも一度言ったことだし、当たり前のことだし、言わなくても伝わっているだろうとふと思っても、しつこく言おうと。なぜなら、僕が考えていることと正反対の言葉を、日の大人たちから皆はシャワーのように浴び続けているし、僕がこうあるべきと思うことと正反対の経験を日々せざるを得ない状況にある、ということがよくわかったから。 二十歳にもなれば、その人のすべてはもう顕れている。その自分の良いところを見つけるには、自分の直感を信じ(つまり自分を信じるということ)、自分が好きだと思える「正のエネルギー」が出る対象を大切にし、その対象を少しずつでも押し広げていく努力を徹底的にするべきだ。そういう行動の中から生まれる他者との出会いから、新しい経験を積んでいけば、自然に社会

    直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。
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