もともとは子供に愛情を与えましょうというつもりだったと言うことは知っている。これから親になる人に向けての言葉だと言うことは知っている。だけどその言葉を使って人は他人を傷つけるのだ。その言葉を知り、それを実践した親は、自分の正しさを証明するためにそうでない子供をわざと可視化するのだ。そして誰も批判ばかりされた子供を、殴られて大きくなる子供を、笑いものにされた子供を、皮肉にさらされた子供をたすけない。手は差し伸べない。もしその子がまっすぐに育ったら自分の正しさが証明されないから。 これを書いた人を責めるわけではないけれども/Say::So? えっとね、娘が小学校のまだ低学年だったときに、娘を毎朝学校まで送っていっていたわけで。でもってコレ。 口を出したケース、女の子の集団が、1人の目の前でにやにやと、その子だけがわからない合図を送る、仲間で送り合う。陰湿だなあと思う。この集団がわたしを「友達」